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「負けないとは言いましたけど、勝つとは一言も口にしておりませんわ」
時刻は昼七つ(16時頃)を回り、冬の日が地上に暮色を投げかけ始める頃、騒動の中心人物は漸く目を覚まして原田の見舞いを受けている。
テッサが薄紅色の頬をぷくっと膨らませて居るのは、原田が彼女に『俺達を一遍に相手しても、勝つんじゃなかったのか?』とからかい半分に言ってしまったからだ。
「悪ぃ。口が滑った」
「滑り過ぎですわよ」と、更にむくれる様子を見やって原田はテッサに興味を抱く。
鬼の副長に睨まれても怯まず沖田の揶揄に真っ向から噛みつき、少しでも怪しげな動きをすれば直ぐに気付く筈の幹部隊士を出し抜いて戦闘不能に陥らせる。
一見、千鶴よりも年下に見える彼女の表情の変わりようもまたあざやかだ。
興味深々に辺りを見回すときは、子供のように純真に。怒りを露わに舌鋒鋭く攻める割には、子猫が威嚇するように見えて。
挑発的に此方を見上げた表情は容姿とは真逆の蠱惑に満ち、精霊を使役する姿は本当に楽しげで。
そして、今は。
「縄抜けも、『精霊魔法』ってヤツなのか?」という彼の質問に、昔の仲間に教えて貰ったのだと懐かしげに答えている。
その仲間達の中に後に夫となった神官が居て、精神力を使い過ぎて失神したり無茶をして怪我をすると、テッサを叱りながら助けてくれていたのだという。
その愛した男と子を成して、年老い病で死ぬまで側に居て、そのあと十五年も墓守していた彼女がどうしてまた冒険に旅立ったのか。
気になった原田がテッサにそれを尋ねると、彼女は日が傾いて暮色に染まりつつある空を見上げてぽつりと呟いた。
「風が、呼んでいたんですの」
「風が?」
彼女は肯定の意味を込めて頷く。
テッサが里を離れ、冒険に身を投じる事になった切欠も、風の呼び声に誘われたからなのだという。
原田も同じ様に茜に染まる空を見上げるが、精霊と会話どころかその姿を見たこともない彼には分からない。
「彼が生きている間は、全く聞こえて来なかったのに」
囁くように小さく零れ落ちたその言葉は、彼の耳にも届いた。
恋しさと未だ癒えない悲しさがそこから読み取れて、隣に座るテッサを見下ろすと、綺麗な萌黄の瞳は憂いの色を深く帯びて、色恋に慣れている筈の彼の心臓を大きく跳ねさせた。
翌日から。
彼女は雪村千鶴と姉妹のように仲良くなり、ひと月後には竈からサラマンダーを呼び出して騒動になったり、井戸からウンディーネを飛び出させて噴水を作ったり、ブラウニーに『豊玉発句集』を盗ませて屯所中の追いかけっこに発展させながら、徐々にというには些か騒がしく皆と馴染んでいった。
それから約五ヶ月後、彼女の真価は池田屋の大捕り物で発揮される。
長州藩邸に逃亡をはかる不逞浪士の足を、土の精霊に掴ませてから植物の精霊を操り縛り上げて拘束する方法で成果を上げたのだ。
直後、怪しげな二人の男の逃亡を許してしまったのは彼女が精神力を使い果たして失神してしまったからではあるが、幹部隊士でも手こずる相手だった為、テッサを責める者は居なかった。
その後、蛤御門、二条城、島原での騒動とテッサが精霊魔法を使う機会が幾度となくあり、そのたびに気を失う彼女を何となく原田が介抱し。
それが恒例となる頃には恋仲となっていて。
「左之にしちゃあ、慎重に詰めてったな」という永倉に、「久々の本気だ。臆病にもなるさ」と原田は答えた。
その後、避けようの無い黄昏の時を迎えた幕府を護るべく江戸へ向かった新選組だが、原田と永倉は意見の相違から離隊する。
同時にテッサも護衛を解雇され、千鶴と名残を惜しみながら恋人と共に釜屋をあとにした。
土方から「退職金」の名目でかなり上乗せして彼女に渡された給金は、立場上見送りすら出来ない彼なりの餞別だったのだろう。
そして、慶応四年五月。
彰義隊として参戦した上野の戦いで奮戦虚しく敗れた彼等は、唯一の逃走経路である根岸から本所の神保山城守邸を目指して落ち延びて行った。
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