31 移転

元治二年三月十日。新選組は西本願寺の北集会所に屯所を移転した。

その際、千恵は山南からの形見分けとして、所蔵していた本を沢山貰った。押入れの上段半分を埋める程の量だ。

山南からすれば罪滅ぼしのつもりと、ほんの少し、忘れないで欲しいという願いも入っていた。

その願い通り、千恵は押入れを開ける度、頁をめくる度、その本の持ち主だった人の優しい笑顔を思い出した。



「千恵ちゃん、ここ広いね……どこから始めたらいいのかな?」

「まずはお勝手と厠から掃除しよ? 一番使う所だし。庭は……キリが無いよ、これ」

二人はお西さんの広さと大きさに圧倒され、雑巾を持ったままポカンと見入った。迷子になりそう……。

荷物が着く前に来た二人は、頭に手拭いを被り雑巾を手に取ると、勇ましく掃除に着手した。

お勝手担当の千恵は、荷車が来ると自分の荷物はそっちのけで、どんどん食器や調理道具を納めていく。

背の届かない所に物を納める役には沖田が呼ばれ、小柄な宰相の采配に従って戸棚の中に押し込んでいった。

「ふぅ、終わった〜〜〜! すみません、こき使っちゃって。助かりました」

「別にいいよ。土方さんにこき使われるよりマシだし。必要ならまた来てあげる」

沖田は笑顔で自分を見上げる千恵を見て、ホッとした。これは沖田なりの罪滅ぼしだった。

山南の切腹の介錯をした(事になっている)沖田は、その報告を待っていた彼女に、泣かれる覚悟をしていた。

斎藤から、切腹前夜は泣き明かしたと聞いていたからだ。だが、事が済んだ後の千恵の態度は、立派だった。

背筋を伸ばして沖田をじっと見つめた後、深々と頭を下げて言ったのだ。有難うございました、と。

あれには泣かれるより堪えた。千恵ちゃんはあの時、本物の小姓だった。ちょっと……格好良かったな。

でも千恵ちゃんは、いつかはじめ君が刀に倒れる時も、同じように見送れるんだろうか?

……はじめ君は、この子を残して死ねるんだろうか?

残される者を作ってしまった斎藤は自分と違い、潔く散るより足掻いて生きる方を選ぶ気がした。

コホッ。

沖田は悪化する咳とけだるい体にうんざりしながら、お勝手を後にした。



千鶴は土方の部屋で、運び込まれる書類の整理を手伝っていた。紙束は重く、結構な重労働だった。

ふぅ、凄い量!でも小姓だもの、頑張ろう。

気合を入れてうず高く積まれた巻物を抱え、踏み台の上で棚に納める土方に手渡していく。

作業は順調だが、なにせ数が多い。次第に巻物を渡す腕も疲れてきた。

そんな時、少し手が滑り、巻物を落とすまいと手を伸ばした千鶴は、よろめいた。

それを見て支えようと腰を屈めた土方は千鶴を抱き締める格好のまま……台を踏み外した。

ドスン バサッ

巻物は散らばり、縺れ込むように倒れた二人だったが、土方はかろうじて千鶴を押し潰すのを防いだ。

が、結果としてはまるでそう、男が女を押し倒しているような形になった訳で――。


腕の中で自分を見上げる若い娘の無垢な様子、大きな瞳、広がった黒髪。……柔らかそうな唇。

柔らかそうだな、吸い付きたくなる……。ハッ! って、何考えてんだてめぇは!

今……こいつをずっと腕の中に閉じ込めていたいと思ったのは……?

