30 総長
二月頭。百数十名以上の隊士を抱える大所帯となった新選組は、移転先の選定で揉めていた。
幹部会議は紛糾し、伊東と山南の才と弁舌がぶつかり合う。第一候補の西本願寺を強く推す伊東。反対する山南。
西本願寺は広く、利便のいい場所にあった。しかも西国浪士共を匿う拠点でもある。移住はそれを潰す好機だ。
だが、そこに新選組が住まうとなれば、僧侶の反対や庶民の反感は目に見えている。京は殊更幕府嫌いが多い。
伊東は過激派浪士の拠点潰しという利点を強調し、土方もそれに賛同した。
山南は、強引なやり口では更に評判を貶めるだけだと反論した。その白熱した議論を近藤が諌める。
「まぁ、どっちも正論だ。西本願寺移転は理想的だが、山南君の懸念も尤もだしな」
「あら、近藤局長はお心が広いですねぇ。敵にまで寛大でいらっしゃる。それに山南総長も相変わらず鋭いご指摘です。
左手を失い、武士として生きられずとも心配ありませんね。それほどの才がおありなんですから。
どうぞこれからも頭脳を活かして、私の助けになって下さいね。剣客なら他にも大勢いますから」
この言い草には流石の近藤も言葉を詰まらせ、土方は気色ばんで立ち上がった。
山南を武士といわず誰を武士というのか。腸の煮えくり返る余り、我を忘れそうになった。
それを、当の本人である山南が制する。青ざめてはいるが、確かな眼光で。
「おっしゃる通り、私の腕はもう寝たきりです。才長けた参謀に助けなど……。
土方君、話を進めておいて下さい。私は少し休みます。後で結果を聞かせて下さい」
山南は胸を抉られるような痛みに堪え、土方に合図を送った。時機は来た、賽は投げられたのだ、と。
それを受け取った土方は腹を括った。仏が地の下に潜るなら、鬼が天を目指したっていいはずだ。
「分かった、任せてくれ」
その言葉に万感の想いを込めて、退室する山南を見送った。
必ず貫き通してみせるさ。俺達の道だ。
移転先は西本願寺に決まり、寺との交渉を進める中、山南が脱走した。
あの日の口論は隊士達にも伊東派にも伝わっている。無言の内に脱走の理由はそれと知れた。
直ちに捜索が開始され、沖田がその役に指名された。脱走は切腹。だが相手は総長だ。
どうなるんだろうと皆が動向を見守る中、沖田の説得に応じた山南が大津で捕らえられ帰還する。
切腹は二月二十三日。介錯は一番組組長の沖田、検死は副長の土方、埋葬は監察方の山崎と決まった。
切腹の前夜。小姓を務める千恵は、泣きはらした顔のまま、山南に最後の面会を申し入れた。
僅かに小窓を開けて心配げにこちらを見る山南は、あまりに平常通りで、この後にその命が絶えるとは到底思えなかった。
「どうしてっ! なんで死ななきゃならないんですか? なんで逃げなかったんですか!!
