恋愛休業中


乱暴に扉が開けられて休憩室の隣にある給湯室に押し込められたのだと気付いたのは、扉が閉められた後。
背には壁、目の前には、先程デスクで煙草を消していた土方さんの姿。

眉間に皺を寄せ、睨み付ける二つ紫紺が目の前に。視界の両側には長い腕。そして背中には壁があり現状を飲み込めないまま混乱した思考回路。

「新八の担当を外さねぇのは、お前なら出来ると思ってるからだ」
「……、」
「今、あいつは人気作家の一人だ。大事な作家を任せてんのは俺も信頼してるからなんだよ」
「……はい」
「お前を担当にしてるのは新八の希望でもある」
「……知らな、かった」
「だから、お前以外に担当は有り得ねぇ」

無意識な独り言はしっかり土方さんの耳に届いていて、編集長としての真摯な言葉が私の暗い気持ちに終止符を打つように響く。
嬉しくて涙が込み上げてきそうになり、涙腺が崩壊しないように唇を噛み締めて何度も頷く。
仕事だけでもいい。認めて貰えるのなら全部が欲しいと欲張る事を辞めようと霞んでいく視界で土方さんを見て、返答の代わりに頷いた。

「それと……仕事とプライベートは分けろ」

刹那、頷いたままだった私の図上から降って来た辛辣な言葉に緊張が走る。
数日前に聞いた同じ台詞は今も尚、胸の奥深くに残ったままだった。
同じように頷いてこの場を立ち去ろうにも行く手は総て塞がれている。
締切を守れないのは現を抜かしているからだと言葉の意味を捉えた私が出来る事。

「すみませんでした。以後、気を付けます」

喜びの涙が悔し涙に。
噛み締めていた唇は更に強く。けれど、返って来たのは溜め息混じりの呆れた声。

「最後まで聞いてから謝罪しろ」

塞いでいた右手で長い前髪を掻き上げたのが視界の隅に入った。

「この前は、ああは言ったが…、適度なら公私混同も見逃してやる」
「……?」
「まず、完璧に分けろってのがお前には無理だな。だったら境界線は俺が引いてやればって思えてな」
「私……、フラれて」

漸く顔を上げ、ぶつかる視線と紫紺の奥に写し出される自分の姿。
自分で言っていて致命傷になんて不安は吹き飛ぶ位に、耳を通り抜けて行く言葉が自分に都合良く変換されていないか疑念を抱く。
見上げた先には、呆れた表情を浮かべた後に眉を顰め蟀谷を抑えている一人の男性の顔をしている土方さんが居る。

「はあ?」
「だって、仕事とプライベートは分けろよって」
「どれだけマイナス思考なんだよ、てめぇは」
「これからはって言っただろうが。第一、これから締切だって時に言ってくんじゃねぇよ」
「……だって」
「言い訳の前に今直ぐ切り換えろ」
「無理」
「新八には今日中に原稿上げられなかったら俺が直々に取りに行くって脅し掛けておいた。今日中に終わらせて仕切り直しだ。それならいいな?」

都合良く変換されていないか疑念は未だに残る中、再度重なる視線。先に逸らせたのは土方さんで、取り出した煙草を咥えてフィルターを甘噛みした。

「嘘、じゃないですよね?」
「冗談で作家に脅し掛けるわけねぇだろうが」

二色の炎を灯したライターを煙草に寄せて焼ける音と共に紫煙を天上へと送り出す。
今起きた事が都合の良い夢であって欲しくないと焦る気持ちを露に土方さんのスーツを、また掴んで意識此方へ向かわせた。
あの日、あの時と同じ箇所を再度縋るような気持ちを抱えたままにして。

「本当に?」
「何度も同じ事言わすんじゃねぇ」
「……でも」
「あの時も、ちゃんとこれからはと前置きをした筈だ」

背中越しに紫煙が宙に舞い上がっていくのが見える。その後ろ姿を見上げて初めて気付く。耳が微かに紅く染まっている事に。
あの日、あの時と全く同じで、違うのは見上げた先に微かな紅い色。あの時、掴んだスーツを俯いたまま見ていた私と、土方さんの背中を見ている今の私。
もし、あの時に今と同じ事をしていれば。憶測が過る。

「好きです」
「知ってた」
「大好きなんです」
「それも知ってた」
「短期で直ぐ怒鳴るし、何時も眉間に皺寄せてるし、煙草吸い過ぎだし」
「貶すなら本人の居ねぇところにしろ」
「それでも好きなんです」
「……そうか」

掴んでいた裾を離し、その背中に頬を寄せて蓋をした気持ちを曝け出す。紫煙とパフュームの香りが鼻孔を擽り、背中から伝わる体温が涙腺の崩壊を誘ったかのように滴が頬を伝っていく。
夢なら醒めないで欲しい。
寝不足が続いた身体と脳から疲労の二文字が吹き飛ぶ位に胸が高鳴った。

だが、やはり仕事の鬼と異名を取る敏腕編集長。

「解ったならさっさと仕事片付けるぞ」
「……切り換え早過ぎです」
「発売日は待ってくんねぇんだよ」
「出版業界の悲しい常識ですね」

その切り換えの早さも異名に恥じぬ早さだった。

短くなったフィルターを携帯灰皿に捨て、ジャケットを正して編集長の顔へと戻っていくその横顔。
余韻に浸る程時間がないと解っているだけに反論は無駄。締切前の肌荒れと涙で落ちかけたメイクを直して永倉先生のお宅に向う方が優先だと背中から離れて深呼吸を一つ。

「仕切り直しは日付変更だ。遅れんじゃねぇぞ」

気を引き締めた瞬間、ふわりと伸びて来た手が髪を撫でそのまま引き寄せられた。

「仕切り直しまではお預けだな」

頭上から降る囁きに引き寄せられた胸元で耳を傾け、後頭部を包む手を毛先まで滑らせる。たった一度だけ髪を撫でられただけなのに、みるみる熱を帯びていく頬。きっと耳まで紅く染まっているに違いない。
煩く響く鼓動と紅く染まった顔を隠す為に軽く頭を下げて部屋を出た。

急いで乗り込んだエレベーターの中、腕時計の針は刻一刻と時を刻み続ける。
上昇中の心拍数を下げようと熱を帯びたままの頬を軽く叩き、再度深く息をした。
運命の時まで後半日。



只今、恋愛休業中



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