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見上げた梢から、一片の花びらがえりの頭上にはら、と舞い落ちてきた。
手を差し出すと、その白い花びらは可憐に舞いながら、やがてはえりの掌に収まった。
その姿は、まるで霞の空から落ちた真白な雫のよう。
えりは懐から手ぬぐいを取り出し、掌の雫を大事にしまおうとした。
途端にそんなえりの気持ちも知らぬ風が、悪戯に掌の雫を浚う。
「あ」
思わずえりが腰を浮かした時、目の前をもう一片が横切った。
その瞬間。
えりの鼻先を優しく掠めるように、大きな手がその雫を掴んだ。
風に飛ばされぬよう、土方はえりの膝元に軽く握った自分の手を差し出す。
「逃しゃしねえよ」
そう言いながら広げられた掌には、先ほどよりももっと可憐な、山桜には滅多にないほんのりと紅に色づいた花びらが乗せられていて。
まるでその言葉は自分に投げかけられた言葉のように思えて、えりはトクトクと心鼓を跳ねさせながら、彼の掌の花びらをそっと指先でつまんだ。
淡い、淡い紅に色づいた花曇りの雫は、えりの胸元にそっとしまわれた。
あの小舟の上で見上げた桜よりも、えりにはこの一片が宝物。
今度はいつこうして出かけられるかはわからないから。
胸元に手を当て頬を染めるえりに微笑み、土方は頭上を見上げた。
えり、勘違い、してるぜ……?
それきり風に揺れる山桜を見上げたままの土方に、えりも頭上の桜を見上げた。
そよ吹かれる花枝からは、はらり、はらりと真白な花びらが身を翻すようにして降ってくる。
静かに息を吸う気配。
えりが視線を向けると、土方はその目に花枝を映しながらに言葉を紡いだ。
「何も花を俺と決めつける事もねえだろう?二人でいるなら、お前があの花で、傍で守ってるあの葉っぱが俺でいいじゃねえか……」
こんな自然の中、手入れもされずにひっそりと、それでいて力強く息づく姿は、まるで自分達のようだ。
武士が花だというのなら、その束の間の休息は誰にも知られずに、たった一人の花を守る葉でありたい。
えりがそんな横顔を潤んだ瞳で見つめる中、土方は眩しそうに花を見上げ、苦笑まじりの笑みを浮かべた。
「俺はお前に惚れて、花の終わりを待ちきれねえくらいに惚れて……、あの葉っぱを出したんだぜ……?俺は、絶対に花を散らせはしねえ……」
年甲斐もなく、えりは土方の胸に飛び込んだ。
恥ずかしさと愛しさで、居ても立ってもいられずに。
満開の桜の下、頬を染めながらにしがみついたえりを腕に抱き、土方は花曇りの空を見上げる。
花を守ろうと、決して手放すまいと葉を広げた、この花曇りの中の山桜のように……
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大抵の桜は花が終わった後に葉を茂らせるが、山桜は花と共に葉を茂らせる。
春霞の空の下、ささやかな花をつけた山桜はそれはそれで美しい。
帰りはまた、小舟の上。
小鳥は船頭に姿を変えてしまったから、帰りもまた、えりは小姓の顔で川を遡っていく。
空はいつしか晴れ渡り、橙色に姿を変えた花筏が、土方とえりを見送り流れていく。
遠ざかる小山の山桜は今も花と葉が寄り添い、やがては夜露に濡れ、二人きりの夜を過ごすのだろう……
終
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