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脇腹の銃創から零れる血液で点々と草に模様を描きながら、深い藪を掻き分けてやっと追手を撒いた原田は疲労の蓄積した足を泥に取られてたたらを踏んだ。
朝方から降り始めた冷たい雨は戦が収束しても止む気配を見せず、主戦場どころか敗走する道すらも泥濘に変え。
視界を煙らせて降り続く雨粒は、ばらばらに逃げる者にとって追撃者から身を隠す慈雨となったようだが、一方、負傷者の体温を奪い生命力を削ってゆく。
「おい、テッサ。生きてるか」
「大丈夫ですわよ。この位、冒険者にとっては怪我のうちに入りませんわ」
気丈に返す恋人は、言葉とは裏腹に原田の広い背中にぐったりと小柄な身を預けている。
彼女が左の太腿に受けた傷は深く、応急的にきつく縛った手当ての布は赤くじっとり濡れている。早くまともな治療を受けなければ、命に関わることは明らかだった。
「貴方こそ大丈夫ですの?」
「大丈夫に決まってんだろ。腹切った時と比べりゃ屁みてえなもんだ」
強がりな台詞にくすくす笑う彼女の声は弱々しく、彼の背中に伝わる体温は少しずつ低下していて、原田は焦燥に駆られ崩れ落ちそうな身体に鞭打って足を早めた。
「左之助さん、治しますわよ」
「いらねえよ」
らしくなく素っ気ない態度で提案を却下したのは、彼女の精神力が残り少ないことを彼が知っていて、また己の限界を悟っているからだ。
原田の脇腹から入った銃弾は、内臓を抉って致命傷に近い傷をつけている。
それを彼女が知れば、自分が死んでも原田を助けるだろうから。
――神保山城守邸に着くまでにこの命は尽きる。だから限りなく戦場から一歩でも遠く。
その気持ちを知ってか知らずか。
「お願い。揺れて辛いんですの、少し休ませて」
声に苦しそうな気配を感じて、彼は仕方なく雨を避けられそうな大樹の影にテッサを下ろし、その傍らに倒れ込んだ。
呼吸が荒いままの原田にそっと寄り添い、彼女が治癒を施すべく生命を司る精霊を呼び出そうとすると、それに気付いた彼が細い両の手首を握って制止した。
「左之助さん!」
「使えんのはあと一回分だろ?自分に使え」
「!」
「何でって顔してんな。ずっと見てたんだぜ。そんくらい分かるさ」
ずっと見ていた。
最初は興味本位で。
途中からは、無茶ばかりする彼女が心配になって。
「俺なら大丈夫だ。この位でくたばったりしねえよ」
さらさらとした髪の色は梨の花。土埃や硝煙で汚れていてもなお美しいそれに触れようとして、自らの血に染まった手を伸ばしかけて……止めた。
撫でる為に開いた掌を戒めるように握りしめて。
「うそつき」
ぽつりと雨粒のように言葉が降って来て、原田の拳が小さくて冷たい手に包まれる。
「ばかなひと。治癒であなたが元気になったら、わたくしを担いで走ればいいのよ。諦めが良すぎますわ」
そして、彼の手に頬擦りしながら淡紅色の口唇が精霊を呼んだ。
疲労と失血で霞む彼の目に映ったものは額に長い角を生やした美しい白馬。
それが長い首を振ると鈴を鳴らしたような音と共に、光の粒が弾けながら降り注いだ。
「もう、迎えが来やがったか」と原田はぼんやりと考えていたが、次第に視界が明瞭になり重かった身体がすっきりと軽くなる。
吐き気を感じる程だった傷の痛みも消えた。
まさかと思い脇腹を探ると、あれほど血液を流し続けた銃創が無くなっている。
「……この、馬鹿!!」
慌てて身体を起こすと、彼に寄りかかっていたテッサが力無く揺れて仰のいた。
精神力を使い果たした彼女の頬は蒼白で、口唇も色を失いつつある。
「死なせねえぞ、絶対」
しっかりと上着で包み直したテッサを担ぎ上げ全力で走り出そうとした原田の耳に、突然聞き慣れない男の声がかかった。
「お待たせ、テッサ!迎えに来たよ……って、ここ何処!?」
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