53 蕨餅
沖田さんの労咳(結核)発症はきっと大分前だったんだろう。松本先生が診察した時には結構進行してたみたいだ。
本人以外では、土方さんと斎藤さんと山崎さん、それに多分千鶴ちゃんも気付いている。
私は、巡察中の幹部の部屋を掃除する許可と、布団を干す許可を土方さんに貰った。
あっさり了承したのはやっぱり知ってるからなんだろうけど、会話で病気の事には触れなかった。
あくまで、屯所改革の一部って事にして、千鶴ちゃんと二人で掃除しては、布団を引っ張り出す日々。
沖田さんの部屋だけ特に念入りに掃除するのは言うまでもない。でも驚くほど私物が少ないんだよね。
ガランとした押入れに独楽と竹笛が転がってて、千鶴ちゃんと「沖田さんらしい」って笑い合った。
あと、改革でやってきたのは豚と鶏。皆さん、自分の口に入る物の飼育は熱心で、じきに卵や豚肉が膳に載る日が増えた。
屠殺される豚の悲鳴にだけはどうしても慣れなくて、耳を塞いで待つんだけど中々止まなくて、
届いた豚肉の塊を見ては溜息をついた。でも生姜焼きは大人気で、屯所の定番メニューになった。
ここ数日は晴天続きで、正直竈の側には寄りたくもないんだけど、今日は一番暑い昼八つ時に火を焚いている。
「そろそろ鍋かけようか。千鶴ちゃん、お砂糖代有難うね」
「フフ、私から言ったんじゃないの。土方さんいきなり膝に小銭袋置くんだもの、びっくりしちゃった」
前に山南さんと約束した甘味。土方さんの寄付で沢山のお砂糖が買えたので、これから蕨餅を作るのだ。
わらび粉と砂糖に水を加えて鍋を火に掛け、クルクル匙を回していると、いい感じに薄茶色の液体が固まってくる。
急いで水に小さく掬っては入れ、掬っては入れ。冷めたのを引き上げてきな粉をまぶせばハイ完成!
売り物のように型に流して綺麗に切り分けた上品さはないけど、味は同じ……はず。
離れには立ち入れないから届けて貰う為、甘く炊いた小豆と共に、大きな鉢に入れて井上さんの所に持って行った。
「井上さん! 出来立てを持って行って貰えますか?」
「ほう、美味しそうだ。これは喜ぶだろうね、行ってくるよ。向こうで私も食べてこよう」
嬉しそうな井上さんを見送ると、竈の火が勿体無いのでついでに湯を沸かし、汗で濡れた半襟を外した。
背中の髪も暑苦しいので、お勝手の古いお箸を一本貰って、お団子にまとめて突き刺す。
「千恵ちゃん、それじゃあ長屋のおかみさんだよ……」
「でもこれなら、外せばまた元の髪型に戻るでしょ?」
「そうじゃなくって、お箸! せめて簪の一つくらいは買った方がよくない?」
「そっかぁ。そうだね、今度買いに行こうかな。お洒落の仕方、忘れそう。京紅とか可愛いけど使えないもん」
時々覗く小間物屋には、買いたい物も使いたい物も一杯あるけど、実際役に立つのは結い紐くらいだ。
仕方ないよね、ここで暮らすなら決まり事は守らなきゃ。それよりも、早く蕨餅を配ろう。
巡察に出ている斎藤さんと永倉さんの分を戸棚に入れると、冷やしたお茶と一緒に盆にのせた。
土方さんと沖田さんの分は千鶴ちゃんにお願いし、平助君と原田さんを探す。といっても、たぶん一緒にいるはずだ。
永倉さんと三人兄弟みたいに見えて、いつも楽しくって面白い。特に平助君は年が近いから話しやすいし。
人懐っこくて元気なのが平助君の一番の長所なだけに、戻ってきた時の妙に遠慮がちな態度は気掛かりだった。
最近はまた元気になったし、誰とでも仲良くなれる気質の為、伊東さんの門下生とも親しくしているようだ。
「あ、居た! 原田さん、平助君、蕨餅出来たからどうぞ」
裏庭で仲良く水の入った盥に足を突っ込んで、将棋を指している。何度も水を掛け合ったのか、着物がびしょ濡れだ。
「うわっ、将棋の駒まで濡れてる! 綺麗に拭いて返さないと叱られるよ?」
「左之さん負けそうになるとすぐ水掛けてくんだぜ? 大人気ないだろ? 蕨餅うまそうだな、いただき〜!」
「お前がせこい手使うからだろうが。じゃあ、有難く貰うな。……千恵、お前頭に挿してんの箸か?」
……目敏い。原田さん、そこは触れないで欲しかったな。さりげなくスルーしようよ。
「幾らなんでも、そりゃあんまりだろ。長屋のかみさんじゃあるまいし」
「ハハ、千鶴ちゃんにも言われました。今度、簪買いに行ってきます。髪が長いから暑くって。平助君は平気なの?」
「ん? だって俺はこんな格好だからさ。袖なんて邪魔だし暑いし、皆えらいよな」
「羨ましいなぁ。袖のない服持って来てるのに、一番暑い昼間は着られないんだもん。残念」
「ああ、荷物を検分した時に見たな。……ってことは夜は着てんのか?」
