77 恋情

部屋に着くと土方は、抱えていた千鶴を下ろし、足首の具合を確かめた。

白く細い足を自分の膝に乗せ、押さえて表情を見たが、さっきと違い顔は顰めなかった。

痛かったのは挫いた時だけか。……鬼だしな。

安心して足を離し、千鶴の顔を見て驚いた。赤く頬を染めて恥じらい、裾を直す姿は……ドキッとするほど色っぽい。

その表情に、ついさっきまで抱き上げていた時の腿の感触や、鼻をくすぐる女らしい香りまで思い出して。

三味線の音が遠くに聞こえる奥座敷。そこに水揚げもまだの初々しい女と二人きり。……千鶴と二人きり。


男の性を掻き立てる状況と、先へ進むことを許されない関係性に、知らず眉が寄っていたのだろう。

「ごめんなさ……い」

掠れる声で謝る千鶴に、ハッと我に返った。目尻に溜まった涙が、今にも零れ落ちそうだ。

土方はその涙を指で掬うと、反対の手で千鶴の頭をそっと撫でた。途端に、もう一滴涙が指に伝う。

「捕り物の邪魔をしてしまって……すみませんでした。土方さんも……行くべきなのに」

「ククッ、今頃もう終わってる。心配しなくてもあいつらならあっという間だ。俺達は強いんだ、知ってんだろうが?

 それにこれはお前のお手柄だ。……よく聞き出せたな。大したもんだ」

その言葉に、ようやく千鶴は顔を上げ、大きく首を左右に振って言葉を探した。

伝えないといけないもう一つの報告。……父が見付かったこと、そして、父が去ったこと。

再会から別れまで、ほんの僅かな時間に得た情報を伝えながら、また行ってしまった事が今更ながら悲しくて、

千鶴の声は次第に途切れがちになり、涙は筋になって頬を伝った。

土方が指で拭っても足りないほど溢れた涙が、顎から落ちて着物を濡らす。

静かに話を聞いていた土方は、冷静に考えを巡らせる一方で、その涙の源を……千鶴の顔を肩口に押し付けた。

「いいから、今は泣いとけ。お前のことだ、どうせ戻ったら空元気で笑おうとするだろ?

 ……綱道さんにも考えがあるって事が分かったし、元気な姿が見れてよかったじゃねぇか。

 攘夷過激派に潜入してるって事は、かなり危ない橋を渡ってるって事だ。

 下手に後を追ってたら、二人とも危なかったかもしれねぇ。……よく、堪えたな。

 お前の居場所は分かってんだから、きっと迎えに来る。きっとまた会える。

 だから……それまでは、新選組に居ろ。俺が……俺達が守ってやる。返事は?」

「はい……はいっ、お願いします。お願い……一人にしないで下さい。もう……一人になりたくありませんっ」

――最後のひと押しだった。衝動を抑える理性が、恋情を留める事情が、その声に押し流される。

土方は肩口に抱き寄せていた千鶴の頭を両手でそっと包むと、自分の顔に寄せた。

「分かった。分かったからもう言うな。一人にはしねぇ。お前は……俺のそばに居ろ」

そう言うと、揺れる瞳を見つめ、瞼を閉じて千鶴に口付けた。優しく労わるように重ねる、初めての淡い口付け。

土方にとっては慣れた動作と慣れた感触。なのにそれは痺れるほど甘く、離すのが惜しいほど切なかった。


…………今だけは。この瞬間だけ、俺とお前は男と女だ。


自分の想いで千鶴を追い詰めないように。けれど、千鶴が悲しみで押し潰されないように。

土方は優しく慈しむように下唇を食み、孤独から救い出した千鶴に、人の温もりを伝えた。

やがて唇を離した土方は、まだ放心している千鶴を見て、自分の行いが過ちでない事を祈りながら頭を撫でた。

「お前の着替えを取ってくる。きっと皆心配して待ってるぞ? 一緒に……帰ろう」

そう言って出て行った土方が襖を閉めると、千鶴は自分の唇にそっと触れた。

口付け……私……土方さんと……口付けをしたんだ。

まだ実感は湧かなかったけれど、唇に残された感触は、それが現実だったと教えている。

屯所への帰り道。お互いに言葉はなかったけれど、何かが通い合っている。そう思ったし、そう思いたかった。





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