79 恋話
六月の上旬。とうとう長州征伐の戦端が開かれた。新選組に出兵要請はなかったが、開戦の一報に屯所内は緊張した。
斎藤はより一層隊士の鍛錬に力を入れ、土方は刻一刻と変わる戦況を把握するため、各所との連絡に忙しい。
千恵と千鶴もそれなりに忙しいのだが、なんだか落ち着かない雰囲気の屯所で、休憩を取るのも気が引けた。
そんな二人にいち早く気付いた原田は、新八に耳打ちすると、昼の巡察に出かけて行った。
「千恵ちゃんに千鶴ちゃん、相変わらずまめまめしく働いてくれてんなぁ、ご苦労さん!
ところで、あれだ。あの〜〜なんつったけ、千姫だっけか。あの子とゆっくり話でもしてぇんじゃねぇかと思ってよ。
連絡取って、茶でも飲んできたらどうだ? 明日は非番だから、昼からなら付き合ってやるぜ?」
「いいんですか? なら早速、茶店に文を出してみます。有難う、永倉さん!」
「私も島原でお世話になったお礼が言いたかったの。ちょっと足を痛めて、奥の部屋を使わせて貰ったし」
千恵と千鶴が嬉しそうに笑う姿を見て、やっぱ左之はすげぇな、と思いつつ満更でもない永倉だった。
女の子は笑ってるほうが可愛いもんだし、こいつらの飯は美味いからな。
……どうしても飯からは離れられないのだが。
翌日、昼餉が済むと永倉の同伴で屯所の門を出た二人は、なんだか女の子らしい気分になって茶店に向かった。
男所帯で暮らしていると、女の子三人で甘味を食べながら他愛もない話をする、というだけで小さなイベントになる。
暑いから葛餅にしようかな、でも折角だから焼きたてのお団子もいいな、と道中も盛り上がった。
永倉は、そんな二人に声を掛け、向かいの酒屋で一杯やってるから帰る時に呼んでくれ、と手を振って別れた。
「なぁ〜んだ、永倉さんの本命はお酒かぁ」
「でも連れて来て貰えたんだし。あ、お千ちゃんだよ? 行こう!」
千恵と千鶴はお千を見つけて小走りに駆け寄り、今では馴染みとなった茶店の二階座敷に、上がっていった。
「暑いけど、やっぱり焼き団子にする! お千と千鶴ちゃんは葛餅? あとで一口交換しようね」
いつも通り、注文した甘味とお茶が届いたら店の者が退室するのを待って、話を始める。
千恵と千鶴の気掛かりは、やっぱり島原でお千が言い残した意味深な台詞。ワクワクする二人に、お千は苦笑した。
「まったく、早く聞かせろって目が言ってるわよ? ……まあ、私も早く言いたかったんだけどね。
あのね、実は……風間と私、将来結婚する事に……なるのかな?なりそうなの。今の所」
「「ええ〜〜〜っっ!?」」
千恵と千鶴は声を揃えて驚き、甘味を食べる手を止めた。甘いものを脇に置いて聞きたい程の、衝撃発表だ。
「なんで? いつ? 今の所ってどういう事!?」
千恵の矢継ぎ早な質問に、お千は困ったように照れながら、ちょっと嬉しそうに一つずつ答えていった。
千恵の祝言前に、久し振りに再会した事。少し喧嘩腰な話し方で怒らせたけれど、許して貰えた事。
そして……十三年前の悲劇を、風間に打ち明けた事。
秘密を抱えていたお千の苦悩が分かり、千恵も千鶴も、悲しい真実よりそちらに心を痛めた。
「ごめんね。きっと話せば分かってくれる、そんな気がしたの。実際……分かってくれたし」
「どうしてお千ちゃんが謝るの? 何にも悪い事してないのに。人と鬼が不仲になるのを避けたかったんでしょう?」
「有難う、千鶴ちゃん。そう、それが大きいし、これからもきっと……話さない。
話せばきっと、二人への同情とか両家への賞賛が集まるんだろうけど、新選組にはいられなくなっちゃいそうだもの。
皆……そんな人間の過ちを許せる程、人に優しくされていないから。勿論愛し合っている人達もいるんだけどね。
千恵の時代でも同じだろうけど、鬼は女が圧倒的に少ないから、男鬼は人の女性と結婚する事が多いの。
だからそれでまた、鬼は女を攫う、な〜んて話が出来上がっちゃうのよね。参っちゃう」
「逆はないの? 女鬼が人の男性と結婚する……私とはじめさんみたいな夫婦」
「ん〜〜、ない事もないだろうけど、女鬼の数自体少ないから、男鬼にモテるじゃない? 私の知る限り、千恵で二例目ね。
同胞同士の方がやっぱり楽だもの。まず打ち明けるっていう難関がないし。フフフ、でも千恵はそう考えると凄いわね!」
「二例目? そんなに少ないの!? だって……好きになっちゃったんだもの。もう結婚しちゃったし、今更だよ。
それより、どうしてその打ち明け話から結婚に一気に飛んだの? 二人の濃い血を残したいっていう願望?」
千恵の言葉に、お千は盛大に溜息をついた。そう、プロポーズされたのに愛してると言われなければ、女性は普通こうなる。
「はぁ〜、それがね……突然、迎えに来るから横を空けておけって宣言されちゃったの。一方的に!」
