78 後記

島原での捕り物で屯所襲撃は防がれた。また、綱道が寝返って姿をくらました訳ではないと知り、皆内心ホッとした。

再び行方知れずにはなったが、今度は千鶴の居場所を知っている。いつか迎えに来ると思うと、千鶴の顔も明るかった。

変若水の事については聞けず終いだったが、今は新たに羅刹化した者もいない。問題は少しだけ先送りにされた。

……さて、ここで島原騒動の後記を少しだけ書くとしたら。やっぱり土方と千鶴の事だろうか。



「総司、何故副長はあの時店の前におられたのだろう?」

「さあ? ……あの会話が効いたかな」

「会話?」

沖田は島原に出発する前、副長室のそばで永倉と立ち話をしていた。……ちょっと大き目の声で。



「きっと、何かあったらはじめ君は千恵ちゃんを優先しますよね。だって奥さんだもの。千鶴ちゃん大丈夫かな?」

「平助もいるから問題ねぇだろ? あいつだって千鶴ちゃんの為なら頑張るだろうよ」

「けど伝令も兼ねてるから、何かあったら報せに来るでしょ? そしたらやっぱり千鶴ちゃんは一人だ」

「その為にお前と左之が行くんだろ? お前がさぼらなきゃいい話じゃねぇか」

「けど左之さんはきっとすぐお姐さん方に捕まるし、僕も意外と放っておいて貰えないんですよ」

「カァ〜〜ッ、結局はモテる自慢かよ! 顔のいい奴ぁ羨ましいったらねえぜ! ほら、とっとと行ってこいよ!」



回想が終わり、沖田は溜息をつくと、つまらなさそうに足元の砂利を蹴った。

「効果はあったけど……効きすぎたかもね。やきもきするぐらいでよかったんだけど。

 はじめ君、大人ってずるいよね。分かんない? まぁ……平助の淡い初恋の方が可愛げがあるって話だよ」

「?? 話がよく見えんが……平助は誰かを好いているのか? そうか、あいつもそんな年か」

いや、君と同い年でしょ、なんで上から目線なわけ? 沖田は色々突っ込みたかったが、確かに妻帯者には負けるだろう。

自分の投げた石が思わぬ波紋を広げたのかも知れない。最近の千鶴ちゃんを見ていると、そう感じる。

……そう感じ取れるくらい、島原の一件以来、千鶴ちゃんは妙に女らしくなっていた。

父親との再会で芯が通ったのとは、別の意味で、大人になった。

「もう……からかって遊べる年じゃないかもね」

「今頃気付いたか。お前はもう二十五だろ、そろそろ落ち着いていい頃だ」

僕が言いたいのは千鶴ちゃんの方なんだけど。はじめ君ってちょっと失礼だよね。

沖田は少しムッとしながらも、自分の数少ない理解者でもあるこの男に、少しだけヒントを与えた。

「はじめ君もさ、土方さんの事が好きなら、その目線が何を追っているかよく見てたらいいよ。きっと面白い事が分かる」

「ああ、それは確かにそうだな。……ありがとう、そうしよう」

きっと副長はもっと高みを目指しているだろう。その先に何があるか……確かに見る価値はある。

沖田の言葉を違った方向に解釈した斎藤は、納得して仲間の忠言を受け入れた。

第二次長州征伐が幕軍の勝利に終われば、数年来続いた内乱は次第に終息するだろう。

もし負ければ……大きな動乱の始まりに過ぎない、という事になるだろう。

局長と副長が、そしてそれに従う自分達の進むべき道が、もうじき分かる。

そう思うと、沖田の言葉は素直に受け取れる。思索は真面目な政局に移り、沖田は溜息を付いてその場を離れた。

……はじめ君は何か勘違いしているみたいだけど、まあいいや。屯所にこれ以上色恋沙汰はいらない。

簡単な話だ。女は足枷になるから要らない。近藤さんの為に動くには、常に身軽でいたい。

だが、そんな沖田にも、思わぬ足枷がはめられようとしている。……労咳だ。

外したくても外せぬそれを、少しでも軽くしようと、沖田は夕餉まで横になることにした。

「しっかり食べてしっかり休んで下さい。……労咳で亡くなる人も多いけど、生きてる人も多いんです」

千恵に言われた言葉が、今の沖田には眩しい希望になっていた。……白髪頭の土方さんをからかわなくちゃね。

その横に、同じく白髪頭の千鶴ちゃんが居たりして。そんな事を思いつつ、私室の布団にゴロリと寝そべった。




そして当の本人達はというと。相変わらず土方は副長であり、千鶴はその小姓であった。

あの日二人は確かに口付けを交わした。土方はその唇から少しだけ想いを届け、千鶴は僅かにそれに触れた。

けれど屯所に戻って以後、二人きりの時にも、その話題に触れることのないまま日にちが過ぎた。

翌朝千鶴が微かに頬を染め、土方の方も呼応するように少し赤らんだ。ただ、それだけだった。

が、目に見えない何かは確実に変わっていた。二人の主従関係に、「支え合う」という側面が加わった。

お茶を渡す時。書類を受け取る時。言葉には出さない想いを伝え合うように、微笑が添えられる。

今はまだ、言葉にするには早すぎるし、状況もそれを許さない。

お互いの立場を尊重し合いながら、土方と千鶴の恋は静かに幕を開けた。




「なんかさ、気が抜けた」

「何がだ? お前また塞ぎの虫にでも取り付かれたか?」

原田の部屋に来た平助は、座布団を抱えてうつ伏せに寝そべると、庭の紫陽花を眺めた。

「ちげぇよ。つーか、何だよその塞ぎの虫って! そうじゃなくってさ。綱道さんがやっと見付かって、けどまた消えただろ?

