59 準備

十月頭。千姫は、結婚の準備を仕切りながら、戸籍上は八瀬の者となった千恵に代わり、頭領として招待状を書いていた。

宛名は風間千景。

今は薩摩に手を貸しながら、人と手を切る機会を伺っているであろう彼に、こんな形で会うことになるなんて。

千姫は進まない筆を置いて溜息をついた。一昨年父が他界した際に葬儀で会ったのが最後だったっけ。

お互い頭領の子供として跡目継承を前提に育った者同士。

年は風間の方が十ほど上だが、年頃になればいずれ……と縁組も期待されていた。

実際父の葬儀が済んで一年たった昨年、一度内々に縁談の話が持ち込まれていた。

でも跡目を継いだばかりの千姫は仕事を覚えるので手一杯だったし、風間も薩摩に手を貸す方が忙しく一旦立ち消えた。

「正式に縁談を申し込まれた訳じゃないんだけど……。ちょっと気まずいのよね」

「姫様、良い機会ではありませんか。幼少より見知っているとはいえ、年頃になってからはほとんどお会いになってません。

 正式なお申し出があるより前に、風間様と打ち解ける機会があるのは有難いことですよ?」

「でも今は薩摩に属しているでしょ? うちは朝廷側、千恵達のいる新選組は幕府側。……立場が微妙ですもの」

「そうですね。人間の権力争いなど本当に鬼にはいい迷惑。ですが、月宮様のご婚儀は立場を越える好機にもなります」

侍従の菊は年若い主人の懸念を重々承知しながらも、年寄り連中とは違った意味で千姫に早く結婚して欲しかった。

京の八瀬は鬼の社会で中心となる存在。その頭領の職は決して片手間に出来るほど楽ではなく、千姫の負担は大きい。

共にその荷を背負ってくれる夫は、千姫の為を思えばこそ必要だった。その意味では風間様は最適な相手だろう。

また嫌な顔をして一蹴されるだろうと思いつつも、少しは前向きになって欲しくて進言してみた。

すると、千姫はぼんやりと宙を眺めながら、自分自身に言い聞かせるように言ったのだ。

「そうね、縁談も出会いの一つ……なのかな。千恵も言ってたし」

あら? 千姫の独り言のような呟きに、菊は驚いた。縁談という言葉を聞くだけで、以前は嫌そうな顔をしていたのに。

時代は違えど同じく頭領の娘である月宮様が、とても幸せそうなのを見て、千姫様も少し考えが変わったのかしら。

周囲に同じ年頃の女性がいなかったせいで疎かったけれど、友人の種族を超えた大恋愛に感化されたらしい。

娘らしい表情で恋愛に憧れる様子に、心の中で拍手しながら、いい傾向だわ、と菊は微笑んで見守った。



祝言は十月末日、場所は京にある千姫の隠れ家で行われる事になった。




祝言まで後十日。といっても既に相部屋に住み、家財を揃える必要もない為、普段と変わらない日々だったが。

斎藤は戸惑っていた。結婚を申し込んだ時はあんなに嬉しそうだったのに、ここ数日千恵は妙によそよそしい。

それまでは家事が忙しくても合間に一緒にお茶を飲む事くらいはしていたし、夕餉の後の語らいは毎日の習慣だったのに。

些細な用事を見つけては時間を埋めるように忙しく動き回り、夜は早々に寝室に入ってしまう。

気に障るような事をしたつもりはなかったが、結婚が現実味を帯びて、やはり難しいと感じているのだろうか?

どんな点が心配なのか。不安は話し合わなければ解消されないし、教えてもらわず察せられるほど女心に聡くもない。

斎藤は、今日こそ話を聞こうと、夕餉の後片付けが済んで部屋に向かう千恵に声を掛けた。

「今日は少し話がしたい。部屋で時間を貰えるか?」

「えっ!?あ……はい」

やっぱり返事が少しぎこちない。これは少し覚悟を決めて話を聞いた方がいいかもしれないな。

斎藤は、千恵に限って心変わりだけはありえないと思いながらも、どんな言葉が出てくるか少し不安になった。


盆に載せられた湯呑みを取りお茶を一口啜ると、斎藤は目の前で落ち着かなさげに座る千恵に切り出した。

「祝言が近づいて、この数日はあまり話が出来ていなかったからな。千恵、気掛かりがあるなら話すといい。

 これから夫婦になるのに、打ち明けるには頼りないか? お前の様子がおかしいので気になっている」

「そんな! そんなに……態度に出てます?」

「ああ、顔を合わすたびにどこかへ行こうとするだろう? 今もすぐに目を逸らしてしまう。

 問題があるなら俺に話すべきだろう? 言えないほど深刻なことか?」

「いえ、問題はないです。ないけどあるというか……。深刻じゃないけど言えないというか……」

要領を得ない返事と共に、どんどん千恵の顔が赤くなっていく。それほど言い出しにくい事なんだろうか?

