84 さよなら正行
新選組とともにあり、袴姿ではあるが明らかに女人と分かる面差しと体つきのその人物に差し出された封書を見た時、
怪訝な顔をしてしまった事も致し方ないであろう。西本願寺の僧侶、大谷光尊は封筒を見ながら苦笑した。
お西さんに屯所を置かせてもらっている感謝を表す為、千穂と千鶴は境内の掃除を手伝っている。
来た当初は明らかな嫌悪感や侮蔑なども含まれていた視線も、手伝いが毎日続けば次第に和らぎ。
二人の明るい気質と器量も手伝って、今では僧侶の幾人かと仲良く言葉を交わすまでになっていた。
西本願寺は、このまま戦火に燃えることなく、平成まで続く。それは修学旅行に来たので知っていた。
それに加えて先日、住職が世襲制であることを聞き、温めていた考えを実行に移した。
「おはようございます、ご住職様。本日はお願いがあって参りました。新選組に関与しない内々のお願いです。」
さすがに大きな寺だけあって、住職に会うのは月に数度だが、この一年半で顔は互いに見知っていた。
懐から取り出した封筒を渡し、住職に差し出す。表にはこう書かれてあった。
「二千十一年に開封し、中の封筒を投函して下さい。 原田千穂」
「これは西暦でしょうか。……百五十年ほど先になりますが、書き間違いではないのですね?」
「はい、間違いございません。たぶん数代先のご住職様にお願いすることになるんですが……。
預かり伝えて頂けないでしょうか? 長い歴史で権力の移り変わる中、ここは変わらないから。
この先も変わらないと信じての依頼です。どうか宜しくお願い致します」
深々と頭を下げる。中に入れたのは、あの離婚届の封筒だった。ずっと心にひっかかっていたから。
春に祝言を挙げてから、西本願寺なら……とひらめいて用意し、誰に渡すべきか考えていた。
新選組所縁の物となると、時勢によっては処分されかねない。下男に渡しても残らない。
歴代住職を務める大谷家の男性に、と決めてから機会を伺っていた。一笑に付されない事を祈りながら。
「百五十年先への手紙、ですか。引き受けました、お預かりしましょう。この寺院の存続も願って下さっていますし」
大谷は請合うと約束し、封筒を受け取った。けして安請け合いではない証に、下男に預り証を届けさせると言って。
千穂はホッとして、境内の掃除に戻った。届く保証はないけれど。大谷さんは真面目に聞いてくれた。
なんとなくだけど、ちゃんと約束が果たされる、そんな予感がした。
百五十年先か……愉快だ。西暦の年も明確で、瞳からは真剣さを、態度からは誠意を感じた。
個人で様々な依頼をしてくる人は多々いるが、金品ではなく一年半清掃を続けるという無形多大な謝礼も受け取っている。
桐箱に封筒を入れ、百五十年後の住職に宛てて表書きを書きながら、大谷はこの奇縁を心から楽しんだ。
「本当に渡したのか?! ククク、大胆な奴だなぁ! まあ、お前が言うのなら間違いなく寺はあるんだろうが。
開けた時には古文書だぞ? ちゃんと市役所ってとこに出せんのか?」
「うん! だって書式は向こうの時代の物だし、紙だって、公文書なら朽ちるほど安い紙質じゃないと思うし。
あ〜これでやっと罪悪感から開放された。もう左之助さんが正真正銘、たった一人の旦那様ですからね?」
「当たり前だ!元々一緒に住みもしなかった奴と比べんなよ。まぁでもその馬鹿な男がお前の価値に
気付かなかったから、俺が果報者になれたわけだし。ある意味感謝だな」
潔く未来に帰る道を捨てて俺を選んだ上に、大胆にも百五十年先に離縁状を送り付けたこいつは、
俺には勿体無い位いい女だ。顔も知らぬ元の馬鹿亭主を気の毒に思いつつ、腕の中に納まる千穂を可愛がった。
日に日に閨では色気と艶を増す妻を組み敷いて揺すりながら、誰が離すもんかよ、と呟いた。
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