148 覚醒

熱い 熱い 痛い 

何が? 

体が 全てが 

なぜ?

全身が――――

変化を

拒んでいる。



カッと目を見開く。ドクドクと血が滾(たぎ)り、視界が赤い。絵の具を塗ったように赤い。

体中を針で刺されたような痛みに背を丸め、またすぐ海老反り、何かに縋ろうとした。

嫌っ、助けて!!

暴れて中空を彷徨う手に何かが触れ、視えない不安からそれを強く跳ね除けた。

襲う痛みは内側からも沸き起こり、どう身を捩っても逃れられない。

いくら頑張っても焦点が定まらず、視界はぼやけたまま。

耐えかねた苦悶に息が上がり、自分の声とは到底思えない、咆哮のような絶叫を上げた。


「がぁぁああっっ!!」


誰かが私を押さえようと体に触れ、恐怖と混乱でその腕を振り払おうともがいた。

耳鳴りの奥で誰かの声を聞いたような気がしたけれど、それが夢か現かもわからない。

ただ、皮膚を焼かれるような熱さと内側の激痛だけが、逃れようと遠ざかる意識を何度も引き戻した。

心の端に何かが迫ってきている。それが怖かった。

重油のように粘ついた黒い何かが、侵入口を探し蠢いている。

それに取り憑かれちゃいけない、そう本能が警鐘を鳴らしているのに。

身を投じれば痛みから解放されるような気がして、心が手を伸ばしかけていた。


オイデ オイデ ワレラトトモニ


どす黒い欲望が嗤いながら歌っている。触れてはいけない、と抵抗する私に囁いてくる。


オマエノ カラダヲ ワレラノモノニ


「ひっ……うぐっ……はっ」

嫌っ、絶対イヤ! はじめさんっっ!!

空気と光を求め、彼の名を呼んだ。それが声になったかどうかは分からない。

だだ、何度も何度も彼の名前を呼んだ。

答えてくれなくても、そこに居なくても、彼を呼んでいれば光に近づける気がした。


そうしている内にやがて黒い影は、心の側から遠ざかっていった。同時にスーッと痛みも引いてゆく。

力の抜けた体を何かに預け、私は再び意識を失った。

白さを取り戻した世界は安心出来て、温かかった。

――大丈夫だ。

ああ、はじめさんの声だ。

耳で聞いたわけでもないのに声が響き、今度は本当にプツリと記憶が途切れた。

この闇は、怖くなかった。




新政府軍から充分に離れ、追っ手の掛かっていない事を確認した一行は、山中で日暮れを待つ事にした。

兵糧の類を持ち出せなかった為空腹なはずだが、誰も何も言わない。

険しい表情のまま土方が立ち上がり、「水を汲んでくる」と藪へ入っていった。

慌てて私も、と千鶴が皆の腰から皮袋を受け取り、後を追いかける。

本来なら真っ先に動く島田だが、土方と千鶴の背中に場を察したらしく。

周囲の様子を見てきます、と言い残し斎藤と千恵から離れた。

今、千恵は腕の中で静かに眠っている。その意識は徐々に浮上していた。

覚醒しかけた世界が、真っ暗闇から薄墨へ、灰色へと白みを増してゆく。

最初に気付いたのは匂い。木々の呼吸が吐き出す森の香りと、よく馴染んだ愛おしい匂いが意識を引っ張り上げる。

薄っすらと開けた瞳に映ったのは……蒼だった。固唾を呑んで自分を見つめる、夫の蒼眼だった。


「はじ…え……」

はじめさん? そう呼ぶつもりだったのに、喉がかさついて上手く声が出ない。

何度か唾を飲み込もうとしたけど口の中はカラカラで、唇も乾いていた。

それに気付いたはじめさんの唇が、私の口元に静かに重なった。

親が雛鳥に餌を与えるように、自分の口から潤いを移す優しい口付けだった。

私が意識を取り戻した事への、安堵や喜びも混じっていて。

充分に潤った後も、私の無事を確かめるように幾度も啄ばまれた。

「大丈夫か? 今、副長と雪村が水を汲みに行っている」

土方さんが水汲み? 言った言葉がよく理解出来なくて目を瞬かせた。

森の中。はじめさんの腕の中。

今の状況にようやく気付き、体を起こそうとした。そうだ、新政府軍が近づいてるって――

羽交い絞めにされ、唇にガラス瓶がぶつかった事。嫌な味の何かを飲まされた事。

段々気絶する前の記憶が戻って来て、同時に体の重さに驚いた。

はじめさんは、そんな私を守るように再び胸元へ抱き寄せた。離すのが怖い、とでもいうように。

「まだ起き上がらない方がいい。日暮れを待って本隊に合流する。……隊士達は先に会津へ向かわせた。

 俺達は邸を脱し、今彼らの後を追っている所だ。それと――」

クタリとはじめさんに体を預け、言いよどむ表情を見上げた。

はじめさんの瞳に走る痛み。こんなにも辛そうな彼を、見た事がなかった。

私はだるい腕を上げ、彼の頬に手の平を添えた。

「言って? ……知りたいの。ちゃんと聞きたい」

「っ……南雲がお前に飲ませたのは…………変若水だった」

「……そんな……嘘…」

私が添えた手にはじめさんは自分の手を重ね、口元を小さく動かした。

「すまない」

深い後悔の滲む声が、事実を後押しする。本当に? ホントにあれは……あれが変若水だったとしたら……。

私は…………私は、何?

寝込みを襲って斬りかかってきた男が脳裏に浮かんだ。山南さんの暗い表情を思い出した。

嫌な想像が頭の中に充満する。口から零れた言葉は「嫌」だけだった。


日の落ちかかった森に、遠くから土方さんの声が何かに絶望し、響いた。

聞き取れなくても伝わる苦しみに、はじめさんはハッと顔を上げたけど、またすぐに私を見下ろす。

「千恵は千恵だ。何があろうと、どう変わろうと……俺の気持ちは変わらん」

どう変わろうと。――どう、変わるの?

自問したけど答えは出なかった。


やがて一行は歩き出し、私は再びはじめさんの背に負われた。

近藤さんが名を偽って投降したと聞いたのは、本隊に合流する直前のことだった。




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