56 事実 -1
九月中旬。私は、お千との連絡を仲介してくれる茶店に、文を送った。千鶴ちゃんと皆に紹介したかったからだ。
幸いすぐに返事が来て「私もぜひ会いたい」と書いていた為土方さんに了承を得て、夕餉の後、来て貰う事にした。
門まで迎えに来た私達にお千は軽く手を振ると、嬉しそうに笑顔で挨拶した。
「初めまして斎藤さんに千鶴ちゃん! 千恵から話には聞いてたんだけど、貴方が意中の方ね?
千鶴ちゃん、私あなたと同い年なの。だから敬語も遠慮もなしで、よろしくね。さてと、案内して貰いましょうか」
お千を連れて広間に向かう。井上さんは夜の巡察で留守だけど、他は近藤派が皆揃った。
伊東さん達が幸いにも酒宴の席に呼ばれて留守だった為、山南さんも離れから来ている。
私はお千を軽く皆に紹介をすると、伝えるべき事を頭でまとめた。
「えっと、何から話せばいいかな。新選組の幹部に鬼の事を話したの。風間さんがきっかけなんだけど――」
お千の警告通り風間さんが現れた事。それを機に、斎藤さんと千鶴ちゃん、そして皆にも鬼という種族の話を
伝えたことを説明する。それが受け入れて貰えた事も。お千は、眉を寄せながらも、頷いて聞いていた。
「そっか、皆知ってるのね。受け入れて貰えた事はとても有難いし、喜ばしいけど……信じていいのかしら?
雪村家と月宮家が滅亡に追い込まれたのは……幕府の密命を受けた者達のせいなの」
「何! それは確かな情報かね?」
近藤さんの目が驚きで大きく見開かれた。
「お千、大丈夫。この人達は違う。決して私達を誰かに売ったり利用するような人達じゃない。
そうじゃなきゃ、私も千鶴ちゃんも、とっくに八瀬に庇護を求めてるはずでしょ? ここに居る事が私達には安心なの。
お願い、聞かせて? 私も千鶴ちゃんも知らない何かを知ってるんでしょう?」
「そう。そこまで言うなら……皆さんを信じてお話します。千恵も千鶴ちゃんも覚悟して聞いてね。
これは鬼の間でも知られていない話。憎しみを助長しない為に、父から聞いた後も私の胸に納めてきた話なの。
……鬼の力が遺伝するのはご存知ですよね?そこに今から十二年ほど前……目をつけられたの。
人との交配で子が力を得られるなら、ひょっとして……血を飲んでも効果があるんじゃないかって。
老中の安部は、雪村家と月宮家に、血の濃い実験体の提供を求めた。濃い方が効果があるはずだ、って。
当時、将軍家定公は病気で、権力は安部達が握っていたから。そこに……野心と言う闇が生まれたのね。
当然、雪村家も月宮家も拒んだわ。そりゃそうよ、万一効果があれば、今度は鬼全体が狩られてしまう。
被害が全体に及ぶような恐ろしい計画に、手を貸すはずがないでしょう? ……だから焼いたの」
そこでお千は言葉を区切ると、辛そうに千鶴ちゃんと私を交互に見つめた。伝えるのを躊躇するように。
けれど、大きく溜息をつくと手元の湯呑みに目線を落とし、言葉を続けた。
「本当は人間が焼き払ったんじゃなくて……自分達で火を放ったの。亡き後に血を利用されない為に。
軍隊は迫り、里を包囲され、逃げて捕らえられた時の実験体としての末路を考えると、仕方なかったのかもしれない。
包囲までもう少し時間があれば助けに行けたのにって、今でも思い出すだけで辛くなる話よ。
でもやっぱり我が子の命を奪える親なんていないから。だからきっと……千鶴ちゃんを逃がしたんだと思うの。
貴女は雪村夫妻の忘れ形見。全てを焼いて自ら命を捨てても、貴女だけは守りたかったのよ。千鶴ちゃん」
「そんな……そんなひどい話ってっ! そんなの……あんまりよっ!