 なのに、なんで千鶴の奴、あんなに落ち着いてられんだろうって。そりゃ迎えに来るって言われたらしいけどさ。

 そんなのいつになるか分かんねぇじゃん。明日か五年後かも分からないのに……笑ってるんだよな。

 しかも、無理して笑ってる感じじゃなくて、諦めた風でもなくて、自然に笑ってるんだ。

 俺……あいつより子供なのかも知んねぇって思った。俺だったら……あんな顔出来ねぇもん」

どっこいどっこいの背丈だった仲間が、自分より先に背が伸びてしまったような、小さな寂しさと僅かな悔しさ。

それがいいなと思っていた女の子だから、尚更実感した。女は……大人になるのが早いんだな、と。

まさか土方のせいだとは思いも寄らなかったが、真面目に少女を見つめていた目には微妙な変化が分かったようだ。

そして、女心には聡い原田にも、はっきり確認した訳ではないが、千鶴はあっちに傾いたな、と感じられた。

……まぁ、大人だしな。俺が女でもあっちに惹かれるさ。だが……それが幸せかどうかは、別だよな。

原田は、仲のいい平助を贔屓するという意味だけでなく、女の幸せ、という点で平助に軍配を上げていた。

千鶴は、平助を好きになれば、きっと楽しい恋を謳歌できただろう。その先には、明るさがある。

けど……好きになる気持ちだけは、他人にどうこう出来るものじゃない。

あいつが土方さんを好きになったんなら、修羅の道にも花が咲くんだろうな。……頑張れよ、千鶴。

険しい道を選んだ妹分に、心の中で声援を送りながら、平助をチラリと見た。

失恋には気付いていないが、変化に気付けた辺りはこいつも成長してるってことか。

「千鶴が笑ってりゃ、なんでもいいじゃねぇか。……なぁ平助、今から一緒に飲みに行かねぇか?」

「……だよな。本当にそうだ。あいつが笑ってんだからいいんだよな! よし、飲みに行こうぜ!

 俺、新八つぁんも誘ってくる! あと、夕餉は要らないって伝えてくるから、玄関で落ち合おうぜ!」

元気を取り戻した平助に、原田は苦笑した。こういう所がこいつの長所だよな。……いい奴だ。

そういう自分も、笑っていてくれればそれでいい、と、かつて千恵を諦めたのだが。

そんな過去は綺麗さっぱり流してしまっている所が、原田の長所でもあった。

二人の少女が笑い、恋をして女性になり、いつの間にか屯所の中で花を咲かせていた。

花は眺めている方が楽しいに違いない。そばで枯れないように世話する男には、それなりの苦労と責任が付き纏う。

原田は屯所の玄関に向かいながら、その二人を背負った男達にも声援を送った。

途中で落っことさないよう、しっかりおぶって幸せにしてやってくれな。

その言葉が届いたかどうか知らないが。その時、土方も斎藤も、確かにその花のそばに居た。




「っくしゅ! ……風邪か? いや、体調に問題はないな。……千恵、夕餉の支度なら俺も手伝おう」

斎藤は、野菜を入れた駕籠を千恵から取り上げると、一緒に井戸端へ向かった。

作る量が多いので、野菜を洗うのにもそれなりの体力と時間が要る。

「有難うございます。でもはじめさん今夜は巡察でしょう? 夕餉まで休んでていいのに」

「いや、総司と一緒にさっきまで休んでいたんだ。あいつには珍しく、いい話をしてくれた」

「いい話? 沖田さんが?」

……千恵も少々失礼だが。沖田の日頃の言動がそう思わせるのだから、仕方がない。

「ああ、副長の目線の先を追え、という忠言を貰ったんだ。先に何があるか、俺も見たいと前に話しただろう?」

「フフフ、土方さんは私達よりずっと先を見ていそうですもんね。一体何があるんだろう。

 ……きっと、形も名前もないけれど、残るものだと思います。だってここは新選組だもの」

「そうか、お前がそう言ってくれると心強いな。歴史の証人で……今はもう新選組の一員だからな」

千恵は、敗戦の将なのに後世までその名を残した土方と、敗軍の末端なのに平成で人気を誇る新選組を思った。

何かが残ったから、そこにあるものに皆惹かれるんだろう。なら、突然一緒に道を歩む事になった私も、それが見たい。

……はじめさんと一緒なら、険しくても登り甲斐がありそうだし、ね?

野菜を洗う水が冷たくて気持ちいい。二人で洗うと駕籠一杯の野菜もあっという間だった。

巡察の前でもこうして手伝う優しい斎藤のそばなら、どこに居て何をしようが頑張れる、そんな気がした。

もうじき戦の火蓋が切られようとしていたが、長州は遠く、京までは大砲も届かない。

政局はもう新選組も巻き込んでいたけれど、渦の端はまだ流れも緩やかで、千恵は気付いていなかった。

いや、気付かない振りをしていたのかもしれない。なにせ、新選組が活躍したのは、「幕末」なのだから。

五稜郭が平定される三年前の夏。まだ西本願寺の屯所で皆揃っていて、穏やかに笑って暮らしていた。




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