06 魘夢
電話が鳴っている。取らなきゃ。いや、取っちゃだめ。その電話に出ちゃ駄目。聞いちゃダメ。
でも私は電話に手を伸ばす。絶望に手を伸ばす。
警察の遺体安置室。確認は父の友人が行った。父の仕事に母が同行し、夫婦揃っての出張兼旅行。
もう高校生なんだから、と手を振って見送った。行ってきます、行ってらっしゃい、それが最後だった。
いってらっしゃいは、おかえりと対じゃないの?
待っても待っても開かないドア。
おかえりは、いつ言えますか?
ただいまは、いつ聞けますか?
電話が鳴る。私が手を伸ばす。絶叫が木霊する。
「いやあああっっっ!!」
ハッと目を覚ました。動悸がひどい、呼吸が荒い。
ああ、自分の声で起きたんだ。頭、痛いな。寝汗もひどい。視界が涙で滲んで天井が歪む。
「千恵ちゃん!! 大丈夫!?」
「あ……ごめんね、起こしちゃって。ちょっと夢見が悪かったみたい。まだ暗いね、もう少し寝よう?」
「待って! 千恵ちゃん……泣いてるの? 大丈夫?」
千鶴ちゃんが上体を起こしこちらを見る。二月の深夜、夜着だけじゃ寒いのに……優しいなぁ。
「うん……久しぶりにね、夢を見たの。両親の亡くなった時の夢。やだな、こっちに来て全然見なくなったのに」
涙を隠すように、手で顔を覆う。ホント、こっちに来てからふた月、見てなかったからホッとしてたのに。
それだけこちらの生活に慣れたって事なのかな。はぁ……でも起きて千鶴ちゃんが居てよかった。
「声が聞こえたが、何かあったか?」
襖の向こうから、斎藤さんの声がした。私達を気遣ってか、襖は開かれなかった。
慌てて羽織を羽織る。千鶴ちゃんも、羽織に袖を通した。襖越しに話すのは申し訳ない。
「あ、すみません、お騒がせして。今開けますね……あっ」
布団から立ち上がり襖に向かおうとしたら、足に力が入らず襖を少し開けたところでガクリと膝が折れた。
開きかけた襖から月宮が崩れ落ちる姿が見え、慌てて襖を開き咄嗟に体を支えた。
ふわりと漂う香りと温かく柔らかい感触にドキリとするが、襟に縋りつく手が震えている。
温かいというより……熱い?
「雪村、熱があるようだ。今そちらに寝かせる。申し訳ないが入らせてもらう」
「ええっ、千恵ちゃん大丈夫!? 斎藤さん、私お水を持ってきます!」
返事する前に廊下を去ってしまった。少し焦る。この場合、自分が行くべきだ。
監視対象を一人で部屋から出してしまった。しかも深夜に夜着の女性が腕の中。
顔が熱くなるのを感じ、慌てて抱き上げ布団に運んだ。思いの外軽く華奢で驚く。女なんだと実感する。
仕方ない、普段抱えるのは酔いつぶれた新八か……死体だからな。
「すみません、お手間かけて。……頭痛い。熱、あったんだ、ハァ」
「月宮……泣いていたのか?」
残った涙の筋、湿った髪。もっと掛けてやるべき言葉が他にもありそうなものだが……。
この場に居合わせたのが左之ではなく自分で、申し訳なかった。左之なら慣れてそうだ。
「アハハ、ばれちゃいましたね。両親が死んだ時の夢を見て……さっきの声は多分それだと思います。
……帰って来ないんです。ずっと待ってるのに。…………ただいまって……。
ずっと言えないんです。おかえりって……まだ言えない……。まだ帰って来ないんです」
掛ける言葉が見付からず、代わりに頭をそっと撫でた。艶やかで滑らかな手触り。癖のない黒髪。
慰めているつもりだったがずっと触っていたいような、不思議な心地になった。
ふた月か。寒波のせいもあるだろうが、きっと慣れない生活で心労が積もっていたのだろう。
常に明るく溌剌としていた為気付かなかったが、常に明るい人間などいない。
監視に対しても、雪村より敏感だった。襖を開けると必ず目が合う。常に気配を意識している風だった。
監視は本当にまだ必要なのか? ……いや、命には従うが。従うが、釈然としない。
髪を撫でるうちに落ち着いたのか、月宮が自分を見上げ、嬉しそうに微笑んだ。
綺麗な顔だな……病人から辛い話を聞いているというのに、ふとそんな事を思った自分を恥じた。
「大丈夫だ、もう悪い夢は見終わったんだ。次はいい夢を見る」
「本当に?」
「ああ」
確約など出来ないが、そうあって欲しいと願った。
廊下を小走りに戻った雪村が湯飲みの水を差し出し、受け取ろうとした月宮が上体を起こしかけ、顔をしかめる。
「すみません斎藤さん、千恵ちゃんの背中支えてあげて貰えますか?」
「分かった」
軽く支えるだけでフワリと起き上がる。ちゃんと身が詰まっているのかと心配になる。
受け取る手が震える為、雪村が湯飲みを支えて水を飲ませるのを見ながら、腕に寄り掛かる月宮の体温を意識した。
飲み終えた月宮を横たわらせ、肩まで布団を掛ける。手桶に入った水で手拭いを絞り、雪村が額に乗せた。
「後を頼む。朝、替えの水を持ってくる。朝餉は粥でいいか?」
「はい、お願いします」
雪村に頷き、立ち上がったところで再び月宮が口を開いた。
「あの……ありがとうございます。斎藤さんでよかった」
「ゆっくり休め。……もう大丈夫だ」
願望も混ぜた保障を与えると、月宮は淡く微笑んだ。その笑みがあまりに儚くて。
開いた襖から差し込む月の光に、滲んで溶けて消えてしまいそうだった。
微かに湧いた、もう一度髪を撫でたい衝動を抑え、襖を閉めて自室に戻る。
一度副長に監視の件を進言してみよう。幹部の同行があれば、外出も別段問題ないように思える。
「斎藤さんでよかった」
最後の言葉が、繰り返し耳に甦った。自分の口元が僅かに笑んでいることには、気付かなかった。
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