先輩×後輩 登校して早速開いた弁当箱も既に空、すべて片付けて伏した机は日だまりと柔らかな木の匂いがして、なんとなくあたたかい。じわじわと迫る眠気に抗う気なんて始めから無くて、素直に降ろした瞼で意識はすっかり夢の入口。幸せなひとときに私は小さく笑みを零した。 「んう、最高アル……」 「全くでさァ。寝顔ご馳走様です」 なんか不快な声とうるさい悲鳴が聞こえるけど、うん。気にしないでおこう。 「あ、待ち受けにしよ」 「…………」 ──ピロリーンと間抜けなシャッター音に、目の前の男の胸倉を迷わず掴んだ。 人様の安眠を妨害する輩なんて死刑だ、死刑。 「盗撮は犯罪ですヨ先輩?その携帯もろともこの世界から抹消してやりましょーカ」 「あ。萌えるからもっかい先輩って呼んで」 「黙れヨ」 私の幸せな時間をぶち壊しやがったのは、美味しそうな髪の色の、まあまあ整った顔面をした男。しかしコイツ、私の嫌がる顔を見るのが大層好きらしい変態、ドSだ。 「いー面するねィ。後はもっと高低差のある身体だったら完璧でさァ」 「へーそうアルか激しくどうでもいい情報ありがとうございますヨー」 「まぁ心配は要らねえ、俺が育ててやりまさァ。……てことで放課後待ってろ、俺ん家行くから」 「もっと素直に言えねーのカヨ。可愛い可愛い神楽さんと一緒に帰りたいです、ってナ」 「可愛い可愛い神楽さんと一晩中ヤり明かしたいです」 「死ねばいいのに」 何がきっかけかなんて知りやしないが、気が付けば入学早々からコイツのセクハラは始まっていた。最初の内は気を遣いに遣って対応していた私だが、あまりのしつこさにとうとう堪忍袋の緒が切れる。先輩だとか年上だとか、そんなことがどうでもよくなってしまう程、沖田はウザかった。 「……オイ、サドヤロー」 「沖田先輩、な」 いつのまにか沖田は私の隣席の男子を突飛ばしそこを陣取っていた。そんな最悪な奴をどうして先輩などと呼ばなければならないのか。 「いい加減鬱陶しいアル。見てて判んないのカ?私、オマエ嫌いネ」 「俺はす、好きでさァ」 「はいはいそうアルか。どうせ皆に同じようなこと言ってんダロ。ほら、廊下でお姉様方が待ってるアル」 ケバケバした化粧妖怪達が教室を覗き込んでこちらの様子を監視している。毎回毎回よく飽きないものだ、あの女子の集団も、コイツも。 「チャイ……」 「もうオマエの相手は疲れたアル。……ほっといてヨ」 この目に沖田を映さないようそのまま教室を飛び出した。通り掛かりに化粧妖怪達が何か言ってきたけれど、気にする余裕などある筈も無い。 ──勿論この日、沖田と一緒に帰ったりなんてしなかった。 ****** 下駄箱から有り得ない量の紙が雪崩てくる。内容なんて確認せずとも、全部が全部アイツに関するものだろう。 「……面倒臭いアル」 昨日はっきり言ったのに。私は沖田が嫌いで、しつこく絡んでくるアイツに迷惑してるのはこっち。こんなうざったいことされる筋合いなんて無いんだ。 「神楽?」 聞き慣れたその声に顔を上げれば、馴染んだ銀髪に安堵する。 「……銀ちゃん」 だらだらの白衣に緩んだネクタイ。教師にあるまじき怠そうな態度と言動に定評がある担任の銀ちゃんは、同時に留学生である私の居候先の家主だったりもする。 「うっわ何コレ。ラブレター?」 「見当違いな嫉妬の産物アルヨー。女子は怖いネ」 紙の束を纏めて、玄関脇のゴミ箱に投げ捨てる。靴を履き替えるのも早々に、私は銀ちゃんに飛び付いた。 「こーら、学校で引っ付くのは止めなさい。誰かに見られたら俺が危ないわ」 「だって昨日、銀ちゃん帰り遅かったデショ?私も寝ちゃってたし」 「……全くよォ。我儘な餓鬼持っちまったモンだ」 そう言いながらも優しく頭を撫でてくれる銀ちゃんは、やっぱり私のことをよく解ってくれていると思う。いつも通りに振る舞っているつもりだけど、本当は泣いてしまいそうだった。他と違うとはいえ、私だって年頃の女の子なのだ。継続する嫌がらせに、傷付いていない訳ではない。 「……アレだろ。沖田くん」 「……なんで知ってるアルか」 「いやさぁ、王子様がご執心のオレンジ頭が居るって専らの噂。やっぱお前のことだったんだ?」 青春してんねー、なんてへらへら笑う銀ちゃんを両腕で締め付けて、皺だらけの白衣に顔を埋める。煙草の匂いと甘い匂いの混じり合う銀ちゃんの香りに、波立つ心は平静を取り戻す。 「嫌いなのか?沖田くんのこと」 「……嫌い」 「じゃあなんでそんなに弱ってんの、お前は」 「嫌がらせがウザいからアル」 「ふーん?どうもそれだけにゃあ見えねえがねェ……」 笑いを押し殺したような腹立たしい声に銀ちゃんを見上げれば、いやらしく歪んだ眼鏡の奥の瞳は、私の背後をさも愉しげに見据えていた。 「?銀ちゃ……」 「ヒーローが遅れて登場するってのは定石だけど」 銀ちゃんの大きな手が頬を拭う。外気に触れたそこにひやりと冷たさを感じて、ようやく涙の存在に気付く。 「ヒロインが泣いちゃってからじゃあ遅いよね、王子サマ?」 ──振り返ったその先に、ぼやけた蜂蜜色を見た。 → |