認めない。


先日、僕らは奥の細道の旅を終えて深川にある芭蕉庵へ帰ってきた。
僕はまた前のように芭蕉庵に通う生活に戻ったわけだが、旅の間ずっと芭蕉さんと一緒にいたせいで独り暮らしするのが何だか少しだけ寂しい気分になった。
ふと、芭蕉さんが死んでしまった後もこんな感じなんだろうか、という思いが頭に過る。
慌てて頭を横に振った。
我ながらなんて不謹慎な。
…でも最悪今までの旅の疲れが出てそのまま…

(やっぱり今のうちに言っておこう)

そう決意したのと、僕の足が尊師の住む庵へ向かって動いたのはほぼ同時だった。



「ごめんください」
「あ、曽良くん!いらっしゃ〜い」
玄関を開ければひょこっと顔を出した芭蕉さん。
それだけで僕は心の底から安堵した。

(よかった。まだこの人は、生きている)

客間で寛ぎながら久しぶりに見る庭に植えられた芭蕉の木を眺めていたら、芭蕉さんがお茶とお菓子を持ってきた。そして僕の態度にまたツッコミを入れる。
まるで…旅のお供をお願いされたあのときのように。

暫く他愛のない会話をやり取りをする。
そして、キリがいい頃に、僕はここに来た本当の目的――どうしても芭蕉さんに言っておきたかったことを口にした。

「…言っときますけど、僕は芭蕉さんが死んでも絶対泣きませんから」
「と、突然なに縁起の悪いこと言ってんの!?…ていうか君は師匠が死んでも泣いてくれないの!?」
なんて薄情な、と芭蕉さんは顔を歪ませて今にも泣きそうな顔になった。それはとても師匠とは思えないぐらい威厳のない顔で。
このままでは誤解を招くと思った僕は芭蕉さんの目をしっかり捉えて言った。

「泣いてしまったら、貴方がこの世からいなくなったことを認めなくてはならないじゃないですか。
貴方がいない世界なんて僕は耐えられないんです。だから僕は貴方が死んでも泣きません。」

一気に言い切ると僕は華奢な貴方の体を思いきり抱き締めた。
僕の腕の中で貴方は肩を震わせて、嗚咽した。



――数年後、僕は布団の中で静かに生を手放した貴方を見た。
魂が抜けたように見えないけれど、やっぱり生きているようにも感じられない。
僕は目からいろんな思いが溢れそうになるのを懸命に堪えた。

認めたくない。貴方がいなくなったなんて。絶対に認めない。

死んだら人は記憶の中でしか生きられない。
実体がないのは寂しいが、記憶ならば常に傍にいてくれる。それだけでいい。
貴方はこれからも僕の中で生き続けるんだ。

そう思うと、自然と前向きな気持ちになった。

死者に未練を残すことはおかしいのだろうか。
でも僕はこんなにもあの人を愛してしまったのだから仕方ない。僕はきっと"異常"なのだ。
貴方という存在にこれからも僕は縛られ続けよう。それほどまでに貴方は僕の中で大きな存在になっていたのだ。

「今日からまた"2人"で生きていきましょう、芭蕉さん」
冷たくなった貴方が優しく微笑んだ気がした。



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そして彼の未練は芭蕉さんの魂を縛る鎖となるでしょう。

2011 芭蕉さん追悼文
12.07.26 加筆・修正

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