147 懊悩

斎藤が靴のまま外廊下から上がり込み奥座敷に向かうと、襖の向こうで口論の声が聞こえた。

襖を開け放ったそばから白い閃光が眼前を掠め、咄嗟に仰け反って抜き放った刀で受け止めれば。

一瞬驚いて目を見開いた土方が、表情に安堵の色を浮かべ力を抜いた。

互いの刀を鞘に納め、無言のうちに状況を知る。

「本隊は行ったか」

「はい、先行させました。俺は裏から。……今なら抜けられます」

「そういう事だ、近藤さん急ごう」

斎藤の言葉に頷いた土方が、振り返り近藤に同意を求める。

だが、近藤は思案するように動きを止めた後、首を振って少し笑った。

その小さく穏やかな笑みに、土方の顔が強張ってゆく。

静かな瞳に満ちた覚悟。近藤さん、あんたまさか……。

「ハハ、逃げ切るまで時を稼ぐ足止めが必要だろう? 斎藤君、月宮君が不審者に襲われ床に伏せている。

 ……守ってやれず済まなかった。頼む、すぐ連れ出してやってくれ」

雪村君の兄上に変若水を飲まされた、とは流石に言いがたく、近藤は言葉を選んだ。

「千恵が!? ……分かりました、すぐ向かいます。ですが局長も――」

「急ぎたまえっ! 俺はトシに少し話がある」

「ですがっ! ……御意。必ず、必ず後で」

一喝した後、穏やかに目を細め笑った近藤は、首を縦にも横にも振らなかった。それが何を意味するか。

一瞬部屋を満たした沈黙――無言の圧が斎藤にのしかかった。

土方は近藤をジッと見つめたままだ。顔を動かさず、行け、とただひと言低く放った。

そんな二人を交互に見つめ、張り詰めた表情と穏やかな瞳に想いを知ると、斎藤も覚悟を決めた。

「二人とも……御武運を」

軽く頷いた両者に会釈し、背を向けた。背中に一瞬二人の視線を感じ、振り返り留まりたいという想いが過ぎった。

局長は本隊と自分達が追いつかれぬよう、新政府軍を足止めするつもりだ。

どうやって? あの大軍を前にどんな説明をする気だ。

庭の銃器が見つかれば、詮議は免れ得ないだろう。

副長、局長をどうか……。

胸に願いながら退室し、更に奥へと向かう。

千恵が不審者に襲われた? 俊敏で体術も武術も一通り身につけた千恵が? 一体誰に。


焦りと共に開けた座敷には、一組の敷布団。その上に……。

斎藤は目に飛び込んできた愛する者の姿に、言葉を失った。

金茶色の髪が襖から差し込んだ光を照らしている。

全身を紅潮させ、苦悶の表情を浮かべるその額ぎわには、淡い象牙色の小さな角が二本。

千恵が小さく痙攣し、唇をわななかせ。

その姿は――鬼へと変異していた。



我に返ってすぐ、千恵の傍らに跪いた。刹那、目が大きく開きガタガタと体も震えだす。

意識を取り戻したのか無意識かは分からないが、体を大きくのた打ち回らせ、瞳の端に涙が溢れ出している。

「千恵っ!」

驚き、宙をさまよう手を掴もうとしたが、バシッと振り払われた。錯乱状態のようだ。

背後から「兄が変若水を……」と弱弱しい声で説明され、改めて千恵を見る。

腕に抱えれば暴れだし、その力の凄まじさに顔を顰めた。

どれほどの痛みか。これほど激しい反応を、今まで見た事がなかった。

羅刹と化した元隊士達が狂う時ですら、こんなひどい苦しみ方はしなかった。

唸り声を上げて布団から畳へ転がり出た千恵を抱き締め、腕に力を込めて呼びかけた。

「千恵、俺だ。分かるか? 戻って来い、千恵っ……戻って来るんだっ」

驚くほど熱い肌、汗を吸って湿った着物。腕の中の彼女は瀕死だった。

荒い息の間に短くあがる悲鳴のような声に、意識があると確信し、必死で呼びかける。

その間にも、さっき呼び止めた男を斬らなかった事が悔やまれた。

たとえそれが雪村の兄であろうと。あの時殺すべきだった。

グッと腕に力がこもり、千恵を掻き抱く。島田や雪村が見ていようと構わない。

「千恵っ!!」

頼む、戻って来い。俺はここにいる。お前の側にいる。

行くな、千恵。どこにも行くな……。


「は……じ、めさ……」

やがてか細い声が、ようやく意味を成す言葉になった。途端、ゆっくりと体が弛緩してゆく。

まさか!? 

最悪の事態が過ぎり慌てて脈を確認したが、それは確かな鼓動を指先に伝えてくれた。

生きている、姿がどうあろうと千恵は生きている。それがひどく嬉しかった。

だが、このままここで休ませるわけにはいかない。

「島田君、雪村、行くぞっ!」

「「はいっ」」

ぐったりとした千恵を背に抱え、その重みを決して離すまいと、腕に力を込めた。

裏庭を駆け抜け、門扉へと急ぐ。

井戸の横まで来た時背後から足音がし、島田が三人を庇うようにして振り返った。

「副長っ!」

その声に斎藤と千鶴も振り向き、姿を確認した。近藤は一緒ではなかった。

グッと奥歯に力を込め、斎藤は前を向いた。

逃げ落ちる皆へ捧げた近藤の想いを、無駄にしない為に。



「ほう、君は恐ろしく強いな! ハハハ、今夜はうちで飯を食っていくか?」

「まさか京で再会するとはなぁ……うむ、元気そうで何よりだ」

「斎藤君は信に足る男だ、頼りにしてるぞ」

「君は……こんな新選組が好きか?」

「すまんなぁ、いつも。お上が我らをお認め下さるまで、あと少しの辛抱だ」

「幸せにしてあげて貰えるだろうか?」

「部屋を用意したから、今日からそちらに移りたまえ!」


惜しみなく心情を映し出す顔、困ったように恐縮する姿、肩を揺らして楽しそうに笑う様。

出会いから今までの様々な局長が、浮かんでは消えていく。

千恵を背負った俺は、副長達を先導するように前を走った。

局長……近藤さん……貴方に出会い俺は――――

出会うことで変われた。出会ったことで変わらずにいられた。

そのもっとも敬愛すべき人物を置き去りにして。


進む足が重かった。

それでも足は止まらなかった。


沈黙に支配された一行は、森の中を進み続けた。

一歩ずつ近藤から遠ざかることを、全身で感じながら。





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