背負うは嫁の鑑、一枚で 

シャカシャカと、歯磨きしながらリビングに向かえば空気の入れ替えで窓を開けてたからか朝の空気でひんやりとしている。
同じく歯磨きシャカシャカ中の烝は休日の朝番組そっちのけでソファーでスマホを弄ってる。


「ひゅひゅむー?(すすむー?)」
「んー?」
「ひょひひゃお、あははひゃ(どしたの、朝から)」
「あんいぇほひゃ……ぶふっ!?」


恐らく、何でもないと言いたかったのだろうけれど、急に目を見開いた烝は噴き出しそうになった歯磨き粉を必死で手で押さえてキッチンの流しへまっしぐら。
気管に入ったのか、ゲホゲホと咳き込みながら口を濯ぐ姿が珍しすぎて私も慌てて流しへ向かって烝の背中を摩る。


「ひゃいひょふ?(大丈夫?)」
「こ、これを…」
「ふぇ?……ぶふっ!?」
「今日の午後の話のようなんだ!」


映し出されたメール画面。
やり取りの相手に表示されたのは「母」の文字。送られてきたメッセージは「ほな、出かけるついでに夕方頃そちらに寄ります」と並ぶ。
私が歯磨き粉を噴き出し、ついでに気管に入ってゲホゲ咳き込んだのも無理はない。

烝との付き合いはそこそこ長く、雪崩れ込むように夫婦になったけれど元々このまま結婚するという意思はあった。
それもあって烝のご両親には何度かお会いしたことがあって…まぁ、さすがに駆け込み入籍には驚かせてしまったけれど所謂嫁姑関係は良好だ。
とはいえ、こうして烝のご両親、いや、今は私にとっては義父母が急にやってくることは初めてのこと。
日曜日の午前中は、烝と手分けして大晦日の前哨戦の大掃除。
お昼休憩を挟んで買い出しに行って、念入りに夕食の準備をする中、手持ち無沙汰な烝はうろうろと二回目のお掃除。


「なまえ、急にこんなことになってしまって本当にすまない」
「そんな何度も謝らないでよ、なんとかなるなる!」
「ありがとう」


料理中なのに後ろからぎゅっと抱き締められて、お義母さんたちの前じゃ絶対に見せない甘えた仕草で首や耳や頬を滑って行く唇。
その深さがこのままじゃ変わる気がして慌てて頭を押さえた。


「んっ、だめ、お義母さんたち来ちゃうから」
「あぁ…」
「もうっ、こら!」


コツンとおでこを突けばゆるゆると腕は解けた。
拘束されている合間に煮えたお鍋のコンロの火を消して一安心。
…したのは私だけじゃないようで、これから数時間触れ合えない分を充電するようにまた烝の腕に捕まってしまう。
そうこうしている内にピンポーンと鳴ったチャイムに慌てて離れるのだった。



「ほんま突然ごめんなぁ」
「いえいえっ、連絡もらってからワクワクしてましたよ」


美術館巡りをした帰りとかで、ミュージアムショップのお土産と羊羹を受け取りながら嫁スマイルは全開。
ついでにと手渡されたのはお義兄さん夫婦からの金沢旅行のお土産だった。
お持たせながら早速羊羹を切って、ついでに昼間買ってきたクッキーも一緒にリビングへ運べば、お茶を出した烝が照れ臭いのか無表情の中に息子の顔を覗かせる。
お義父さんは言葉数の少ない方だけれども、「ちゃんと食ってるか」とか「なまえちゃんに迷惑かけてないか」とかそわそわしながらも烝にあれこれ投げかけている。


「この通り、円満に暮らしてるって」
「はいっ、烝さん頑張り屋さんだから」
「こないに可愛いお嫁さんもろたんやから、野垂れ死んだらあかんよ?」
「はいはい」


黒文字はなかったため、フォークで羊羹を口に運べば優しい甘さが口の中で溶けていく。
いつもののりで頬も口元も一緒に溶けていってしまっていたようで、お義母さんがクスクスと笑っているのを見て慌てて口元を引き締めた。


「なまえちゃんはほんま美味しそうに食べてくれるなぁ?」
「そんな!でも、本当に美味しいです!」
「ここの羊羹、うちでもよく頂くんよ。また持ってきたげるわ」
「ありがとうございますっ」
「太るぞ」
「やだぁ、烝さんったら」


