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彼氏いない歴なんてもう数えてない。
ケーキなんか食べなくても12月24日だとか25日だとか、殊更に騒ぎ立てなくっても陽は昇り沈むわけ。
しかも今日って平日だし普通に仕事だし。
同僚たちの本日の素敵な予定を小耳に挟みながら、少しばかり黒い気持ちになっちゃったりもしたけれど、無事に今日も終わりました、普通の一日が。
狭いながらも楽しい我が家で、クリスマスケーキならぬクリスマスビールとクリスマスチーズとクリスマストーフでお一人様だよ。



─ピンポーン。

誰だろう。プシュッと開けた缶ビールを片手に玄関を見る。
時刻は19時半辺り。

─ピンポンピンポーン。

去年独り身同士同病相憐れんだ最後の友人に彼氏が出来てからと言うもの、こんな時間に(しかもクリスマスイブ)訪ねてくる人に心当たりがない。
宅急便かな。

―ピンポンピンポンピンポーン。

ぐずぐずしてたら割りにしつこいな。
めんどくさいなと思いながら、ビールをテーブルに置き、立って行ってドアに応える。

「はい」

「此処はみょうじなまえの住まいか」

「…はい?」

「あんたはなまえか?」

「そうですけど、」

「あんたに届け物だ」

宅急便にしては何だか様子が変だけど。微妙に横柄なその口調はなんなの?しかも呼び捨て?若干不審に思いつつも鍵を開ける。
ガチャ。
ドアが開くなり伸びてきた男の手が私の腕を捉えた。そしてもう片方の腕をガッチリと身体に回されて抱き締められる。

「は!?」

「逢いたかった」

な、な、何っ、なんなのっ!?
思わず渾身の力で身を捩るがその男はビクともしない。
強盗?痴漢?ストーカー?一体、なんなのよっ!!

「ちょっと!は、離してっ!」

一頻り暴れて手を振り払いその身体から逃れて見上げれば。少し困惑気なその男の顔を目にして再び度肝を抜かれる。
それは目も醒めるような超絶なイケメンだったのだ。ブルーの透き通った瞳がじっと見つめている。
綺麗な顔にボーッと見惚れていると、彼が口を開いた。

「…お、驚かせてすまぬ。あまりにも嬉しかった故、つい、」

その科白の意味が解らないが、イケメンに見惚れた頭が少し冷静になってくれば、今度は彼の奇異な姿に気が付く。
紫紺の長い髪を束ね、纏うのは墨色の着物。襟元には真っ白な襟巻を巻いている。
何よりも驚いたのは右の腰に差した日本刀。
なんだろう。バラエティー番組の撮影か何か?一般人の家に突撃してくる的な?
私はあんまりテレビを観ないのでよく解らないのだ。
この人の恰好は、なんていうの、所謂、お侍さんのコスプレ?
だけど物凄く似合っている。まるで普段からその出で立ちで過ごしているような。
彼の背後にチラチラと雪が舞い始めているのが見えた。



とても居心地が悪い。
小さなキッチンとリビングだけの狭いアパートの部屋。テーブルの角を挟んで斜めに向かい合っているその人は、正座を崩さずにきちんと座って私を見つめている。
右脇には腰から外した刀が二本、きちんと置かれている。
呑みかけたビールに手を付けることも出来ず、私は彼を見返し固まっていた。
玄関で暫く呆けていた私に彼は「入っても、構わぬか」とやや遠慮がちな声で問い、何故か拒否できずに部屋に入れてしまったのだ。
どうしたらいいんだろう、この状況。頭の中だけが忙しく動いている。
バラエティー番組ならそろそろ誰かが踏み込んできてもよさそうなのに。
そう言えばこの人、さっきお届け物だと言った。それを取り敢えず受け取って、帰ってもらった方がいいのかな。

「あの、…さっき、お届け物って言いましたけど、どれですか?伝票にサインを、」

「お、届け物とは、その、…お、俺だ」

「は?」

「時空の歪みによって俺はあんたの元へと届けて貰うことが出来た。明日が“くりすます”という祝賀の日とは聞いている。つ、つまり、俺が、その、“くりすますぷれぜんと”とやらだ、」

「言ってる意味が…、(お届け物がこの人本人?プレゼント?)」

「飛脚の代わりに宅配という届け物の方法があるのだな。ここへは少しは予備知識を得てから来たのだ。そして届けたことの確認に、その、さっきあんたが言った、“さいん”とやらを、」

「はあ…、(回りくどいし、全然意味解らない)」

「…此処に…、」

ふいに片膝を立てた彼は上体を傾けた。スッと手が伸びてくる。少し冷たいその指先が顎先に触れぴくりと肩が跳ねた。瞬間、目を見開いた私の唇に柔らかいものが重なる。
えっ!?

