表裏一体


暗闇の中で、その不思議な現象はいきなり起こった。
現在は恐らく丑の刻を過ぎた頃だと思われるが、そんな真夜中に私しかいないはずの芭蕉庵に人の気配を感じるのだ。
もしかしたら盗人かもしれないと私は親友のマーフィーくんを握り締め、そっと庵内を見回った。
そして客間を覗いたときに、その現象と出会った。

月明かりがないのに、なぜか姿と色が判別できた。
色素を失って茶色になった髪、年齢を重ねてできた皺に垂れた目、小柄で草若色の着物を纏った男。
横顔だったけれどその顔は、私そっくりだった。というか私だった。
…いや、私はここにいるし、私がこの世に2人いるわけがない。
グルグルと渦巻く混乱の波に飲まれながら、ただ私はその男を凝視していた。


どのくらいそうしていただろうか。相変わらず混乱していた私は、冷静になって考えようとする以前に恐怖を感じていた。
だって怖いじゃない。もう1人の自分が襖を隔てて向こうにいるのだから。
すると突然その男が振り返った。

「何してるの?そこで。」

私の外側から私の声が聞こえた。その声に"何してるの"、と問われた。
そして今あの男と目が、合っている。
途端に背筋が凍った。嫌な汗が大量に吹き出す。
やはりその男の姿ははっきりしていて、さっきよりも顔がよく見えた。
(やっぱりあれは私だ…っ!!)
私は恐怖と混乱で涙を零していた。もしかしたら少しちびってしまったかもしれない。これではきっと曽良くんに怒られて断罪され……曽良くん?

私はハッと気づいた。
あの弟子の家はすぐ近く。こんな真夜中だけど、助けを乞える相手は彼しかいない。今晩は彼と一緒にいてもらおう。そして、

(一刻も早くここから逃げよう)

そう思ったのと、体が玄関に向かったのはほぼ同時だった。
草履も履かずに急いで通りに飛び出し、曽良くんの家へ駆けようとした。
ところが。

さっきの男がしっかりと私の腕を掴んできた。逃がしはしない、と言わんばかりだ。
「逃げることないじゃない…私は君なんだよ?」
不敵な笑みを浮かべた男は腕を掴んだまま、そっと近寄ってくる。
「こ…来ないで…!」
私は情けない声で精一杯叫んだ。けれどもその声は掠れて全く大声にはならずそのまま闇夜に消える。
私は背中を向けたら終わりだと思って、逃げるに逃げられなかった。
「…大丈夫だってば。私は君だって言ってるでしょう?」
男が私の顔に触れた。もうダメだ――そう思って目をつぶった瞬間、

チュ。
柔らかい感触が唇に触れた。私は反射的に目を開く。男の顔が目の前にあった。
…キスをされたのだと気づくのにそう時間は掛からなかった。

「…ね?大丈夫でしょう?私は君に危害を加えたりしないの、絶対」
そう言われて腕が解放された途端、腰が抜けた私はへなへなと地面に座り込んでしまった。そんな私を見る男の顔はとても優しかった。


男は私の手を引いて芭蕉庵に戻った。もう私の中の男――彼に対する恐怖感は消えていた。キス1つで手懐けられた、というわけではないと言い張るけど、実際悪い人には思えなくなっていた。
客間に着くと、彼は私に座るよう勧めてきた。私が促されるまま腰を下ろすと、彼は私と対峙して腰を下ろす。
そして事の次第を話始めた。


「え?パラレルワールド?」
私は聞きなれない言葉に思わず鸚鵡返しした。
「そう。今君は君の世界と並行して存在している別の世界に来てるの。」
「な、なんで?」
「さあ…、あくまでそれは私の予想だし本当にそうかは分かんないけど、取り敢えずここは私の住んでる世界だよ」
どうやら彼が私のいた世界に来たのではなく、私が彼の世界に来たらしい。
正直風景は同じだからなんだかややこしい。

「…ここはどんな世界なの?」
私の問いに彼はニヤリと笑って言った。
「――曽良くんが私に従順な世界、かな」
私は思わず目を見開いた。あの鬼弟子が私に従順…!?
1つ隣の世界に飛べば、立場逆転(?)しているだなんて!

驚いている私が面白いのか、彼はフフッと笑って私の隣に移動してきた。慣れたとはいえ、流石に違和感は拭えない。目の前には瓜二つの私がいる。

「その反応を見ると…、君の世界では曽良くんの方が弟子のくせに上なんだ?」
「う、うん…情けないけどね…」
曽良くんには確かに頭が上がらない。だって怖いもん。
「曽良くんが怖いからって別に受けに回らなくてもいいじゃない」
「うん、そうなんだけど…、え?」
私は俯きかけていた顔を上げた。
今、彼は"受け"と言ったか。
ポカンとした表情で彼を見つめると、彼も"え?"とした表情をした。
沈黙が流れる。私たちが話さなければ、ここは何も聞こえない無音の世界だった。
そんな静寂を破ったのは、彼。

「…あれ、もしかして君…曽良くんは恋人じゃないの?」
「っ!そ、そそそうだけどっ!ま、まさかそっちの話してるとは思わなくて…!!」
私は今恐らく顔が真っ赤に違いない。慌てて両手を横に振ると、彼は今日一番の笑い声を上げた。
「ハハハッ!吃驚したぁ、まさか君のいた世界は普通の師弟の世界かと思っちゃったじゃない!」
「ご、ごめんなさい…」
「いいよいいよ。…で、結局君の世界では君が受けなの?」
彼が急に真剣な顔で訊いてきたもんだから、私は思わず首を縦に振った。

「そっか、よかった」
そう言うと彼は急に私に抱き着き、押し倒してきた。
え、え!?と再び混乱する私に、彼は耳元に口を寄せた。
「…自分とヤるのは気が引けるけど、受けのときの自分はどんな顔で啼くのかなって思ってさ…、ね?ちょっとヤらせてよ…芭蕉」
低く腰にくる声。まさかの直球に私はゾクリと悪寒が走った。
私の答えを待たずして彼の舌が私の首を這い、チュと甘い音を立て始めた。
「あ、あの…っ!」
「ああ、大丈夫。痛くはしないよ。君のイイところは私全部知ってるし…だって」

私と君は表裏一体なんだから。


そこでプツンと意識の糸は切れた。

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