テーブルの下、胡座をかいた烝の膝に思いっきり爪を立てた。
今はそんなこと言わなくていい、フォローし合わずにどうするつもりだと。
夕飯を用意しておいたのが正解だったようで、烝とお義父さんがビールのグラスを傾けたあたりから場の空気はお食事モードだ。
お吸い物と長芋のサラダ、煮物に加え、必死で「両親 手料理」と検索した結果ほとんどのページで出てきたちらし寿司をリビングのテーブルに並べた。
いつも以上に見た目には気を使っているつもりだけれど、器が汚れてないか、さっと見て彩りは綺麗か気になってしまって仕方ない。
こんなことなら普段から2人の食卓も見た目というのを気にするべきだった、いや、それはとても面倒くさいというズボラな私。
そもそもあんなにネットに載ってたのだから、ド定番過ぎて芸がなかっただろうか。
もっと手の込んだものを…いや、違うの、時間がなかったの!
ち、違うの、時間がないというのは別に連絡が急だったからとかそれを理由にしたいわけじゃなく!
いろんな思いが頭の中でギャーギャーと煩く駆け巡って行く。


「まぁ、ちらし寿司!」
「ひぃっ、ごめんなさい!」
「ちらし寿司久しぶりやから嬉しいわ。ねぇ、お父さん?」
「あぁ、ほんまに久しぶりやな」
「え…あ、はい、すみません?」


その久しぶりとか嬉しいという言葉にも疑いの眼差しを向けたくなるけれど、ビールと日本酒をお酌しながら恐る恐る覗き込んだ義父母の顔は綻んでいる。
これは、いい方に捉えていいのだろうか?烝に目を向ければまたテーブルの下で小さく親指を立てた。
よし、嫁の第一陣、突破のようだ。
普段やらない取り分けをして、あぁ、お義父さんの分もう少し盛ってあげれば良かったと凹みつつ、ボロを出さないようにとにかく必死だ。
一時間ほど前の、羊羹に蕩けていた時間に戻りたい。
お菓子の時間とお夕飯の時間の緊張のレベルが違い過ぎて、お吸い物の味はいつもより薄く感じた。


「なまえちゃんのお料理、お初!」
「母さん、あんまそないなこと言わんとき。なまえが緊張する」
「はいはい、すみませんでした」


確かに、改めてそのように言われると緊張するのだけれど、不意打ちで聞こえてきた烝の関西弁に私は目を見開いた。
普段は標準語の烝だけど、一応生まれも育ちも関西の根っからの関西人だ。
義父母と電話する時もちょこちょこ関西弁が出てきてその混じり具合にこう、萌えっとくるものがあったのだけれども…義父母の訪問に啓蒙の光が差したようだ。
これがあれば私はなんでもできる気がする。相変わらずの旦那愛にこの時ばかりは感謝すべきは私自身にだ。


「あ、お義父さん、ビールの次どうします?」
「せやな…何があるんです?」
「えっと、この日本酒と焼酎が何本かとワイン…は合わないかな、あと酎ハイがあります!」
「酒揃っとるなー」
「そう言えば、なまえちゃん結構お酒飲むんやったよね?烝から聞いたわ」


そんなことありませんよーなどと返せるわけがない。
自分の口で露呈させた酒飲みを今更取り消すなど不可能で、更に烝の暴露という有難くない後ろ盾のおかげで背水の陣どころか背水に呑まれた心地だ。
義父母が帰ったら文句の一つ言ってやろうと心に決めて、新しいお猪口に日本酒を注ぐ。
そのままお義父さんにも勧められ、飲み過ぎ注意の警報を頭の中で鳴らしながらちょびちょびと口を付けた。


「なまえちゃんお料理上手ね、安心したわ」
「いえ、まだまだです。もっと頑張らなくちゃ」
「烝は好き嫌いないから、なんでも食べるでしょ?」
「はい、本当に助かってます」
「とはいえ、別にまずいもん並んだりせぇへんし」
「烝は幸せ者やな。母さんの手料理なんて、最初は酷かったぞ」
「嫌やわ、貴方ったら」


クスクスと笑うお義母さんは、うちの両親より少し年齢は上だけれどとても可愛らしい方だ。
烝が私の酒飲みを義父母に話していたのと一緒で、お義母さんの話やお義父さんの話もよく聞く。
町医者のお義父さんは烝が小さい頃は仕事が忙しく、お義母さんと過ごした記憶がほとんどだそうで、烝が語るお義母さんは本当に理想のお義母さんだ。
まだまだ不慣れなことが多くて緊張してばかりだけれども、お姑さんとしてもテレビで見るような悲惨な目に合ったこともなければこの先合いそうにない。
お義父さんは事あるごとに烝を幸せ者だと言うけれど、私だって山崎家に嫁として仲間入りして十分幸せ者だと思う。