「受け取りのしるしを…、」

唇を離した彼は、濡れた藍色の瞳で私の瞳を覗きこむ。訳が分からない。
…だけど。どうしてなんだろう、この感触を知っている気がした。

「やっと、逢えた」

「どうして、私に…、」

眼を見開いて見返す。だけど私、嫌じゃなかった。
この人は―。

「あなた、一さん…ですか?」

自分でも思ってもみなかった言葉が零れた。それは、私が知る筈のない彼の名前。
彼が面映ゆげに頷く。
そして私の心にこれもまた知らない筈の感情が湧き上がる。

―やっと、来てくれたんですね。



きちんと置かれた刀の隣に、きちんと畳まれた白い襟巻。チラリと横に走らせた私の目の端にそれらが映る。本当に一体、どうしてこうなっているの?冷静に考えるととても状況についていけないのだけれど。
削ぎ落とされたように締まった頬の線からは痩身に見えたのに、寛げた着流しから覗く胸には綺麗な筋肉がつき、彼が腕を動かすたびにしなやかに波立つ。私の頬から滑っていく彼の手のひらが、耳の上から髪に差し入れられ梳かれていく。
灯りを落とした部屋、横たわった私の上に片腕で自身を支えた一さんがいた。妖艶な焔を燃え立たせた蒼い瞳で私を見下ろしている。

「覚えているか、俺を?」

「ごめんなさい、あの、…よく、」

「…構わぬ、それでも。今こうしていられるだけで、」

応えた私に一さんは少しだけ瞳を細め、口角を上げた。
そもそも、知り合いにお侍さんがいた記憶はない。それなのに、私の唇は正しく彼の名前を呟いた。

「一さん」

「やっと約束を、果たせた。…なまえ、」

冒頭に言った通り私は彼氏いない歴が長い。こんな状態には正直言って慣れていないのだ。
それなのに見つめられることが嬉しくて、触れていく手が愛しくて、私はいったいどうしてしまったんだろう。
優しいキスの合間に、一さんは藍色の瞳を愛しげに細めて、愛していると言った。

―私も、愛してる、ずっと。

何も解らないのに私は彼を受け入れる気になっている。
再び端整な顔がゆっくりと降りてきた。優しく甘く吐息を零し繰り返されるキス。彼の唇はお酒なんかとは比べ物にならない程に、私の心を酔わせていった。さらりと解けた一さんの髪結い紐が、紫紺の長い髪と一緒に私の指に絡みついた。





***





―夢?
ふと目が覚めれば、いつものように温かい腕の中にいた。
たった今見ていたのはとても面妖な夢だった気がする。夢の中で私は彼に優しく抱かれていた。私を抱いていたのは確かに一さんなのに、夢の中の私は彼をよく知らなかった。

―おかしな夢。

一さんの白い寝間着の肌蹴た胸がぴたりと私の胸に合わさっている。愛しい温もり。それは夜ごと私を包む、馴染んだ愛しい夫のものなのに。
そこには穏やかな寝顔がある。薄闇の中にも見て取れる白い頬。長めの前髪が流れて、普段は隠れている彼の形のいい眉が顕わになっている。細く通った高い鼻梁。閉じた瞼を縁どる長い睫。この瞼が持ち上がれば、澄んだ美しい藍色の瞳が現れることを私は知っている。
夢の中で優しい唇が、私の身体中に触れていた。
そっと彼の頬に指を伸ばし、じっと見つめていると薄っすらと唇が開く。

「…なまえ、」

「ごめんなさい、起こしてしまいましたか、」

「眠ってはいない。少し前までなまえの寝顔を見ていた。お前が俺の名を呼んで、」

置き行燈が淡い橙色の灯りを揺らした。
ゆっくりと一さんの瞳が開き、私の首の下から腕を引いて半身を起こした彼が、上から見下ろす。
額に唇が落とされた後、それはゆっくりと頬を滑っていき耳朶に口づける。耳殻に舌が這わされて私の喉からくぐもった声が漏れた。



音のない夜なのに白い障子戸の外にはしんしんとした気配。
褥を滑り出た一さんが足音を立てずに障子戸に近づく。ゆっくりと開け放ったそこには、縁まで真っ白に染めて雪が降っていた。

「いつの間に、」

「昨夜のうちから降り出したようだ」

「これでは寒いわけですね、」

後から後から降る雪が、夜明けの近い薄闇の中を白く舞い、ふるりと身が震える。
彼の白い背中が切なかった。
身を起こし傍らの寝間着を引き寄せて羽織り火鉢の炭を掻こうとすれば、戻って来た一さんが冷えた身体で私を抱き寄せる。

「もう一度、温めてくれぬか」

「一さん…、」

「次にこうしてなまえに触れるのは、いつになるか…、」

褥に再び倒された私の肌に、一さんが顔を埋めた。
部屋の片隅の刀掛けを見遣る。昨夜彼はいつもよりも丁寧に刀の手入れをした。
新政府の人たちが、第十五代将軍徳川慶喜様の排斥と幕領の強奪を企てていると聞いている。
江戸城への火付けや、江戸市中での狼藉と物騒な騒ぎを起こし、幕府側を挑発しているのだ。
激怒した旧幕府軍が薩摩藩邸を包囲したのは二十四日、昨日のこと。
江戸は混迷を極めていた。
言うに及ばす新選組にも出陣命令が出ていた。
明日は此処を出て―。

