60 祝言

慶応元年十月末日、京都某所。森に囲まれた静かな邸宅は、いつになく人で賑わっていた。

広間には祝いの膳が並び、玄関で刀を預けた新選組の幹部一同は、落ち着かない様子で座っている。

遊郭とも料亭とも違う、落ち着いた佇まいの部屋には、趣味のいい掛け軸と美しい生け花が飾られている。

井上が離れの留守を引き受けたので山南も駕籠で来ており、静かに主役の登場を待っていた。

するとそこに、鬼側の貴賓として招かれた風間が、同じく腰の刀を預けて入ってきた。

もっと仏頂面で入って来るかと思いきや、意外にも口元に笑みを浮かべ機嫌が良さそうだ。

「まさかこのような形で同席するとはな。今日だけは特別だ、頭領の祝言につまらん話で水は差さん」

「ああ、俺達にもそのつもりはない。斎藤君と月宮君の晴れの日だ。共に祝おうじゃないか!」

近藤は朗らかに笑うと、隣に座る斎藤の肩を叩いた。斎藤は苦笑しながらも、風間に軽く会釈した。

「雪村です、失礼します」

末席の方の襖を開けて、千鶴も部屋に入ってきた。軽く皆に会釈して席に着く間、彼らは呆然とその姿を眺めていた。

千恵が結婚を機に、もう着られないからと譲った桜色の振袖を身に纏い、髪を柔らかに結い上げ化粧もしている。

男装した姿しか見た事のない一同にとって、千鶴の女に戻った姿は、言葉を失うほど衝撃的だった。

淡い紅が愛らしい顔立ちを女らしく引き立たせ、豪華な振袖が、控えめな千鶴に清楚で上品な華やかさを与えている。

外には木枯らしが吹いているのに、そこだけに春が訪れたようだった。最初に口をきいたのは、原田だった。

「綺麗だぜ、千鶴。元がいいから着物に負けてねぇ」

「千鶴ちゃん……だよな? いやぁ、驚いたっつーかなんつーか……。別人だな」

「新八さん、どう見ても本人でしょ。でも、確かに綺麗だね。見慣れたむさ苦しいのばっかりだから、余計引き立つ」

「雪村君もこうして見ると、やはり年頃の女性ですね。いつもあんな成りをさせて申し訳ない」

「いえ、山南さん、そんな事! 皆さんもあんまりからかわないで下さい。こ、困ります」

千鶴は皆が一斉に自分に注目するのが恥ずかしくて、少し目を伏せて頬を赤らめた。その様子がまた可愛らしい。

「いや、山南君の言う通りだ。当たり前だが、君にはやはりそっちの方が良く似合う。

 たまには雪村君と月宮君に、女物を着せてやるべきだな。そう思わんか、トシ。……トシ?」

「……ん? あ、ああ……そうだな。よく似合ってる。お前も桜になったみてぇだ」

千鶴に見入っていた土方は、近藤に声を掛けられて初めて我に返った。言葉が自然と口をついて出た。

土方にしては珍しく、選びもせず考えもせず、素直な心情のまま感想を言ってしまい、少し気恥ずかしくなった。

「そんな……。でも有難うございます、嬉しいです」

桜のようだなんて……でも着てよかった。千鶴は、普段なら聞けないような賛辞を貰って自然に微笑んだ。

高い物だと分かっていたので何度も断ったが、着る人が居ないのは着物が可哀想だと言われてようやく折れたのだ。

化粧はお菊さんに任せたが、自分でも鏡を見て驚いた。化粧一つで変わるのね、としみじみ思った。

「皆の言い方だと、普段は別にって感じじゃねぇか。俺は……普段の千鶴も綺麗だと思う。

 今日は特別だけど、女物着てなくたって千鶴は千鶴だし。化粧してなくても可愛いし」

平助は、土方の言葉と様子になぜだか張り合うような気持ちになり、勢いに任せて言い切った。

途端に猛烈に恥ずかしくなったが、撤回する気はなかった。負けらんねぇって思ったのは、なんでだろう?

