108 変化
斎藤が天満屋に警護で詰める一方で、平助は山南の補佐に入った。まず驚いたのは、山南の青白さだった。
単純に睡眠不足、だけで済まされないその様子。これじゃ土方さんが心配するのも無理ねぇよ、と思った。
油小路での一件があった夜にこちらでも騒動があったとは聞いていたが、詳細は知らされていなかった。
ただ、一度に五人もまとめて粛清した、という報告には内心驚いていた。
服用して三年〜四年。最初の頃の服用者とは比べ物にならない程長く理性を保ってきたが、限界が近づいてるらしい。
将軍は大政を奉還しちまったし、今は誰が変若水の本当の持ち主なんだろうな。研究する意味あったのか?
平助は疲れた顔の兄弟子を見て、胸がズキンと痛んだ。ずっと……一人で頑張ってきたんだよな。
一人でいるのも、一人で考え込むのも良くないと、離隊から帰隊までの期間で身に沁みて分かった。
これからは、一人じゃないぜ?
口に出して言うのは面映いので心の中で呟くと、平助は早速見張りの交代を請け負った。
山南によると、また様子のおかしい奴が出たらしい。平助は、地下の独房に向かった。
「荒れてますから気をつけて。」
そう言われたものの、男は案外大人しく牢の端に座っている。
「よっ、山南さんと交代したんだ。お前寝とけよ。昼は眠いんじゃねぇのか?」
平助が気軽に声を掛けると、顔を上げて男がこちらをジッと見た。
嫌な目つきだな。なんか……ねっとり這うような、吟味されてるような。内心そう思ったが、顔には出さなかった。
男が帯刀していない事、間に鍵付きの格子がある事が、平助に優位を感じさせた。
けれど、男が次に発した言葉が、平助の警戒を最大級まで引き上げさせる。
「おまえ、美味そうだな」
ニタァと笑った男の顔には、狂気と興奮が含まれていた。
ゾワッと悪寒が走った。気持ちわりぃ事言うなよ、と一蹴したかったのに、言葉にならなかった。
こいつ……俺を食いもんとして見てる。
人から化け物に変容するギリギリ一歩手前。狂い始めている男がそこに居た。
今こいつはまだ人間なのか? もう羅刹なのか?
人間に襲い掛かってくる完全に狂った羅刹なら斬ったことがある。
でも目の前の男の発言はもう人ではない気がするし、まだ羅刹と言い切れるほど凶暴でもなかった。
荒れてますからって……はぁ、そういう事かよ。これマジできっついなぁ。
刀での力比べじゃなくて、精神的な根競べ。朝までの楽しい話し相手にはなりそうにないな、と苦笑いした。
山南は平助に見張りを任せて布団に横たわると、これまでの自分を振り返った。
……新選組の結成当初、集められたのは尊王攘夷の志士達だった。
当時から近藤は幕府による攘夷を願っていたが、勤王派の隊士も多く、攘夷の点だけで繋がった組織だった。
山南自身も尊皇攘夷派だった。孝明天皇の信厚く、御所のある京の町を警護する仕事には誇りが持てた。
なのに会津藩預かりの組は次第にその藩の色に染まり、過激派とはいえ同じ攘夷志士を取り締まるようになり。
池田屋事件や禁門の変で地位は確立したが……勤王派の居場所はなくなっていった。
幕府が守る朝廷を、我らも守る! という近藤独自の勤王佐幕を支え、組織も大きくなり、幕臣にまで登りつめたが。
薩長の勢いは止まらない。遅かれ早かれ朝廷は、そして帝は、あちら側のものとなってしまうだろう。
このままでは幕府を守る為に朝廷と対決する、なんて事になりかねない。結成時の経緯を考えたら本末転倒だ。
孝明天皇が生きていらっしゃったら……違ったでしょうにね。
山南は、亡き聡明な帝を思い出し、今更ながらその死を悼んだ。公武合体はついに夢のままで終わってしまった。
今の新選組は結束は固くなり一枚岩にはなったが、道も一つになった。もう、幕臣として突き進むしかない。
既に大政奉還した、足並みもバラバラの幕府の、内側に取り込まれてしまった。
なんとも……身動きの取れない位置にはまってしまってますね。
それでもここを離れられない。ここまで苦労して育てた組織を、今更見捨てられるわけがない。
そして……羅刹達も。
いっそ残る六人を切り捨てて、変若水を幕府に返上してしまえば楽なのに。
情に絡めとられて、刀が上がらない。変若水はもう使わないが、僅か数名の為の研究がやめられない。
仏の山南……仏とは苦悩が大きいものらしい。山南は羅刹に入れ込んでしまった自分に、苦笑いするしかなかった。
その五日後。平助は夜中に穴を掘って、始末した男をその中に放り込んだ。
結局、瀬戸際に立っていた男は、理性という垣根を自分で飛び越えてしまった。
土をかけながら、少しホッとしてる自分が居た。なんかもう、山南さん見てらんねぇんだよな。
きっと一緒に笑いあった日々があるんだろう。だけどそれはもう過去の話だ。
残る五人の羅刹隊士は、運命の日を待つように静かに暮らしている。……そこに笑顔はなかった。
最後は狂っちまうんだから、仲良くなってからだと辛いだろうな、結局殺さなきゃなんねぇんだし。
ザッザッと土をかけながら、平助は屯所の方を見た。まだ灯りが漏れているが、もうじき真っ暗になるだろう。
……総司の奴、もう寝たのかな? あいつ、もう戦えねぇよな。あんなに強かったのに。
平助は帰隊してまず、総司の病状悪化に驚いた。絶対負けないと思っていたのに、労咳はやっぱり手強いらしい。
病魔は確実に、総司の体から体力を、そして負け知らずだった腕から筋肉を削いでいっていた。
それに、馬鹿ばっかりやってた左之さんと新八つぁんも、前とは少し様子が違う。
幕臣になって生まれた、近藤さんとの上下関係がかなり不満みたいだ。
二人とも元々脱藩者で、近藤さんとは同志として上京したんだから、当然と言えば当然だろう。
もう、道場で同じ鍋から雑炊を奪い合って食ってた頃には戻れない。戦も迫ってるし、笑えない日もきっと多くなる。
けど。そんでも目の奥にあるもんは変わってないと思うんだよな。後ろとか下は絶対見ねぇって感じでさ。
幕府が転ぼうが、戦が始まろうが、きっと……雑草みたく粘り強く生き抜こうとするはずだ。
俺も粘って粘って、生き抜かなきゃな。死んじまったら、何にも見れねぇし。
折角こんな動乱の時代に生きてるんだ。どうなるかとことん見届けて、「あの頃は〜」なんて語るじいさんになってやる!
そんで……若い頃は色々やったんだと孫に自慢してやろう。……ハハ、孫の前に、子供の前に、嫁もいねぇけど。
平助は最後に鍬の腹でしっかり土をならして固めると、大きく伸びをした。
「お前はゆっくり眠れよな。もうさ、終わったんだしよ。代わりにこの先は俺が見てやっから!」
土の下の男にそう告げると、離れに戻った。平助はもう後ろを振り返らなかった。
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