「なまえ、お前が愛おしい、」

「私も…、」

「戦には連れていけぬが、待っていてくれるか」

彼が切なげに呟いて私をきつく抱き締める。彼の髪から解けた結紐が私の頬にさらりと落ちる。
互いに繋ぎ合う唇も身体も熱さを増していくのに、残される悲しみにどこか心が冷えていく。
約束が果たされる保証はどこにもない。

「待っています。だから、ご無事で、」

「ああ、必ず、お前の元に戻る。約束する」



戦において果たされない約束を恨む事など出来る筈がない。
還り来ぬ人を待つ女を嗤う人もいない。
私は彼の消息が絶たれたあの日から、抜け殻のようにただ生きていた。
死んでしまってもいいと思ったのだけれど―。





***





「なまえ、」

「ん…、」

「起きろ、なまえ」

「んっ、んんっ」

閉じた瞼越しにも感じる朝の光が遮られたのは、彼が私に顔を寄せたからだと解る。
だけど強引なキスで目覚めることに、私は未だにどうしても慣れることが出来ないの。
そっと眼を開ければすっかり身支度の整った夫が、顔を離し私の頬に手を当てて見つめている。

「何の夢を見ていた?」

「寝言、言ってた?」

「ああ、俺の名を」

パッと顔が熱くなって動けないまま彼を見つめ返す。既に白いワイシャツを着込んできちんとネクタイを締め、空いた方の手でリムレスフレームの眼鏡をゆっくりと外した一さんは、露わになる深いブルーの奥に残る埋火をチラチラと蒼く揺らめかせ始めた。

「起きぬのならば、もう一度口づけを?」

「起きる、起きます…っ」

こうなってしまうと彼は口づけどころじゃ済まなくなってしまう。彼がせっかく締めたネクタイを外した。起こそうとした身体は彼に押されてまたベッドに沈む。ほとんど朝まで離してくれなかったくせに、信じられない…。
彼の腕に抱かれながら今しがた見ていた夢を回想する。
悲しい夢だった。
明け方の短い眠りの中で、私は一さんと離れ離れになる夢を見ていた。



やっと身体を離して一度隣に仰向けに横たわった彼を覗き込む。まじまじと見つめると、どうした?という目をしながら起き上がる。

「一さんって学生時代、剣道をやってたよね?」

「ああ、それがどうかしたか」

「あの、新選組って知ってます?」

「無論知っているに決まっているだろう。歴史上有名だ」

「それは、まあ、そうだけど。ねえ?もしも、私達が何かの理由で引き裂かれることがあったとしたら、」

「そのような事は起こり得ない。朝食は出来ているから早く起きろ。時間がなくなった。俺はもう行くぞ」

「え、もう?これでもいつもよりも早いんじゃ、」

「今夜はお前と待ち合わせをしているだろう?間違っても残業をする羽目にならぬようにな」

そう、今日はクリスマス。夜には二人でディナーに行くことになっている。
それにしても変わり身が早い。素早い動作でベッドから降りた一さんは、再び身支度を済ませた。
その姿を眺めながら、出勤前に朝食まで作って私を起こしてくれる、なんて出来た夫だろうと思うと自分の不甲斐なさが胸に来る。私は朝にだけは弱いの。
しかも彼はそんじょそこらではお見かけしないような超絶なイケメン。
この人の奥さんになれてすごく幸せな反面、何だか申し訳ないような気がしてくる。

「一さんは、どうして私みたいのでよかったの?もっと他に素敵な女性が沢山、」

「今更、何を言っている」

「だって…、」

のろのろと起き上がった私をチラリと見やってから、彼がスーツの上着を羽織った。
しょぼんと肩を落とす私を振り返り、玄関に向かいかけた足先を返し、大股で戻ってきた一さんが上体を傾けた。スッと手が伸びてくる。少し冷たいその手が私の頬を包む。指先が私の長い髪に差し入れられていった。

「俺はお前しか愛さない」

「…え、」

「未来永劫、俺にはなまえだけだ。もしも離れることがあったとしても、必ずお前の元に還る」

私の唇にこの上なく優しい唇が重なった。

「どれ程遠くに居ようと、どのような手段を使っても、必ずだ」

「一さん、好き。私、離れないよ?」

一さんが満足げに微笑む。窓の外、バルコニーにまで白く積もった雪がその肩越しに見えた。
私は彼の熱い唇を受けるごとに、こうして悲しい夢の事などすっかり忘れ去っていく。
私の髪から気づかずにするりと解けた結い紐が、枕の上に静かに落ちた。





―I wish you a memorable Christmas.




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