62 後朝

祝言の翌朝。暁七つ(四時頃)に目が覚めた斎藤は、布団から出ると鉄瓶の湯冷ましを飲んで咽の渇きを癒した。

いつもならそのまま身支度に取り掛かり、道場に行って明け六つまで鍛錬でもして時間を潰すのだが。

今朝は宿にいるので、それが叶わない。斎藤は夜着のまま、昨日娶った新妻の側に居てやる事にした。

千恵はまだぐっすりと眠っていて起きる心配がなさそうなので、その寝顔をゆっくり眺めていると。

昨夜の契りが脳裏に甦り、嬉しさと申し訳なさが混ざり合って思わず微苦笑を浮かべた。

どうしようもなく浮かれてしまうのは、仕方ないだろう。律儀に祝言まで待ったのだから。

肌の白さ、内側の熱さ、可愛い声。贈られた甘いひと時への感謝と、健気さへの労わりを込めて、そっと口付ける。

ただほんの一瞬触れただけの唇から、脳幹を刺激する甘い情欲が沸きあがり、千恵の白い首筋に目がいった。

起こしてもう一度求めたら怒るだろうか? などと、朝を迎えるのにふさわしくない考えがチラついてしまう。

そんな視線に気付いたのか、口付けで目が覚めたのか、千恵の瞼がゆっくりと持ち上がった。


「ん……もう朝? なんでこんなに真っ暗……あっ! 斎藤さん!

