73 体調

衣替えも済み、日差しが気持ちいい四月の半ば。昼餉の後千鶴の部屋を訪れた千恵は、書類仕事を一緒にしていた。

漢字が苦手なの、と恥ずかしそうだったのはついこないだなのに、千鶴は字典を開く事もなく書き進めている。

土方から写本を頼まれて、一冊仕上げた事で自信もついたし、猛勉強の成果が表れていた。

千恵も、旧字体にはかなり苦労したが、今では新漢字の方が浮かばない程この時代に馴染んでいた。

「そろそろはじめさんが巡察から戻る時間かな。続きはまた明日にしよっか。洗濯物取り込むね」

「うん、私もお茶出しして、夕餉の下ごしらえをするからお勝手に行くね。あっ、沖田さんのお布団お願いできる?」

千恵は頷くと、庭から洗濯場に向かった。乾いた衣類をどんどん廊下に積んでいき、最後に自分も廊下に上がる。

廊下の向こうに沖田の姿が見え、慌てて布団を取り込みに行くと、沖田もこちらへやって来た。

「ごめんなさい、出来るだけ日に当てたいから後回しにしちゃった。今畳みますね」

「いいよ、夕餉まで横になるから。今日は割り振りのうち一番広い区域を回ったから足が疲れたんだ」

そう言うと、沖田はズルズルと布団を部屋に引っ張りいれ、襖を閉めてすぐ横になった。

本当は熱で体がだるく、ちょっとどころかかなり疲れていた。だが、心配はされたくない。

コホッ。慌てて袖口で押さえて音を消そうとしたが、咳の音が部屋に響いた。……ばれちゃったかな?

耳のいい彼女に聞こえたかもしれないと思いつつ、瞼を閉じて体の力を抜いた。体がだるい。

いつまで隊務に参加し続けられるだろう。既に月のうち半分近くが非番になっている。

そのうち……毎日が非番になるんだろうか。

労咳を移すのが怖く、広間での食事が苦痛になってきていた。もう部屋で食べるべきだろうか、と考えていると。

「沖田さん、入っていいですか?」

襖の外から千恵が声を掛けた。寝るって言ったのに、まったく。沖田は顔をしかめた。


「はぁ……いいよ、どうぞ」

襖を開けた千恵は沖田に返す洗濯物と一緒に、湯呑みを枕元に置いた。甘い香りが沖田の鼻に届く。

「レンコン汁と生姜汁をお湯で割って、お砂糖で甘くしてあります。咳と咽にいいから飲んで下さい」

「はぁ、相変わらず無防備だね。布団で横になってる男の部屋に一人で入ってきたら危ないって思わない?」

……少し意地が悪いな。体調が悪くイラついているので、完全に八つ当たりだと分かってるが、つい言ってしまった。

「腰に近藤さんから貰った懐剣を差してるんですよ? 沖田さんはそれを抜かせて近藤さんを悲しませたりしません。絶対に」

「抜かせるまでもなく組み敷けるね、絶対に」

「じゃあ検死役は土方さんで介錯は斎藤さん、埋葬は山崎さんにお願いします。楽しみでしょ?」

「……それ、最悪の組み合わせだね。絶対に嫌だ。地獄に落ちるにしても、もう少しましな死に方がいい」

「フフフ、でしょ? ああ、それと、地獄なんてありませんよ? 地面はどこまで深く掘っても地面。
 
 その下には熱い溶岩が流れてて、閻魔様が住むような空間はありません。死んだら土に還るだけです」

「プッ、ハハハ、じゃあ人斬りも坊主も行き先は一緒ってわけ? 面白いね、じゃあ罰はいつ受けるの?」

「生きている間の罪悪感が罰なんじゃないですか? 罪悪感じゃなければ、重荷っていうんでしょうか」

「……病気も罰かな?」

「だったら病気で生まれてくる子はどんな罪なんですか? ありえない。病気は病気、考えすぎですよ。

 しっかり食べてしっかり休んで下さい。色々調べたんです。労咳で亡くなる人も多いけど、生きてる人も多いんです。

 意固地にならず、ちゃっかり生き残って土方さんの白髪をからかう位長生きして下さいね」

そう言うと、千恵は部屋を出て行った。白髪頭の土方さんか……クスクス、見たいな。

なんだか病人ぶっているのが馬鹿らしくなって、気持ちが軽くなった。枕元の湯呑みに手を伸ばし、上体を起こす。

生姜で咽がピリッとしたが、砂糖をケチらずに入れてあるそれは、甘くて美味しかった。

……これ、また頼もうかな。

飲み干した後ゴロリと横になると、さっきより体が楽な気がした。病は気から、という言葉を思い出す。

少しまどろんで体を休めた沖田は、広間の夕餉に顔を出した。膳の物を残さず食べると、千恵が満足そうに笑っていた。




夜、寝支度をしながら、沖田の体調を心配する千恵の話を聞きつつ、斎藤は敷いてある二組の布団を眺めていた。

……今月もか。何故?