なぜ一言も……言ってくれなかったんですか! ……うぅっ……」
「もう泣き止みなさい、折角の美人が台無しですよ? 死ぬ覚悟なら、剣を握った日に済ませてあります。
月宮君、君を悲しませる事が一番心苦しい。勝手をして申し訳ありません。
斎藤君と、幸せになりなさい。最後の総長命令です。……いいですね?」
千恵は何度も何度も頷いた。言葉はなかった。この人は覚悟しているのだ。もう変わらないのだと分かった。
「最後に笑顔を。貴女の笑顔を見せて貰えませんか? この目に……焼き付けておきたい」
無理を承知の願い。その願いに応えるべく、千恵は精一杯の笑顔を贈った。
沢山の事を教わり、趣味の話で盛り上がり、共に過ごした日々の楽しい思い出に感謝を込めて。
「有難うございました。ここに来て、ここで暮らせて幸せです。これからもっと幸せになりますね?」
「ええ、是非そうして下さい。どうか幸せに。それだけを祈っています。素敵な笑顔をありがとう」
最後に微笑んだ山南は満足そうに言い残し、小窓を閉めた。泣かせた罪は大きいですね、と内心嘆息しながら。
それでも決めた道ならば。守るべき秘密と共に、潔く表舞台から消えましょう。
深夜。山南は近藤派幹部達の待つ部屋へ向かった。横たわる形代を見て溜息をつく。埋葬される分身が土人形とはね。
「重さを合わせるには土を詰めるしかなかったんですよ。まぁ土にかえるって意味じゃ同じですし。
ご希望なら顔でも描いておきましょうか?」
「遠慮願います。どうせ沖田君が描くのはへのへのもへ字でしょうから。幽霊の新居は快適にして下さいね」
「これしか方法がない、か。……山南君、本当に申し訳ない! だが必ずその遺志に応えよう!
約束する! 必ず新選組を立派にしてみせる!」
「近藤さん……山南さんは生きてんだ、遺志はねぇだろ。……薬と連中の事は任せた。
間違っても自分を実験台にしてくれるなよ? あんたは誰がどう言おうと武士だ。……本物のな」
「ええ、月宮君の言葉を信じるならそうなるんでしょうね。そうなる為にも、やり遂げますよ。何が何でも」
山南は力強く頷いた。そう、己は武士だ。片手を失おうともそれは変わらない。
伊東の言葉は山南を抉ったが、彼女に貰った初対面の時の言葉は暗闇で一筋の光となり、山南を闇に迷わせなかった。
この苦しみと闘った先に、本物の武士だったと賞賛される未来があるのだと思えばこそ、耐えられた。
「あいつらを救う道、探してやってくれ。俺の組だった奴も何人かいるんだ。
本当はよ、あんた逃がして薬を溝に流して、終わらせちまいたいんだ。だがよ、あいつらは殺せねぇ。
狂っちまったらお終いだが、今は笑ってるんだ。化けもんだなんて思えねぇっ。だから……頼むっ!」
永倉は山南に深く頭を下げた。道場時代からその腕に惚れ、学識の高さに感心し、尊敬している山南に。
胸を張って泥を被った男の真の強さを見込んで、心の内にある想いを打ち明けた。
「出来るだけの事はやってみます。鋼道さんが見付かれば色々分かるんでしょうが、待てませんしね」
「ああ、千鶴の為にも、山南さんや前川邸の連中の為にも、なんとかして鋼道さん見つけないとな。
そっちは俺らに任せてくれ。山南さん、生きてりゃ楽しい事は必ずあるから、笑うのは忘れないでくれな?」
「有難う。原田君のように、前向きに送り出して頂きたいものですね。本当の葬式みたいな顔しないで下さい」
「ああ、これが最後じゃないんだ。山南君とはこれからもずっと一緒だ、皆で支え合おう」
井上の言葉に一同は頷き、山南を入れた行李は秘密裏に前川邸へ運ばれた。
そして、泥人形は山崎の手で埋葬され、その役目を終えた。
一世一代の大芝居。ばれれば一蓮托生だというのに、誰も異を唱えなかった。皆、新選組を守りたい気持ちは同じだった。
こうして新選組総長、山南敬助が世を去った。伊東は自分の言動に端を発した騒動の顛末に愕然とした。
近藤派の結束は高まり、法度の厳しさは隊士達を引き締め、秘密は守られた。
斎藤は事情を知りながら言えない苦しみを押さえ込み、月宮の涙を拭ってその心を支え。
千鶴はこの切腹劇の裏側に隠された幕命に、自分の父が関わっているとも知らず、山南の死を悼んだ。
偽りの葬送が終わり新たな節目を迎えた新選組は、西本願寺への説得に成功し、移転の準備に入った。
山南敬助 享年 三十三 墓は京都の光縁寺にあり
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