斎藤は軽く溜息をついた後、彼女の手に自分の手を重ねて宥めるように言葉を選んだ。

「いや、無理に問いただすつもりはない。そうだな……祝言の日にちを先に延ばすか?

 お前の気掛かりが落ち着いてからにしてもいい。その内話せるようになるのを待つぐらいは、俺にも出来る」

すると千恵はその言葉に驚いたように顔を上げ、斎藤を真っ直ぐに見つめてかぶりを振った。

「違います、そうじゃないの! 全くの誤解です! 斎藤さんと一緒になるのは待ち遠しいし、嬉しいから!」

千恵は言葉を区切ると、また少し目を伏せて、観念したように息をついた。見当違いの騒動に発展するのは困るからだ。

こんなに真面目に話している斎藤さんに打ち明けたら、どんな顔をするんだろう。

それより、話した後どんな顔で居ればいいんだろう。ちょっと高いハードルを見上げて、内心嘆息した。

「あの……日にちが迫ってきて、本当に結婚するんだなって実感が湧いてきたんです。

 衣装とか日取りとかも決まって、皆もその日を空ける為に仕事を調節してて、すごく嬉しそうだし。

 でも、実感が湧いたら今度は……意識してしまって。き、急に恥ずかしくなったというか……」

「恥ずかしい?」

「はい。あのぅ……ちゃんと心積もりは……してます。斎藤さんなら大丈夫って思います。

 でも……その……やっぱりもうすぐだと思うと恥ずかしくて」

首まで赤く染まった千恵。言いにくそうに言葉を濁す様子に、ようやく斎藤も理解した。

と同時に、嬉しくなった。不安が消え、肩の力が抜ける。そうか、千恵は……おぼこだからな。

「ククッ、確かにそれは日にちを延ばしても解決にならんな。いや、安心した。恥ずかしかっただろう、すまん」

上目遣いにこちらをチラリと見てコクンと頷く様が、なんとも可愛らしくて、斎藤は手を伸ばし千恵を抱き寄せた。

頬を触ると熱をもったように熱い。これは……どんな言葉を掛ければいいんだろうな。

斎藤は、千恵の肩を抱いたまま頭を撫でて落ち着かせた。本当は今すぐここで事に及びたいくらい、愛おしい。

だが、そんな事をするはずも出来るはずもなく、自分の昂ぶりに内心苦笑しながら千恵に話しかけた。

「大丈夫だと言ってやる事は出来んが……優しくするから、委ねていればいい。

 俺にこうやって触れさせるのは、不快ではないだろう? 俺も千恵に触れていると幸せな気持ちになる。

 一番近くにいるんだと実感できて嬉しくなる。その延長にある、もっと深い繋がりだ。

 契りを交わすのも手を繋ぐのも、もっとそばに居たいという気持ちの表れだから、俺達がそうなるのは自然な事だ。

 あまり意識せず……笑顔で居てくれないか? 避けられているようで、正直少し焦った。」

「斎藤さん……。ごめんなさい、変な態度を取って。……フフフ、ちょっと落ち着きました」

照れ臭そうに笑った千恵は、安心したように体の力を抜いた。身を預けられた斎藤はというと……。

ま、この際、嘘も方便だろう。と内心自分の言葉に少し呆れつつこの場を納めた己の自制心を褒めたかった。

斎藤は鉄人でも聖人でもなく、二十二歳の健全な成人男子だ。何度、二間を隔てる襖を恨んだことか。

自然に関係が熟すのを待ちつつも、衝動に任せて手に入れたいと願った事も幾度もあった。

襖の向こうに、好いた女が夜着であどけなく寝ているのだ。夜這わなかったのは、ひとえに自制心と愛の賜物だろう。

少し格好つけた言い方をした事を恥ずかしく思いながらも、胸に寄り掛かる千恵が笑顔になってホッとした。

「副長が、祝言の翌日も非番にして下さった。宿を出てたら門限まで、紅葉でも見に行かないか?」

「本当ですか!? なら、前に行った山がいいなぁ。近いし、人がいなくてゆっくり話せるし」

話題を変えて当日の不安から気を逸らすと、千恵は嬉しそうに紅葉狩りの話に飛びついた。

これで大丈夫だろう。彼女の楽しそうに喋る様子に軽く相槌を打ちながら、斎藤は目を細めて微笑んだ。



祝言まで、あと十日。





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