半年以上閨を共にしていると、相手の体調などは大体分かってくる。

月の物の周期も何となく分かり、始まればそれとなく気遣って早めに休むよう声を掛けたりしている。

だが、血の障り以外で月に数日、続けて布団を離すのは何故か? その意味が分からず、聞いてみたくなった。

斎藤は布団に入ろうとする千恵に、声を掛けた。

「千恵、今夜は何故布団を離す? 月の物はまだ先だろう? 無理強いするつもりはないが、理由が知りたい」

「あの……」

言いにくい事なのか気付かれたくなかったのか。千恵は口ごもって沈黙した。

「言いたくないならいい。体調は悪くなさそうだったから、不思議に思っただけだ。嫌な日もあるだろう、すまん」

「違います! ごめんなさい。あの……まだ赤ちゃんは欲しくないって言ったら、怒りますか?」

「いや、それは欲しい欲しくないに関わらず出来る時には出来る……! ひょっとして懐妊を避けていたのか?」

「……ごめんなさい。もっと早く言うべきでしたよね。私……屯所を離れたくないんです」

千恵は、確実性は低いが生理周期を利用した避妊法があり、出来やすい日を避けていた事を打ち明けた。

考え込むような様子の斎藤を見て、落ち込んだ。そうだよね、早く欲しいかも知れないのに一人で決めて、勝手だよね。

うなだれていると、そっと頭に手が乗せられた。撫でて……くれてる?

「はぁ、そういう事はもっと早く言え。千恵が望まんのに急かすような事はせん。離れるのは俺も辛いしな。

 だが……求める事はやめんし、もし出来た時は……産んでくれ。

 結婚前にも言ったが、俺はお前に再び巡り合いたい。子供もお前も欲しがるのは我侭か?」

「はじめさん! 全然我侭じゃないです。勿論出来たら嬉しいし、必ず産みます。

 ……我侭は私の方です。まだしばらくは二人で過ごしたい、そばに居たいって、それだけの理由で――」

「ふっ、大きな理由だ。俺もお前もまだ若い。流石に十年は待てんが、時間は充分ある。

 それに、休憩所に移るのは心細いだろう。千恵の事だから出来たらいい母親になるだろうが、まだ先でいい。

 そういう理由ならきちんと協力するから、もうそんな顔をするな。怒ってないから安心しろ」

穏やかな顔で微笑む斎藤を見て、千恵はやましさが消えた。

本当に……はじめさんは優しすぎるくらい優しい。

気持ちを尊重してくれた事が嬉しくて千恵も微笑むと、斎藤は布団を寄せて掛け布団を重ね、彼女を抱き締めた。

「体を繋がなくていい。こうして居たいだけだ。……いや、もう少し出来るな」

……はじめさんの目が悪戯っぽく光った?

千恵は困った事になりそうな予感がした。彼に関する限り、この予感は大抵、的中する。

「大丈夫だ、お前は愛されていればいい。可愛い顔がみたいだけだから、俺の事は気にするな。……楽しもう」

え? ええっ!?

斎藤は千恵の焦る表情を面白そうに眺めると、ゆっくりと顔を近づけ、口付けから始めた。

内緒にしていた事へのささやかな罰だ。……苛めたい気持ちが少し、愛が沢山なら許されるだろう。

千恵の夜着を広げると、わざと焦らしながらゆっくりと火をつけていく。

日々艶を増す愛妻が可愛く喘ぐ様を眺め、斎藤は機嫌よく笑んだ。



「恥ずかしすぎます」

「何故? いつもとそう変わらん。たまにはこういう愛の交わし方も悪くない。ククッ、可愛らしかった」

顔を手で覆って身の置き所をなくしている千恵に、斎藤は慰めにならない慰めを言うと、満足そうに笑った。

斎藤の手と口で達してしまった事が恥ずかしく、半べそをかいていると、ギュッと抱き寄せられる。

「愛してる」

……ハァッ。結局これで全部丸く納まってしまう。もうっ、ズルイんだから。

それでも言葉は心に響いて、黙っていたお詫びも込めて自分からそっと唇を重ねた。

「私も愛してます。ありがとう、はじめさん」

「っ!!」

初めて千恵の方から口付けられた事に驚き……愛しさがこみ上げた斎藤は、その喜びを伝えたくなった。

「もう一度……どれくらい好きか伝えよう」

「んっ……んんっ!?」

再び口付けから始まった愛撫は、千恵が悦びに身を震わせて脱力するまで続いた。

これが毎月の恒例になるとは思いもしなかっただろうが。斎藤の愛情はしっかりと伝わったようだった。




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