今度は遠い記憶の中に居た。
血に汚れることなど知らず、死ぬ程辛い別れなど知らず、狭い世界に自分が見るものが世界のすべてだと信じていた頃。
『そーちゃん』
最期のぬくもりさえもう消えてしまいそうだというのに、あの日々に何を求めているのか。
「暇なら酢昆布買っておくれヨ、おにーさん」
「…………」
──俺は何時この極貧チャイナに目覚まし役を依頼したのだろう。
「またお前かィ」
「オマエ、ほんとに寝るの好きダナ。年中冬眠期間アルか?」
土手の緑草を押し潰し寝そべる沖田を覗き込み陰を作るのは、馴染みの番傘を差し橙色をさらりと垂らす神楽。日を置かずに顔を合わせる──、ましてや拳も交えずに言葉を意志疎通の手段として同じ時を過ごしたことなど、かつて有っただろうか。
「……てめー、最近変じゃねえか」
起き上がる素振りも見せず、浮かぶ雲を眺めながら尋ねる。神楽はごく自然な軽さで沖田の隣に腰を降ろし、倣うように空を見上げた。
「それはオマエダロ」
「ああ?」
「泣きそうな顔した奴に喧嘩なんて売れるカヨ」
返ってきた答えに沖田は表情を固めた。感情を読ませない為の防御壁をまんまと破られた衝撃は、なんとも言えない複雑さを孕み心臓の動きを乱し始める。
驕りだったのだろうか。
憎しみも弱さも絶望も、他人には見せまいと隠し通していたと、隠し通すことが出来ていると。
「……馬鹿なこと言うんじゃねえや」
「そこの川でも覗いてみればいいネ、面白いモン見られるアルヨ」
「面白くねーよ」
雲は悠々と流れている。時間も然り。
置いてけぼりは、自分だけ。
「……サド」
「なんですかィチャイナさん」
窺い見たのは横顔。蒼い瞳は空を映したまま薄い陰の中に輝いている。不覚にも見惚れてしまったなどとは、口が裂けても言えやしない。
「……ひとりごとだと思って、聞き流してやって欲しいアル」
名指ししておいて可笑しなことを言うものだ。そうは思うも口には出さず、らしくもなく小さなその声を聞き漏らさぬよう耳を澄ました。呼吸音すら押し殺し、ただ空気の震えを待つ。
「──昨日も、今日も。誰かに呼ばれた気がして」
「…………」
「行くと其処には必ずオマエが居るアル。でも、呼んでるのはオマエじゃなくて、別の“誰か”で」
神楽はそこで俯き加減に一息つくと、表情を隠すように番傘を傾けた。
「だから、その……」
可愛げの無い咳払いに続く唸り声。川のせせらぎが急かすように音を次いでいく。
「……あんまり心配、掛けんじゃねーゾ」
──誰に、とは言わなかった。
「っわ」
沖田は起こした身体を腕一本で支え神楽に寄せると、少女と自らを遮断している傘をぐいと押し上げる。突然のことに反応しきれず見開いたままの目に映り込んだ影を確認し、一時言葉を忘れた口を開いた。
「おめーの方がよっぽど情けない面してらァ」
「……うるせーヨ」
何処までお人好しなのか、こいつは。
下がった眉と山を描く口元に苦笑し、沖田は困ったように神楽を見つめた。
「何か、聞いたのかィ」
「……別に」
「嘘つけ。」
「う、そじゃ、ない、ネ……」
銀髪からでないとしたら、隊の誰かを脅したか。察しの良いこの少女に隠し事など通用しないことは明白だ。
「同情なら余計な世話だぜ」
「オマエに同情なんかするカヨ。万事屋の経済状況の方がよっぽどそれに値するアル」
「……は。言えてらァ」
夢に未来を繋げることは出来ない。夢で何をしたところで現実が変わる訳でもない。
いくらその中に逃げ込もうと、自分は此処に存在しているのだから。
「……あー」
沖田は空を仰ぎ息を吐き出すと、傘に気を配りつつ小さな身体を抱き寄せた。激しい抵抗を見越し痛い程に力を籠めるも、肩口に預けられた橙の心地好い重みを感じその心配は無用と知る。
「どうしやしょうかチャイナさん」
「何をですカ、エセドSサン」
「どうやら気に入っちまったみてえだ、てめえのこと」
「誰がダヨ?」
「俺の姉上。」
「……マジでか」
神楽はくすりと笑い、太陽熱を吸収し仄かにあたたかい黒衣を躊躇いがちに握り締めた。
「じゃあ、今度挨拶に行くアル。お姉さん、何が好きアルか?」
「激辛煎餅」
「……酢昆布でヨロシ?」
「自分で食う気だろィ」
共有する今を、これから先も、ずっと。
──紡ぐ未来は君と共に。
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イリスさまリクエスト
『沖神+ミツバ』
遅くなってしまい申し訳ございません。
ミツバさんの登場はありませんが+ミツバと言い張ります。
神楽ちゃんはミツバさんに沖田家へ嫁ぐことを許されましたとつまりはそういうことです。沖田神楽ってなんて素敵な名前。
リクエストにお応え出来ているかどうかに大変自信がありませんが、お読みいただけたなら幸いです。
リクエストありがとうございました。
2012.2.11
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