「なまえちゃんはえぇお母さんになるわね」
「いえいえ……はい!?」
「ふふ、孫の顔はよ見たいわ」
「母さん!アホなこと言わないでくれ!」
「そのうちよ、そーのーうーち」
「予定はないんか?」
「父さんまで悪ノリするなや!」


真っ赤になった顔は、ちょびっと飲んだお酒のせいにしておこう。
カーテンに仕切られた部屋の中で蛍光灯の光がはっきりとしてきて、駆け回った今日という日はあっという間に夜を迎えていた。


暖房をつけていたから外の空気はより一層冷たく感じる。
カツンカツンと階段を降りて空を見上げれば、冬の夜空に星が瞬いている。
明日もいい天気になるわね、そう呟いたお義母さんに小さく返事を返せば、白い吐息がふわふわと消えていく。


「本当に駅まで送らなくていいんですか?」
「大丈夫、寒いし大事なお嫁さんが体冷やしたら大変やもの」
「お気遣いありがとうございます、またいつでもいらしてくださいね」
「ありがとう。また寄らせてもらいます」


ベージュのコートと黒のコートに身を包んだ義父母は、マンションの前で振り返る。
お義父さんが烝に似ているからか、こうして並ばれると将来の私たちを見ているようだ。
仲睦まじい姿に憧れつつ、お義母さんみたくいつまでもスリムでいられる体を目指さなくちゃと新しい目標を見つけた。


「遅くまで失礼しました」
「いえ、お構いもできず」
「ほら、母さんたちも体冷やすから、はよ行き?」
「はいはい、ほな、またね」
「おやすみなさーい!」


テクテクと歩いていく後ろ姿を見えなくなるまで見送りたかったけれど、あまりの寒さに上着も持たずに出てきた私たちは小走りで玄関に向かう。
さっきは玄関も廊下も寒く感じたのに、屋内というだけで温かく感じて、部屋に入れば付けっ放しの暖房に冷えた手がちりっと痛むくらい温められていく。


「ひーっ、寒かったね!」
「そろそろ寝室も温めた方が良さそうだな」
「うん、お願い。私、こっち片付けちゃうね」


手分けしてお皿をキッチンに運んで、洗っている間に烝は寝室にヒーターを入れてお風呂も準備してくれる。
義父母といろんな話をした後だからか、そういう烝の気遣い一つ一つがなんだか擽ったい。


「はぁ、疲れたな」
「お疲れ様でした、喜んでくれたみたいで良かったね」
「なまえも頑張ってくれたからな。お疲れ様」
「そんなことないよーとは言えないや!あはは」


洗った矢先にグラスを出して、酎ハイを飲み出す烝に笑ってしまう。
なんだかんだ言って、弱いくせして烝だってお酒を飲む。
ちゃっかり持ち出したグラスが2つだったのにはいいこいいこしてあげたいところだ。
だけど、その前に思い出すのは…


「私を酒飲み呼ばわりしてくださったそうで?」
「酒飲みとは言ってない、酒が好きだとは言ったけれど」
「あーあ、清く愛らしい嫁の図が崩れちゃったよ」
「バレるのも時間の問題だったと思うがな」
「…あれ、関西弁もう出ないの?」
「出ません」
「つまんないのー」


酎ハイのタイトル通り、ほんのりと炭酸がほんのちょっとのアルコールを伴って喉の奥に流れていく。
数時間ぶりに2人っきりになって、こうして流れる時間の中で烝と向かい合っていると随分心地良いものだと気づく。
まだ新婚の言葉が抜けない新米夫婦だけれども、この先もずっと穏やかな気持ちでいられる気がする。


「これ飲んだらお風呂入っちゃお」
「一緒に入るか?」
「やだ、烝が誘ってくる時は危険信号だから」
「……」
「ほら、黙った」
「別にそういう意味じゃないさ」


ぐいっとグラスの中身を飲み干した烝は、じーっと目の前の私を見る。
こういう黙っている時って決まって考え事の真っ最中だ。
何も言わずに待っててやれば、真剣な顔が一瞬赤くなって、そしていつもの表情に戻っていく。


「え、なに?」
「いや、その…孫の顔かって」
「やっぱりやましいこと考えてるじゃん」
「やましいとか言うな。まぁ、そのうち真剣に考えないとなって」
「そ、そのうちね」
「赤くなってるぞ?」
「なってない!」


今度は私がグラスの中身を飲み干して、逃げ込むようにお風呂場に駆け込んだ。
鏡に映った顔は、ちょっと前と同じでアルコールのせいだと言い訳する。
孫の顔が見たい、その夢を叶えてあげるのはまだ先の話。




背負うは嫁の鑑、一枚で





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