83 三条制札事件

第二次長州征討が事実上の敗北に終わり、幕府の権威が急速に失われる中、事件が起きた。

三条大橋に立てられている、長州は朝敵だと触れる制札が、何度も何者かに引き抜かれたのだ。

新選組はその警護を命じられ、交代で夜警が続いた。そして、今夜は左之助さんが当番である。



夜の巡察と違って制札警護は朝まで帰らないので、寝ないといけないんだけど……寝付けない。

なら涼しい夜風にでも当たろうと、夜着のまま廊下に出て縁側に腰掛ける。今夜は中秋の名月。

明るく輝く月に手をかざし、手のひらにのせる。三条大橋で左之助さんも見ているだろうか。この月を。

その時、玄関の方で慌しい足音と人の話し声が聞こえた。なにかあったのだろうか。心が騒ぐ。

目を凝らすと、赤い髪がチラッと見えて。羽織に赤黒い物が付いていて。気付いたら走り出していた。

「左之助さんっっ!! 怪我は?!」

「っ! 千穂! その格好!! とりあえずこれ羽織れ」

左之助さんの隊服を肩から掛けられる。その時になって、自分が夜着で髪も下ろしたままだと気付く。

居たたまれず、小さくごめん、と呟いてきびすを返し部屋に戻る。私、何やってんだろう。仕事の邪魔して。



どうかしてた。でも、怖かった。今までだって何度でもあったのに。夜に待つのも慣れたと思ったのに。

……気付いたから。新選組の近藤勇と土方歳三と沖田総司は、最後も有名で。私でも知っている。

でも、左之助さんの事はここに来るまで名前も知らなかった。だから……最期も知らない。

いつどこで誰がどんな風に死ぬのかなんて、普通は皆知らない。でもなまじ三人のを知ってただけに。

なんとなく他の人は死なないような、勝手な思い込みがあった。そんなわけないのに。人はいつか、死ぬ。

馬鹿だな、私。誰も知らなくて当たり前の事で不安になって。……でも、ここは新選組なんだもん。


 
「一体どうしたんだ? あんなに取り乱して。何かあった……千穂? 泣いてんのか?」

「……左之助さんっ!」

大きな胸に飛び込んで、抱きついた。涙が左之助さんの晒に沁み込んでいく。ギュッと腕に力を込める。

「千穂? なぁ、俺は大丈夫だ。どっこも怪我してないから、泣くな、な? 心配だったんだろ?」

「うん……怖かった。隊服の血が見えて、そしたら、気付いたら走り出してた……ごめんね?」

「いや、不安にさせて悪かった。仕事が仕事だからな、この心配ばっかりはどうしても消してやれねぇが」

優しく髪を撫でられて、次第に心が凪いでいく。温かい大きな手。大好きな手。失いたくない。

「お願い、もう一人にしないで。お母さんが死んで、お父さんも死んで、ずっと一人で、慣れてた。

 一人で平気だったのに……。左之助さんに会って、恋して、愛して、結婚して。

 もう、戻れないよ。一人には戻りたくないの。だから……約束して? 必ず生きて帰って来るって。

 私さえ守れたら自分はどうでもいいって言ったよね? 私は嫌! 残されたくないの!!

 お願い、私の為に……生きて?」

たぶん究極の我侭だろう。いつどうなるか、誰にも分からないのに。それでも私は約束を求めた。

いつの間にこんなにも深く愛していたんだろう。こんなにも失うのが怖くなるほどに。



左之助さんは、そのまましゃがんで座り込むと、私を抱きかかえ、二人の小指と小指を絡めた。

「指きりげんまん、だ。男に二言はねぇ。お前の為に、生きて生きて……生き抜いてやる。

 幸せにするために結婚したんだ。ずっとそばで笑ってて欲しくて嫁にした。

 だから……お前も生きてくれ、な? 俺だって失いたくねぇよ。だからお互いに裏切りっこなしだぜ?」


 同時に死ぬなんてそうそうないと分かっていても、それでも気持ちが嬉しかった。

 ああ、本当にこの人は……。こんな理不尽な我侭だって、笑って許して受け止めてしまう。


「どうしよう、もっと好きになっちゃった、フフフ」

「やっと笑ったな。ああ、もっともっと好きになってくれ。俺はそれよりもっと好きだからな」

溢れる愛情で包んでくれる大きな人。あなたが、好きです。



その夜、左之助さん達は犯人の土佐藩士三名を捕まえた。指揮権を持っていたもう一人が怖気づいた為、

包囲が崩れ五名も取り逃がした、と悔しそうだったが。私は夜通しの警護が終了し、ホッとした。





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