4.戸惑いながら

千恵はノートから足をどけると、居た堪れなくて顔が上げられないまま謝罪を繰り返した。

「本当に本当にすみませんっ! 私、いつもはこんなにそそっかしくないんですが……」

屈んでノートを拾おうとすると、同じようにノートを拾おうとした斎藤と肩がぶつかる。

弾みでグラッと揺れた体に斎藤の腕が伸び、千恵の腰をしっかりと支えた。

二度目の事故が、お互いの心に動揺を走らせる。

斎藤は勝手に体に触れたことを詫びるようにパッと手を離し、千恵が拾い上げたノートを受け取った。

「す、すまん、つい――」

「は、はい。いえ、こっちこそまた――」

ぎこちなく頭を下げた二人は、だんだんこの状況が可笑しくなって、どちらからともなくクスクス笑った。

次の急行が着いたのだろう。人の群れが階段に向かい、温かい家へと急ぐ人々が吐き出されていく。

流れの邪魔にならない隅っこに移動した二人は、なんとなくそのまま人の群れをやり過ごした。

ありがとうございました、いや、それじゃあ、と別れるのが普通なのに。



「斎藤さんっておっしゃるんですか?ごめんなさい、ノートの名前、見ちゃいました」

「構わない。君は……?」

「月宮千恵です。えっと……大学生さんですか?」

「ああ、2回生だ。人が通る前に全部拾えてよかった。手伝ってくれたお陰だ」

元はといえば千恵が原因だったが、斎藤はそこに言及するようなタイプではない。

何かを思い出したように小さく笑い、ノートをカバンに仕舞うと彼女に切り出した。

「なぜだろうな、初めて会った気がしない。いや、ナンパの類ではないんだが……電車で会っていたのかもな」

「斎藤さんもですか? 私もです、不思議ですね。本当に通学の電車で会ってたのかも、クスクス。

 あ、ノート汚れちゃったんじゃないですか? 本当にごめんなさい! ノート代払います」

「いや、構わない。それより、その……予定はいいのか? 急いでただろう?」

「え? あっ! ……もういいです。連絡を入れて謝って、家に帰ります。こんな格好じゃ行けないし」

「こんな格好?」

どうやらパンストが伝線している事など、全く目に入らなかったらしい。

斎藤は、やっぱりどこか怪我をしたのか、それとも服をひどく汚したのだろうか、と心配そうに彼女を見た。

「あ、だ、大丈夫です、から」

気付いていないなら、このまま気づかないで欲しい。

千恵は耳を赤くしてブンブンと手を振り、彼の視線が足元にいかないよう別の質問をした。

「斎藤さんは大丈夫なんですか? 駅に向かうって事は、どこかに行く予定じゃないんですか?」

「友人達と会うつもりだが、気の置けない付き合いをしている連中だから、遅れても問題ない。

 君は……月宮さんの彼氏は突然キャンセルしても怒らないのか? デートだろう?」

「ええっ!? 違いますよ、ただの女子会です! そんな、彼氏なんて……いませんよ」

目を白黒させて否定する様子に、斎藤はなぜかホッとしていた。

彼氏がいないと分かって、なぜ安心したんだろう?

どうして俺はまだ、駅に向かおうとしないんだ?

話し続けるほど話題もないのに、終わらせるきっかけを探さない自分が可笑しかった。


けれど、いつまでもこうしていられない。

偶然のきっかけは単なる事故なのだから。

斎藤はポケットで震える携帯を取り出し、着信を見た。総司からだ。

「俺だ、今駅前にいる。いや、まだ電車に乗っていない。酒? 分かった、途中で買っていこう」

携帯をしまって顔を上げると、申し訳なさそうに見上げる瞳にぶつかる。

まいったな、罪悪感を持たせてしまった。

斎藤は少し眉を下げてやんわりと笑み、彼女の大きく泳ぐ困ったような目を見つめた。

「大丈夫だ」

自然に手が伸びた。

初めて会ったはずの、小柄な彼女の髪に指先が触れると、それが当たり前のような気がした。

斎藤が優しく髪を撫でると、千恵の瞳が戸惑うように揺れ、二人を温かい何かが包み込む。

このままずっと撫でていたい。

このまま彼に触れられていたい。

――離れたくない。



心の奥で、小さな何かが瞬いた。






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