速まる心臓を落ち着けようと必死になる平助を見て、風間が愉快そうに口角を上げる。

「フン、淘汰されて残った優秀な鬼の血から、醜い容姿の者は生まれん。顔立ちが美しいのは当然だ。

 月宮の花嫁姿もきっと、人には眩しかろうな。斎藤、大事にせねばバチが当たるぞ。

 本来なら出会う事も叶わぬはずが、人間のお前の元に現れたのだからな。

 今日の祝言をもって、お前も鬼に同胞として迎え入れられる。月宮はどの里にも入れる通行手形のようなものだ。

 新選組に飽いたら、鬼の里にでも行くといい。どこでも歓迎されるだろう」

風間の言葉に、斎藤は驚いた。勿論、その場に居る皆もだ。姻戚となった人間も……鬼の一族に加わるのか。

鬼だけで暮らしていると思っていたが、案外人とも繋がりがある事が分かり、少しだけ前より鬼が身近に感じられた。

「俺も鬼の……お前達の同胞として扱われるのか? ……分かった、心に留めておく。離れる気はないがな」

斎藤は、風間の言葉に嘘はないだろうと思い、柔軟に受け止めた。新選組を離れる気は更々ないが、いざという時は

千恵を預けよう、という心積もりだけしておいた。千恵を手離すつもりもなかったが、避難場所はある方がいい。

その時、斎藤の後ろの襖が開き、千姫が顔を出した。こちらも鬼だが、風間の言う通り確かに美人だ。

「皆さん、お待たせしました。今日の主役が登場しますので、ひっくり返らないように気をつけてくださいね!」

溌剌とした通る声がそう言うと、後ろから侍従の菊に介添えされながら、千恵が部屋に入ってきた。




桜を散らした織り地に、桜の刺繍が重ねられた白無垢。正絹の柔らかな光沢と上品な風合いが、白銀のように輝く。

少し緊張した様子が初々しく、紅の鮮やかさが目に印象的だった。千恵が座るまで、ひと時静寂が部屋を包んだ。

なるほど、ひっくり返るなと前置きするだけの事はある。千鶴とはまた違った美しさに皆、目を見開いた。

斎藤は、開いた襖から出てきた千恵を見たまま、喉が渇いて心臓がうるさく鳴るのも気にせず、ただ見惚れた。

部屋に足を踏み入れた千恵と、視線が絡まる。途端、手を引いてこの場から抜け出したいと思った。

他の者に見せるのが勿体無い。自分だけが眺めたい。自分達の為の祝いだというのにそう願うほど、千恵は綺麗だった。

惚れた欲目を差し引いても、確かに千恵は器量がいい。だが、今日は特に……世界一綺麗だ。

そんな風に熱い視線で見上げる斎藤に、千恵は少し頬を染めて柔らかく笑んだ。今から夫となる人に愛を込めて。

千恵が席に座った後もしばらく場は静かなままだったが、土方の咳払いで近藤が我に返り、音頭を取った。

「さあ、長い挨拶は無用だろう。大切な我らの仲間の門出を祝おうじゃないか。斎藤君、月宮君、杯を持ちたまえ」

菊によって静かに注がれたお神酒を口元に近づけると、斎藤と千恵は三々九度の仕草でそれをゆっくり飲み干した。

途端に盛大な拍手と祝福の歓声が上がり、近藤の乾杯で酒宴が始まった。

山南と原田の胸にはほんの少しだけチリッと痛みが走ったが、それよりも喜びが勝るのは相手が斎藤だからだろう。

どう眺めても似合いの新郎新婦だ。斎藤の目には穏やかで深い愛情が表れているし、千恵の瞳も同じ想いを湛えている。

幸せに。贈る言葉はそれだけだった。

風間も平助や土方らと酒を酌み交わし、静かにこの祝宴を楽しんで、人と鬼の入り混じった賑やかな宴が続く。

やがて膳も空になり皆酔いも回り、数人ずつ寄って談笑する部屋から、千恵が菊に促されて退出した。

その後も斎藤はしばらく付き合ったが、流石にこれ以上飲むのはまずいだろうと思い、席を立つ。

「局長、副長、総長。今日は万障繰り合わせてお集まり頂き、有難うございました。

 風間、千姫。これからも宜しく頼む。今日の為に骨を折ってくれて、本当に感謝している。

 皆も、後は酒宴をゆっくり楽しんでくれ。明日の夕刻には屯所に戻るから、悪いが先に退室する。皆有難う」

斎藤は一同に頭を下げると、千恵と同じく部屋から出て行った。



千恵は白無垢を脱ぐと、今日の為に用意した普段使いの着物に着替えて、肩の凝りをほぐした。

折角だからもっといい着物を、とお千に勧められたが、いつでも使える物の方が役に立つからと笑っていなした。

大きく結った髪も梳いて小さくまとめ、夏に貰った玉簪を挿すと、明日着る袴などを包んだ風呂敷を持って、斎藤を待つ。

しばらくすると、いつもの着物に着替えた斎藤が部屋に来て、千恵と共に玄関に向かった。

「待たせたな。皆には挨拶しておいた。後は帰ってから礼を言えばいい。千恵、手を繋ごう」

「はい」

お互い少し恥ずかしく思いながら微笑み合うと、静かに屋敷を後にした。

夫婦としての長い道のりが始まる最初の日。斎藤と千恵は幸福な第一歩を踏み出した。






「二人とも行ったな。俺の対応には満足したか? お前の頼みなら、聞いてやらぬ訳にはいかぬからな」

「ええ、満足よ。……有難う。綺麗で幸せそうで、本当によかった」

「お前もいずれそうなる。必ず」

風間は少し頬を赤らめた千姫を見て、愉快そうに口角を上げて笑むと、一人、屋敷を後にした。

その着物に焚き染めた香の香りだけが、風に乗って微かに千姫の鼻腔をくすぐった。





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