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「それにしても、小常さんが永倉様に助けていただいたなんて聞いていませんでした」

扇を掲げたまま、くるりと体だけを優雅に入れ替えて、霧里さんは私の弾きで舞いながらくすくすと笑う。

「だって、あちらが私の名前も覚えていないくらい些細なことでしたもの」
「ふふ、その『些細』な事を、ちゃあんと小常さんは、ずっと思ってらっしゃったのかぁ、と、思いまして」
「……もう」

からかわれて、少し気恥ずかしくなった私はちょっとだけ口を尖らせて、山場の節を強く撥で弾いた。
霧里さんの手が、ひらりと投げた扇を反対側の手でしなやかに受け止めると、長い裾が舞い上がってふわっと蝶の羽根みたいに揺れた。

「それで、結局昨晩はどうなさったんです?」
「どうもこうもありません。朝までずっと酔いつぶれていらっしゃいましたし」
「……え?」
「ずっと起きないんですもの、お話だってまともに出来やしませんでしたよ」

霧里さんが舞の動きを止めたので、私も撥を止めた。
目をぱちくりさせて、何をするのだろうと思った次の瞬間、彼女は盛大に吹き出した。

「ふふふふっ、じゃあ土方先生がせっかくお膳立てしてくださったのに、なあんもなしだったのね」
「わ、笑わないでください……本当になにもなかったんですってば」

まだ、喉の奥底でくっくと笑いを堪えた霧里さんは、ぺたりと畳の上に腰を下ろすと普段はお客にみせないような素の笑いを私に向けた。
ますます、頬が熱くなってしまう感触があって、思わず両手で顔を覆った。
あぁもう、妹分の弥勒なんかにはこんな顔見せられない。

「小常さんが、気に入った方なら頑張ってくださいな。私も協力しますよ」
「ですから、そういうわけじゃ――」

とは、言ってみたものの霧里さんはにこにこと笑顔を向けたまま私の手を握って来て。
それ以上はもう何か言い返すのも難しい気がして、もう一度、今度は着物の袖で隠すように顔を覆った。





三日ほど後だったか。
女将が私に向かって差し紙を突き出した。

「今日は地方じゃないそうだよ、小常」
「私ですか?」

逢状の名を見れば『永倉』とあって、とくんと胸の奥で響くものがあった。

「弥勒、一応舞える準備をしておいて」
「はい、小常姐さん」

自分も準備はしてあったけれど、いそいそともう一度鏡に向かう。
だいたい地方として他の太夫や天神の舞の伴奏といった、裏方的な気性がついてしまっているためか、いつもの通りの着物も帯も化粧も、
なんとはなしに落ち着いた地味なものばかり選ぶようになっていた。

どうしようと少しの間悩んで、思い切って取り替えることにした。
着物は明るい藤の模様のものに、帯を錦糸の大きな牡丹を彩ったものに。
紅は明るめの朱にして、簪も色の鮮やかな飾り物へと。

普段自分で合わせないような彩りは新鮮で、鏡に映った自分はたったこれだけのことで見違えるように別人みたいだった。

「うわ、なんか姐さんきれい」

弥勒が素っ頓狂な声をあげて、目をしばたかせて見る。

「黙ってて……なんとなく私も恥ずかしいんだから」

そういって私はずいぶん遅れてしまった準備を整え、早足で揚屋へと向かった。




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