固まったのはほんの数秒。過ぎったのもほんの一瞬。けれど、脳裏に焼きつけるには充分だった。

片付け終わったら、久しぶりに色街にでも行った方がいいのかもしれない、と思いつつ。

なぜかその手の女では解消出来ない気がして、土方は自分を危ぶんだ。

「すまなかったな、大丈夫か? どこも怪我してないか?」

「いえ、はい、大丈夫です。あの……土方さん?」

「なんだ、やっぱりどっか痛むんじゃねぇか?」

「いえ、そうじゃなくて……。あの、上からどいていただけませんか? このままじゃ……」

千鶴の顔がみるみる赤くなる。なんだ、一丁前に女らしい反応するじゃねぇか。ガキの癖に。

なら、そのガキにちょっと欲情した俺はどうなんだ? と思いつつ。土方は上からどいて千鶴を引っ張り起こした。

「ああ、悪い。お前まだ自分の荷物は手付かずだろ? もうここはいいから下がれ。

 手伝ってくれて助かった。ひと段落したら茶を頼む」

「いいんですか? それじゃ、後でまた様子を見に来ますね。失礼します」

パタパタと小走りに去って行く足音を聞きながら、土方は苦笑いを零した。ったく、鬼副長が聞いて呆れるな。


千鶴は新しい私室に駆け込むと、両手を胸元で握り締め動悸を抑えようとした。

び、びっくりした〜〜〜〜〜。どうしよう、顔が熱い……。

倒れこんだのは自分が手を滑らせたからで、それ自体は事故だったから仕方ないのだけれど。

私の上に覆いかぶさるような体勢でいた、ほんの僅かな時間。土方さんが男性に見えた。

勿論元々男性なんだけど、そうじゃなくて、そういう意味じゃなくって……。

土方さんの目が唇に注がれた瞬間、瞳の奥に色が宿り口付けられるような気がした。そんなわけないのに。

千鶴は自分の唇に指先でそっと触れ、口付けってどんな感じなんだろう、とぼんやりと考えた。




平隊士達の荷解きもほぼ終わり、永倉と原田と斎藤は、千鶴と千恵を誘って近くの小料理屋に向かった。

今日は千恵達の手を煩わすのも気の毒だから、と夕餉は各自で済ませるよう話がついていた。

「今日は俺の奢りだからジャンジャン食べてくれ! 千鶴ちゃんも千恵ちゃんも遠慮すんなよ!」

永倉さんの威勢のいい掛け声で食事が始まり、私は斎藤さんにそっと揚げだし豆腐を寄せた。

「熱いうちにどうぞ。好きでしょう?」

「ああ、いただこう。お前は柿なますが好きだろう? 先に取れ、残りを貰おう」

そんな私達のやりとりを見ていた原田さんが、お酒を飲みながら目を細め、話しかけてきた。

「いいもんだな、夫婦みてぇで。だが滅多に非番は一緒にならねぇし、お互い俺らに遠慮してねぇか?

 もっとこう、恋仲らしくっつーか。たまには茶屋にしけ込んだって、誰も咎めねぇと思うぜ?」

「ブッ、ゴホッ、ゴホッ! 左之、おめぇ千鶴ちゃんらの前でなんてこと!!」

「いや、だって普通だろ? いくら一緒に住んでるからって、屯所で済ませちゃ千恵だって可哀想だろ」

「左之! 俺達はまだ……っ……その――」

「原田さん、茶屋って? あの、斎藤さん、何を済ませるんですか?」

私はお茶屋さんに行く意味が分からず、屯所で済ませるってデートの事かな? などと思っていた。

「っっ!! ……いや、聞かん方がいい。知らんでいい事もある。千恵、これが旨いから食え」

斎藤さんは耳まで真っ赤で、強引に押し付けるように炊き合わせを私の前に置いた。

「? うん、ありがとう。ほんと、美味しそう! 千鶴ちゃんもちょっと取らない?」

「うん、じゃあ少し貰うね」

ほのぼのと煮物を突く私達を横目に、原田さんは斎藤さんの腕を掴み、店の隅に連れて行き何やら話し込んでいた。


「お前、まさかまだなんて言わねぇよな? もう三月(みつき)経つんだろ?」

「まだ三月だ! それに総長の事もあったし屯所の移転準備に忙しかった。何より、まだ……早いだろう?」

「斎藤……ハァ、信じられねぇな。こっちは諦めて応援に回ってやったんだ、さっさとちゃんとくっつけ、馬鹿!」

「左之……もしかして月宮を好いていたのか? 謝るのもおかしいが……すまん」

「もう済んだ事だ。あいつがお前に惚れてんのは分かってたしな。……斎藤、ちゃんと守ってやれよ?」

「ああ、そのつもりだ。伊東参謀の事なら……近々共に江戸へ下る。隊士勧誘に同行する予定だ」

「そうか。だったら当分大丈夫だな。お前も千恵も揃って伊東に懐かれてんな、気の毒に」

「確かに癖のある人だが、見聞を広めるいい機会だ。そう思ってる。留守の間、月宮を頼む」

「ああ、分かった。大丈夫、仲間の女には手を出さないから安心して行ってこい」

「…………。頼んだぞ?」

斎藤は言葉を選んで話した。中立の立場を取れ、という指示が内密に出ている。

原田と斎藤は席に戻ると、結局奢れるほど持ち合わせのなかった永倉に代わり、食事代を出した。

帰り際、斎藤は千恵に後で部屋に来るよう耳打ちした。



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