112 半身

伏見街道は、戦禍から逃れようと足早に歩く人波で、ごった返していた。

新選組の一行はその流れに逆らうように歩みを進め、伏見奉行所に到着した。

既に多くの兵士が詰めており、新選組の布陣に対する彼らの反応は様々だった。

実戦経験がある即戦力が来た! と大喜びで歓迎して、心強いと安堵する者達がいる一方で。

油小路で元同志を暗殺した新選組に対し、成り上がりの人斬りめ、とあからさまに侮蔑する者達もいた。

だがそんな視線は慣れた物。今に始まった訳ではない。皆気にも留めずさっさと陣を張った。



千恵は当てられた寝室で私物を片付けていたが、秘密箱を手に取ると、指を滑らせてそっと蓋を開けた。

簪が一つ入っていた。蒼い飾り玉が鮮やかなそれに、穏やかで懐かしい日々を思い出す。

大切な簪をしばらく眺めていたが、ふと、何かひっかかった。頭の隅に片付けた記憶が。

あれ? 何か忘れているような? 大事な何か……あっ!!

「ど、どうしよう!? 大変っ!!」

「何だ、大声を出して? 何か屯所に忘れて来たか?」

部屋に入ってきた斎藤は、部屋の真ん中でいきなり立ち上がった千恵の声に、面食らった。

千恵は斎藤の腕を掴むと、ゴクリと唾を飲んで思い出した事を伝えた。

「はじめさんっ、数珠を探さないと! 瑠璃の数珠! あれがないと……私、こっちの世界に来られない!

 探して大切に保管して、生まれてくる子供に託さないと……はじめさんに出会えなくなっちゃうっ!!」

千恵が思い出したのは、斎藤が簪を選ぶ元となった、瑠璃の数珠だった。

桐の箱に入っていたそれは、手紙と共に月宮家に150年伝わってきた。

ここに月宮が千恵しかいないなら、数珠は千恵が伝えなければ……平成で箱を開ける事が出来ない。

時渡りの数珠。着いてすぐ消えたそれは、一体今どこにあるのだろう? 誰が保管しているのだろう?

まるで二度と会えなくなるのを恐れるかのように、斎藤の腕を掴む千恵の手は細かく震えた。

怖い……あなたとの出会いが、恋が、思い出が……二人の幸せがなかった事になるなんて!

「私……はじめさんに出会えない人生なんて、いらないっ! 欲しくないっ、必要ないっ!!

 嫌ですっ!! 絶対見つけて、何回だって会いに来るんだから! はじめさんを……愛してるのっっ!」

動転した千恵は自分の言葉に昂ぶって、胸を詰まらせ、涙を零して首を振った。

今になって気付くなんて。平和な時に探せたかもしれないのに。あれがないと……あれが――

「落ち着けっ! 千恵っ!」

「はじめさ……んんっ!」

取り乱す千恵を強く掻き抱いた斎藤は、ひとまず一番手っ取り早い方法で静かにさせた。

泣き濡れた頬に手を添え、有無を言わさず唇を奪う。熱く、激しく、何も考えられなくさせる。

思考を奪い、唇を舐め上げ、千恵の弱い所をザラリとした己の舌先で撫で続ける。

ここに居る。俺はそばに居る。大丈夫だ。

やがて千恵が落ち着きを取り戻すと。

名残を惜しむように唇を軽く食んだ斎藤は、肩口に千恵の頭をもたせかけて、背を撫でた。

「大丈夫だ、必ず見つかる。俺とお前が出会う運命なら、数珠もまた戻る運命にある。

 俺はお前との縁がそんなに浅い物だとは思っていない。忘れたか? 俺達は夫婦……家族だろう?」

低く静かな口調で語りかけると、彼女が頭を起こして斎藤を見上げた。

沢山泣いて赤くなった鼻先に軽く口付けると、照れたように小さく笑うのが愛らしかった。

「言霊、ですね。……取り乱してごめんなさい。自分の言葉に捕まってしまってました。

 大事なのは気持ちなのに。私ずっと、結婚して夫が出来たと思ってたんですけど。……夫婦って家族、なんですね」

「ああ。夫婦で家族で、恋仲で仲間で……俺の宝だ。身に過ぎた幸運だが、誰かに譲る気は毛頭ない」

斎藤は、そっと匙で掬うように、再び優しく唇を求めた。

二人の唇が同じ温度になると、まるで一つの体を半分ずつ分け合っているような気がした。

二枚貝のように、重ねて、合わせて、二つで一つ。半身、という言葉が浮かんだ。

唇を離すと、それだけで寂しかった。それは千恵も同じで、代わりに甘えるように胸元にもたれた。

「幸せです。絶対離れませんから、置いて行かないで下さいね? クスッ、私、足速いんですから。追いついちゃいますよ?」

「ククッ、それはそうだろうな。天満屋の後、陰で何と呼ばれているか知ってるか? 韋駄天の千恵さん、だそうだ」

「いだ!?……ハァ、本気で走っちゃったから、仕方ないか。それにしても女性の渾名じゃないですよ、それ?」

千恵はちょっと顔を顰めた。韋駄天って……確かに走って皆を追い越しちゃったけど。

ふぅ、と息を吐いて肩の力を抜いたら、思った以上に体が軽くなった。かなり気が昂ぶってたみたい。

温かい胸から心臓の音が聞こえて安心する。はじめさんがいる。ここにいる。

フワリ、と体が浮いた心地がして、お風呂に浸かっているみたいにいい気分だった。

「千恵、一緒に長生きすればいいだけだ。八十まで生きるなら、まだ五十年以上も猶予がある。

 戦が終わってから、のんびり旅をしながら探すのもいいな。温泉を巡るのもいい」

斎藤は、出来るだけ楽しい想像を千恵の頭に注ぎいれた。今は探す時間もないのに、不安を抱えても仕方ない。

本当は、戦死の他に、捕縛されて牢に入れられたり、下手すれば斬首の可能性だってある。

斎藤は御陵衛士に居た期間に、確かな時代の変化と、西軍の権勢が増すのを感じた。

数で勝った幕軍が第二次長州征伐で負けたように、今回も負けるかもしれない、と内心思っている。

それでも。一心不乱に進むだけだ。道があり、進む足と目指すものがあるならば。

何があろうと、どうなろうと、己に負けさえしなければそれでいい。

逃げる気も戦に果てる気もない。千恵を守って……戦い抜く!

俺達の未来の為に。


明るい表情の戻った千恵の顔を眺めながら、斎藤の腕はその体をしっかりと捕まえて離さなかった。

もう、離せなかった。





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