 えっと……はじめさん、お早うございます。もう起きてたの? まだ暗いですよ?」

「ああ、起こして悪かった。疲れているだろう? まだ眠ってていい」

「もう目が覚めちゃいました。でも夜明けまでまだ後一刻ぐらい時間がありそうですね」

「そうだな。千恵、体は大丈夫か? その……痛みや不都合があるなら、言ってくれ」

起き抜けの笑顔が眩しくてついっと目を逸らすと、千恵の寝乱れた胸元に目がいって余計に動揺した。

「えっと……はい。大丈夫みたいです。あのぅ……鬼だって事、忘れてる? 結構、得な体質なんです」

なるほど。すっかり失念していたな。ニコリと笑う千恵は明るく、気遣って隠している訳でもなさそうだ。

斎藤はひどく安心した。昨晩見た苦痛な表情が忘れられないからだ。初めてで仕方ないとはいえ、申し訳なかった。

「あの……一緒のお布団に入ったら駄目ですか? はじめさんにくっつきたいな、なんて」

ああ、申し訳なかったと反省した所なのに。そんな風にねだられては、たがが外れてしまう。

斎藤は、千恵が布団に潜り込んで来ると、その邪気のない笑顔に内心苦笑しながら、温かい体に覆い被さって口付けた。

柔らかい唇の隙間から舌を滑り込ませ、戸惑っている千恵に少しは男を分かれ、とばかりに舌を吸ってやる。

「んんっ……」

千恵の息が少しずつ荒くなり、頃合を見て緩んだ袷から胸元に手を差し込むと、驚いたように目を開けた。

「は、はじめさん!?」

「ああ、折角誘って貰えたんだ。据え膳は頂くぞ? そんなつもりじゃなくとも……もう遅い」

夜明けまでにもう一度。今度はもっとよくしてやろうと思いながら、斎藤は千恵の肌に手を滑らせた。




襖を隔てていた昨日の朝まで、とても真面目な人だと思っていたのに。

どうやら我慢してただけらしいと分かった後朝(きぬぎぬ)の夜明け。私は満足そうに笑む夫の腕の中にいた。

頭を持ち上げて、障子窓に目をやる。ちょっと明るくなってきたし、そろそろ明け六つかな。

「はじめさん、夜が明けてきたみたいだから、身支度しませんか?」

「そうだな、そろそろ起きるか。……いや、やはりもう少しだけこのままで居よう。嫌か?」

「そんなことないです。フフフ、はじめさんと二人で朝寝坊してるなんて、変な感じ」

「ああ、俺もだ。帰ったら元通りの生活だから、今日は特別だ。今だけ、少し浮かれさせてくれ」

「アハハ、浮かれてるんですか?」

「当然だろう? そうでなければ朝っぱらからこんな真似はしない。もう千恵は……俺の物だ」

その言葉通り、はじめさんは嬉しそうに私をグッと引き寄せて腕の中に抱え込んだ。

固い胸元に頬を寄せて、はじめさんの香りを吸い込むと、なんだか心臓がドキドキしてくる。

最初の頃は無口な人、ぐらいにしか思っていなかったのに。いつのまにか恋をして、付き合って、結婚までしてしまった。

結婚なんてまだまだ先の話だと笑っていたのにね。人生、何があるか分からない。

でも……間違いなく、今が一番幸せだって胸を張って言える。それが何より嬉しい。

はじめさんの体温を目一杯感じて、私が幸せに浸っていると……。

背中を抱き締めていた大きな手がソロリとお尻に下がっていく。え!?

「……はじめさん?」

「ん? ああ、つい……な」

お菓子を盗み食いしようとして見咎められた子供のように、ボソッと言い訳するのがおかしくて、クスクス笑った。

私の旦那様は、思ったより悪戯好きなようだ。そして、私の事がとても好き、らしい。



二人きりで頂く朝餉はとても新鮮で、今頃みんな二日酔いかなぁなんて考えながら、味噌汁を啜った。

普通の結婚なら、こんな風に二人きりの食事が毎日続くんだろう。それはそれでとても贅沢な幸せだ。

でも。私は皆と食べるのがやっぱりしっくりくるなぁ。斎藤さんはどうなんだろう。

あ、違った、はじめさんだっけ。練習しないと、慣れるまでごちゃ混ぜになりそうだ。

「千恵、……千恵? 聞いているか?」

「え? あ……ハハ、ごめんなさい、考え事をしてました。皆飲みすぎてないかなって」

「ククッ、何人かは間違いなく青い顔になっているだろうな。ところで、紅葉狩りには行けそうか?

 その……なんだ。体が辛いようなら、今日はゆっくり過ごしてもいい」

……貴方がそれを言いますか? や、充分自覚してるから、目が泳いでるんでしょうけど。

少しバツ悪そうに言う様子がなんだか可愛らしくて、ちょっぴり呆れながらも一応労わりには感謝した。

「フフフ、大丈夫ですよ? 心配してくれて有難う。私も楽しみにしてたし、折角だから行きましょう!

 いつもと違って着物だから、少しゆっくり歩いてもらえると助かります」

「ああ、そうしよう。……すまん」

明らかにホッとした様子で、でもやっぱり悪いと思ったのか、小声で謝罪するはじめさんの頬は少し赤かった。

社会人としては圧倒的にはじめさんの方が経験豊富だけど、夫婦としては二人とも初心者。

色々相談し合いながら、少しずつそれらしくなっていければいいな、と思いながら、宿を立つ支度をした。




「祝言の翌日に山登りぃっ!? 斎藤、お前少しは労わってやらねぇと。……で、どうだった?」

「紅葉がちょうど見ごろで綺麗でした。千恵も楽しんでいましたが……まずかったでしょうか?」

「普通なら休ませるだろ。そのつもりでこっちも非番にしといたんだ。まぁいい、明日からまた気張ってくれ」

「はい、勿論です。このたびは色々とお気遣い有難うございました。では、失礼します」

斎藤が退室した後、土方は溜息をついた。月宮はおぼこだったろうに、まさか朝から山登りとはな。

二回戦まであったとは露知らず、土方は元気な若夫婦に感心しつつも、新妻を気遣って明日も非番にしてやろうと決めた。

この男も、千恵が鬼だという事はすっかり失念しているようで。斎藤に振り回されて気の毒に、と見当違いの同情をした。


千恵はなんだか皆が優しいので、くすぐったかった。白無垢はとても重たかったから、疲れたと思われたのかな?

働く気満々で戻ったのに、仕事は取り上げられ布団に押し込まれ、なぜか膳も部屋に運ばれた。

元気なのになんで? と思ったけど。気遣いを無にするのも悪いし、そのまま部屋で休む事にした。

まさかその頃広間で、夫が皆に小突かれていたなど、知る由もなかった。



兎にも角にも。こうしてめでたく、斎藤と千恵の屯所での夫婦生活が始まった。

近づく動乱の気配は未来に暗雲を立ちこめさせていたけれど、屯所の中はまだまだ平和そのものだった。




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