「フフ、風間さんらしいね。それで……お千ちゃんは空けておくの? なんかちょっと可愛い」
千鶴のからかいに顔を赤らめながらも、ちょこっとお千は頷いてしまった。だって、しょうがないじゃない。
待っていろって言われたんだもの。待つわよ……私だって……嬉しかったし。
強引な求婚に不覚にもときめいてしまった事を渋々認め、自分の事のように嬉しそうな二人に、素直に白状した。
「フフ、単純よね? 内々に縁談が来た時には全然そんな気になれなかったのに。本人に言われると……結構嬉しい。
風間が薩摩との約束から解放されるまで、待たないといけないのにね。それでもいいって思えるの」
「そりゃそうよ。気持ちも言葉も、相手の目を見て伝えないと。きっと風間さんの目に、ちゃんと気持ちがこもってたのね。
だから本気だって感じたんでしょ? 本気で……一生を一緒に過ごす相手に選ばれたんだって」
「っ! ……本当だわ。うん、今考えたら、そう……かも。フフフ、今頃気付くなんてね! 有難う、千恵」
鋭い指摘に驚いたけれど、ようやく納得がいった。だから……腹が立たなかったんだ。本気だから。
選んで、選ばれて。それでもまだ先は遠い。
長州征伐は始まったばかりで、薩摩はそれを陰で支援している。……幕軍に負けないように。
勝てば、下手すると政権が変わる可能性がある。変われば、今度は新選組が追われる。
自分達の幸せは自分達で掴み取りたいのに、小さな船で揺れるように政治の波に流されているのが、切なかった。
暗い気持ちを払うように、お千は葛餅を口に放り込み、同じく葛餅を頬張る千鶴を見た。
千鶴ちゃんはどうするのかしら? ふとそんな疑問が思い浮かび、そのまんま質問に変えた。
「ねぇ、千鶴ちゃんは好きな人いないの? 人でも鬼でも……って言っても、男鬼は三人しか知らないわね。
新選組にいい人でも居るの? その……鋼道さんの迎えを待てるぐらい、支えになる人が」
「コホッ! お、お千ちゃん!?」
「あっ、それ私も知りたいな〜〜。例の方とはどうなってるんですか? 千鶴姫?」
「千恵ちゃんまで! ……いいな、と思ってるよ? だって……格好良くて強くて優しいんだもの。
でも、別にどうこうなりたいって訳じゃ! ……ないと、思う?」
「最後、なんで疑問形? はっきりしないのは……土方さんのせいね。千鶴ちゃんのせいじゃない、うん」
名前を出されて千鶴は真っ赤になった。本当にもうっ。……千鶴の脳裏に、あの日の口付けが甦る。
優しかったし、本当に……温かかった。
緊張したり、激しく気持ちを揺さぶられるというのでなく、大きな温かさに包まれている気分だった。
一度きりだし、他に比べようがないので、それが良いか悪いか分からないけれど。
自分だけの大切で幸せな、秘密の思い出。
「いいの、私は今でも充分幸せだから。もっとなんて贅沢だし、毎日そばに居られるんだもの」
「そっか、ならこれからだね。フフフ、きっと幸せになれるよ、千鶴ちゃんも」
千恵は千鶴の言葉が、そのまんま昔自分が言っていた事だと思った。片思いしていた頃千鶴に話したそのまんま。
だから、きっと土方さんが動けば千鶴ちゃんは幸せになれるだろうな、と思った。いつかきっと。
甘味もお茶もなくなって、それでもまだ話し足りなかったけれど、このままだと永倉さんが酔い潰れてしまう。
それに、帰ったらやらないといけない仕事もある。千恵達は、また会おうね、とお千に挨拶をして帰路についた。
「今日は楽しくってすごく一杯話しちゃった。今度永倉さんにお礼しなきゃ」
「そうか、よかったな。それにしても……風間と千姫か。喧嘩したら長引く夫婦になりそうだな」
「ん〜〜意外と、お千が怒って実家に帰ったら風間が迎えに行く、っていう形で収まるんじゃないかな?
……そう言えばはじめさんと大きな喧嘩ってした事ないですよね? 不満は溜めてませんか? 怖いけど知りたいです」
「いや、不満は……ああ、今から解消していいか? 少しだけ溜まっている」
「ええっ!?」
不安になった私を、クスクス笑いながらはじめさんは抱き寄せた。優しくふんわり抱え込まれ、少し戸惑う。
不満が溜まっているのに……笑ってる?
額に、頬に、首筋に落とされるキスは、いつも通り安心とときめきを与えてくれる。
はじめさんは行灯を消すと布団に入り、私を組み敷くように跨った。ひよっとして……?
「ああ、そうだ。お馬は終わっただろう? 今夜は大丈夫だと期待してるんだが……駄目か?」
ああ、やっぱり。体調まで全て知られているのは恥ずかしいけれど。私は首に手を回し、落ちてくる唇を待った。
幸せな夜の合図と共に、千恵は斎藤にそっと足を絡めた。
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