「ええ、寝る時だけ。勿論斎藤さんとおやすみの挨拶をした後ですよ? 自分の部屋の中だけです」
「きっとその方がいいぜ? はじめ君が襟緩めてるとこ、見た事ねぇもん。だらしないって絶対叱られるって」
平助は、隠し事がなくなって罪悪感が消えたお陰で、千恵達と前みたいに話せるようになっていた。
帰京してはじめ君と千恵がくっついてたのには驚いたが、仲間が幸せなのは自分も嬉しい。
二人が相部屋を分けているのも、変な想像をしなくって済むから気が楽だ。寝所が同じだと……色々考えちまうよな。
「ところで、こんな場所でこんな時に聞くもんでもねぇんだが……。千恵はこのままでいいのか?」
「へ? このままってどのままですか?」
「いや、あんな話聞いてもまだここに居たいってのは、斎藤も居るからだろ? 所帯持ちてぇんなら根回ししてやるぜ?」
「ブッ、左之さん! 休憩所に引っ越せっていうのかよ。こいつ未来から来て屯所しか知らねぇし、絶対危ねぇって!」
「別に引っ越さなくたっていいだろ。今だって相部屋なんだから、部屋の使い方を変えるだけで済む」
「「使い方って……」」
平助君と私は同時に赤面して突っ込んだ。原田さんって…………松本先生と気が合いそう。
事も無げに、相部屋をそのまま新居にすればいいと言い放った原田。本人は大真面目に提案したつもりだった。
原田は年初からこっち、気持ちも新たに、斎藤と千恵を応援する側に回っている。
一旦切り替えてしまえば、大事な仲間の事だ、幸せになって欲しいと強く願うようになった。
特に斎藤とは江戸でも付き合いがあったし、京に来てからはともに死線を潜り抜けて来た同志だ。
性格も癖も熟知しているが、あいつにとって千恵以上の相手はいないと思うのだ。
「駄目か? 別にいいと思うんだが。まぁ、斎藤がちゃんとするだろうから、俺が口出すのも野暮だがな。
まだ見付からねぇが、千鶴にゃ一応父親がいる。でもお前は身寄りがねぇから、心配なんだ。
もっと欲張っていいんだぞ? あいつは仲間思いで真面目ないい奴だ、二人で幸せになってくれ、な?」
「原田さん……有難うございます。でも充分幸せなんです。まぁ……いつかはって、思いますけど」
原田が案外本気なんだと分かり、赤面しつつも千恵は嬉しくなって礼を言った。周りに認められてるって幸せだ。
「へぇ、左之さんいい事言うじゃん。そんなら、そのいつかって時には皆で祝おうぜ! 俺もはじめ君ならいいと思うし」
「お前は人を祝う前に自分の相手見つけろよ。つっても平助はまだまだだな。まずはおかずの取り合いから卒業しろ」
「あれは新八つぁんが! ちぇっ、まあいいよ。自分でもまだ早いって思うし。……相手が要るし」
平助は、そのお相手に浮かんだ女の子が、自分の事を気のいい友人ぐらいにしか思ってくれてない事に気付いていた。
どうやったら意識して貰えるようになるだろう。今度こっそり、名前は明かさず左之さんに相談しよう、と心に決めた。
「お帰りなさい、永倉さん! 斎藤さん! 蕨餅があるんです、一緒に食べませんか?」
「おう、ただいま千恵ちゃん! 俺は水浴びしてくっから、二人は部屋で食えよ。戸棚ん中だろ? 後で勝手に貰うから」
井戸に向かいながらもう脱ぎ始めている永倉を見送り、斎藤は千恵に向き直った。
「ただいま、今日も暑いな。ところで……頼みがあるが、いいか?」
「なんですか?」
「……いや、やはりいい。巡察の報告を済ませたら部屋に戻るから、先に行ってくれ」
「? ……じゃあ、後で」
千恵は小さく首を傾げた後、お勝手に用意しに行った。斎藤も、軽く溜息をついた後、副長室へ向かった。
「手作りか、美味そうだな。お前はもう食べたのか?」
「うん、味見したから。はい、冷たいお茶もどうぞ。さっき言いかけて止めたのって何だったんですか?」
「笑わないか?」
「笑わないから言って下さい。気になるんだもん」
「名前を……。自分の名前を先に言って欲しい、と思ったんだ。だが、つまらん事だから言うのを止めた。
忘れてくれ。自分でも馬鹿らしいと思ったが、つい……どうした? やはりおかしかったか」
「ううん、そんな事ない。そういうのってなんか嬉しい。小さい幸せを一個貰った感じがします」
「そうか? お前がそう言うなら……じゃあ、一番先に頼む。蕨餅、半分食べるといい。美味い」
スッと寄越されたお皿に、半分残した蕨餅。少し赤い顔した斎藤さん。
大きな変化がなくっても。二人だけの小さな幸せが、この部屋には幾つも幾つも詰まっていた。
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