149 不安

「斎藤、お前に新選組を預ける」

それは短いけれど、重い言葉だった。


土方さんは江戸へと引き返していった。投降した近藤さんの身柄が徳川家に引き渡されるよう、水面下で折衝するらしい。

千鶴ちゃんは私達と共に残った。はじめさんは本隊を会津へ向かわせる為、その陣頭指揮を執ることになった。

私は今の所、傍目には何の変化もない。本当は日中、時々強い眠気に襲われる。

体も風邪を引きかけてる時のように、妙に気だるい。でもそれを悟られないよう、殊更元気に振舞っていた。



私達は銚子から船で会津に向かおうとしたけれど、もう新政府側に押さえられており、諦めて陸路を選んだ。

海岸沿いの道は砂交じりで歩きにくく、潮で肌がべたつく。ブーツでよかったな、と思った。草履だと足が砂まみれになる。

海は光を受けキラキラしてて、隊士さん達と一緒じゃなかったら足を浸したいと思ったぐらい綺麗だった。

そんな現実逃避から引き戻すのは、歩兵さん達が拐帯してる刀や銃器のカチャカチャという音。

「ふぅ、暑い。早く宿場に着かないかな……」

白砂も青松も申し分なく美しいが、今は冷たい湧き水と日陰が恋しい。

潮を含んだ風が襟元を抜ける度に一瞬の涼を味わい、日差しの強さに視線を低くした。


隊列の中ほどで馬上から指揮するはじめさん。土方さんから隊を預かり、その責を務める姿は力強い。

短く冷静な指示が隊士達の不安を静め、歩みを確かなものにさせている。

そんな彼の、一分の隙もない背中を後ろから見つめながら、私は誇らしさと同時に寂しさを感じていた。

共にいます、そばに居させて下さい。何度もそう言って、今もそうしているのに。

馬上の彼と歩く自分の間に、計り知れない距離を感じる。

――きっとさ、斎藤さんの道に……私の気持ちって邪魔になると思うんだ。武士の道に

昔、まだ恋人ですらなかった頃、千鶴ちゃんに洩らした言葉が甦った。

……足手まとい、だよね。絶対にはじめさんはそう言わないし、思わないだろうけど。だって……これからどうなるか……。

八千代さんが変若水を飲まされた後、どう変化し何をしたか。考えたくなくても、現実に体はだるい。

けれどそれを表に出せば、千鶴ちゃんが罪悪感に苦しみ、はじめさんも心配するに決まっている。

もし……もしも副作用が出た時は。その時はどうしたらいい? それでもまだ、そばにいたいって言える?

血の匂いを嗅いで狂わないって保証はある?


私はいつか、人の血を啜る。


ゾクリと寒気が走った。汗で貼り付いたシャツが急に冷たく感じて、日差しの当たる部分はヒリヒリと痛んだ。

早く……日陰に入りたい。ああ、こう感じるのも……羅刹に近づいてるから、かな。

暗く狭まってゆく視界。波の様に全身を包む眠気。それをどうにかしようと、瞬きを増やしながら重い足を動かす。

近くにいるのに、こんなにも求めているのに。はじめさんの背が遠い。

堪えていたものが胸を突き上げ、それを表すまいとする意志と押し合い――私は真空の中に悲鳴を消した。


届きますように。でも伝わりませんように。

はじめさん……。



新選組と共に戦ってきた歴戦の隊士が数十名、それに歩兵が百名ほど連なり、本隊は北へと行進した。

千恵の胸に膨らんだ不安などお構い無しに、一路会津へ。

そこには抗戦に向け、各所から続々と兵が集まっていた。

――男の意地と武士の一分を携えて。





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