何も悪い事してないのにっ……血が欲しいなんて……人間じゃないよ。その方が鬼だよっ」
千鶴ちゃんは信じられないという風に何度も首を横に振り、その顔は涙を堪えて歪み、手はカタカタと震えていた。
背中を支える私の手もまた、震えていた。命を懸けて守った血が……私の体にも流れている。
「北の月宮家も同日に同じ運命を辿ったわ。ほんの数刻で、里に居た二十名ほどの一族が皆、命を絶ったの。
立ち上る炎は山火事となり、絶命する際の怨嗟の声が谷に響き渡り、軍隊は鬼の祟りを恐れて退散したそうよ。
阿部はその後数年で亡くなり、翌年将軍も変わり、恐ろしい計画は消えてなくなりました。
私がこの話を知っているのは……父に一通の文が届いたから。
月宮家頭領の母君からの、最初で最後の文。それに、事の顛末が記されていました。
彼女は偶然襲撃の数日前に人里に降りていて、戻る山中で全てを見届けたそうよ。でも残っていた文はそれだけ。
彼女が捕まったのか、隠れたのかも分からないの。ただ分かるのは、その後から今まで鬼が無事だという事実だけ。
……命懸けで守ってくれた北と東のお陰で、今ここに私が居られるのに。ずっと黙ってて、本当にごめんなさい!
伝えていいか……悩んでたの。貴女達が幸せなら……知らない方が、いいんじゃないかって。
でも、新選組の皆さんが二人を受け入れているなら、彼女達を守るという事の本当の意味を知って欲しかったんです!
幸い、今の帝は会津の松平様を深く信頼してらっしゃるし、会津の配下にあるここなら、私も手が貸せるわ。
家茂公も若いけど聡明な方だから、きっと二度とそんな悲劇は起きないって信じたい。
信じたいけど……人間って欲深いから。動乱に乗じてのし上がろうと野心を燃やす輩に、気をつけて。
皆さん、千鶴ちゃんと千恵をよろしくお願いします。二人の笑顔を……幸せを守ってあげて下さい」
最後の言葉はお千の物であり、八瀬の千姫の物でもあった。若くして朝廷と渡り合い一族を率いる、頭領の顔だった。
皆、この重く悲しい話を受け止めて顔は沈みがちだったが、土方さんがまず口を開いた。
「当たりめぇだ! 仲間だからな、守るのは当然だ。綱道さんがそっちの線で消息を絶った可能性もある。
千姫の方でも探ってみてくれ。雪村夫妻の忘れ形見って事は……綱道さんは養い親か。雪村は知ってたのか?」
「いえっ! 今……今初めて知りました。私、幼い頃の記憶がないんです。ずっと不思議だったけど……。
今の話を聞いて、納得しました。父様……ほ、本当の父じゃ……なかったんです……ね」
動揺で震える声はか細く、儚げな顔は痛々しいほど心の苦痛を堪えていた。
そんな千鶴ちゃんを慰めようと言葉を探していた時、平助君の張りのある声が響き渡った。
「馬鹿な事言うなよ千鶴! 綱道さんが父親に決まってんじゃん! 産みの親より育ての親だろ?
千鶴を育てたのは、間違いなく綱道さんなんだから、綱道さんが親父でいいんだよ!
もう一人いるなら二人とも父親でいいんだ! だからっ、だからそんな顔すんなよ……俺らと一緒に探そうぜ?」
「平助君! ……うん。……うんっ! そうだね、本当にそう。フフフ、有難う。
なんか、今の言葉で暗い気持ちがすっごく楽になった! 本当にありがとうね」
「やっ、べ、別に思った事言ったまでだし。……でも本当にそう思うぜ? 綱道さんがちゃんと大事に育てたから、
お前がそんなに…………そんな風になったんだし」
真っ赤になった平助君に、つられて千鶴ちゃんの頬まで赤くなっていた。そんな様子をみて活気付いたのは永倉さん。
「お前、幹部全員の前で口説きやがって、やるじゃねぇか! 年もちょうど釣り合うし、どうだ、千鶴ちゃん?」
「へっ!? あ、あの……それは……」
「おいおい新八、こういうのはそっと見守るもんだろ? 茶化してやるなよ、平助は弟分だろうが」
「茶化してねぇよ、好きな女を守るってのが一番力も湧くだろ? 見ろよ、斎藤なんて目がマジだぜ」
チラリと斎藤さんを見ると、新八さんの声も耳に入らないのか、真剣な顔で中空を見据えている。
やがて考えがまとまったのか、斎藤さんはお千の方に向き直って、問いかけた。
「月宮家の生き残りは頭領の母君のみ、と言ったな。歳は幾つ位か分かるか?」
「そうね、たしか……今は五十歳くらいになるんじゃないかしら」
「なら子はもう産まんか。もし生き残りが本当にその方ただ一人なら――」
今度は私の方を見て、ある一つの可能性を口にした。
「お前自身が月宮家の祖先であり、子孫でもある、という事になる」
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