119 脱出

千恵の足で自分達に追いつかないはずがない、そう判断したのは間違いだった。

戦闘が始まる前、何かあれば安全な場所に身を潜め、機を見て合流するよう言い含めてあったが。

千恵は優しい女だ。そして……決して諦めない。

きっと負傷兵を見捨てられずまだ山中に潜んでいる、と読んだ斎藤の、その後の行動は速かった。

「副長、千恵達を救出してきます! 先に大坂城へ。後から向かいます」

「斎藤……分かった、必ず合流しろ。待ってる」

官軍の群中に戻って、果たして本当に合流出来るのか? 普通ならまず無理だろう。

だが、迎えに行くのが斎藤で、救い出すのが千恵なら話は別だ。必ず生きて連れ立って追いつくだろう。

土方はもう駆け出している斎藤の、最後にチラリと見せた焦った顔を思い出し、微かに笑った。

だが、一転して表情を引き締めると、予想外の敗戦に肩を落とす一行に向かい、鋭く号令をかけた。

「いいかよく聞け! これより将軍の居る大坂城を目指す! あそこなら兵糧も充分にあるっ! 全員出発だ!!」

「「土方さんっっ!!」」

原田と永倉はゴクリと唾を飲み、息を詰まらせた。千恵と斎藤がここに居ないのは、誰もが知る所だ。

だが、その眼光の鋭さに、続く言葉は咽から出なかった。……行くしか、ない。

強張った表情のまま立ち上がった二人を見て、土方は苦笑した。ったく、言いてぇ事が丸分かりのツラだな。

「はぁ、仲間なら信じろ。あいつらは必ず来る。斎藤ならやれる。そうだろうが?」

「……だな。あそこをもっぺん潜って、出て来られるのは、斎藤ぐらいだろうよ」

「ハハハ、ちげぇねぇ! ……城で待つ、か」

原田と永倉も、斎藤の腕と想いに賭けた。共に歩んできた仲間の強運を信じ、隊士達に退却命令を伝えた。



「こっちにいたぞっ!!」

その声に斎藤は眼差しを鋭くして方向を定めた。暗い茂みの中に、見慣れた若草色の小袖が微かに動いている。

だがその背後には……敵兵が刀を構え、その背中を狙っていた。

「千恵っ!!」

体に熱い何かが滾り、踏み出した足は予想を遥かに超える速度で動いた。体が驚くほど軽い。

斎藤は突然の変化に困惑しながらも、本能のままに目の前の標的に刀を振り下ろした。

一刀、二刀、そして三刀目で三人が倒れると、四人目を足で蹴飛ばした。男は木の幹に体を打ちつけ、そのまま昏倒した。

これが……鬼の力、か。

倒れた四人を見下ろしながら、自分の動きを反芻し、その速さと力強さに感嘆した。

だが、今はそれどころではない。振り返った斎藤は、目を潤ませて自分に手を伸ばした千恵を、優しく抱きとめた。

ほんの一瞬場が和み、その戦場に相応しくない甘さに、負傷した隊士達も嬉しそうに目を細めた。

「はじめさん、行きましょう。今なら抜けられる!」

「ああ、早くしよう。じきに気付かれる」

斎藤の先導でより囲みの薄い箇所に静かに忍び寄った。だが、それでも五、六人はいる。

生憎今は冬で木々の葉も少なく、歩くと足元で枯れ葉や小枝が自然と音を立てた。

太腿に被弾した隊士の足を引き摺る音が、やけに大きく響いている気がして緊張した。

と、その時。赤髪の大男が兵士達に何か指示を出した。西軍兵士達は、慌てたようにそちらに駆けて行く。

男はこちらを見ると、ちょっと困ったように眉を下げながらも、チラリと斎藤に目配せして行くように促した。


「天霧……さん?」

千恵は、まだ西軍に属しているにも拘らず、天霧がこちらの気配を察して、それとなく道を開いてくれたと知った。

「斎藤の変異、風間から聞きました。北の頭領夫妻を守護せよと千姫様から仰せつかっています。急ぎなさい」

「有難うございます、助かりました! このお礼はいずれ――」

千恵が小さく頭を下げて礼を言うと、まさかのまさか、天霧は微かに微笑んだのだ!

いや、笑うことくらいは勿論普通にあるんだろうが、今までは会い方が色々……悪かった。

そういえば、いつだって天霧さんは風間さんより紳士的だった気もする。

風間が知れば怒りそうな想像をしながら、千恵は天霧に小さく手を振ってその場を離れた。

天霧はそんな千恵を見て面映そうに肩を竦めると、西軍の陣に戻って行った。




一路大坂へ。千恵と斎藤達は、皆の後を追って日の暮れた夜道をひたすら歩き続けた。

相次ぐ味方の裏切りと寝返りを嘆く暇などなく。新選組は血肉を注いで築き上げた京での生活を捨て、幕軍と共に敗走した。

鳥羽伏見の戦いが終わった。





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