30 池田屋事変(前)

血と砂埃でよごれた隊服を受け取り、井戸端で洗う。ここ数ヶ月でようやく慣れたが、少し苦手だ。

初詣以後外に出ていない私は、切る切られるの現場を直接見た事が無い。だからまだ知らなかった。


命がけという言葉の本当の意味を。そしてそれを日常としている彼らの、本当の強さを。



洗い終えた洗濯物を干し、広間に戻ると、総司と千鶴ちゃんが山南さんに叱られていた。

どうやら、千鶴ちゃんが父親の捜索で枡屋に立ち寄り、居合わせた浪士と新選組の切りあいが始まって

この騒動に発展したらしい。以前から張り込みをしていたのなら、丁度よかったのでは?

でも部署間の連携とか、タイミングとか、色々あるんだろうな。そういうので揉める事って多いし。

しょんぼり落ち込む千鶴ちゃんを後でどう慰めようかな、なんて考えていると。

「古高が吐いた。御所から天子様を攫い、町に火を放つ計画で今夜会合があるらしい。

 皆! 討ち入りだ、準備しろ! 千穂、夕餉は握り飯を頼む。出来るだけ沢山作ってやってくれ」

土方さんの号令で皆一斉に動き出す。慌てて私も、千鶴ちゃんを引っ張ってお勝手に向かう。


それからは目が回るような忙しさで。千鶴ちゃんも私も、ひたすら井戸とお勝手と広間を往復した。

なんか皆気が昂ぶってるな〜。アメフト選手の試合開始前みたい。

「千穂ちゃん、今日は滅多にない大捕り物だよ。鉢金巻いてくれる? 無事を祈って」

「もちろん! ……無事帰ってきてね?」

「うん、大丈夫だよ。僕は強い。でも君が祈ってくれたら、もっと強くなれる気がする」

そういうと私が結びやすいようしゃがんだ。袷からのぞく胸板は細身ながらも鍛錬で引き締まっており、

改めてこの人は新選組随一の剣豪、沖田総司なんだと意識した。大丈夫、彼は強い。そう自分に言い聞かせる。

「怪我せず戻ったら、ご褒美くれない?」

「? 何が欲しいの?」

「一緒に甘味処に行こう。まだちゃんと出掛けた事ないでしょ? 土方さんから許可もらうから」

「本当に? でもそれって全然総司のご褒美にならないんじゃない? うわぁ、でも楽しみ! 待ってるね!」

「うん、僕も楽しみにしてる」


千鶴ちゃんは、元気一杯の平助を気遣わしげに見ていた。待つ身は辛いよね。皆、無事で……。

やがて出立の号令が掛かり、門で皆を見送ると広間に戻った。

「皆行きましたね。大丈夫ですよ、左腕は動かなくとも、片腕で充分あなた達を守れます。

 こう見えて、私も案外腕が立つんですよ?」

「「ありがとうございます」」

いつも騒がしい屯所が人気なく静まり返る中、山南さんが側にいるのはとても心強かった。

以前お握りを持って行って以来、彼とは気の合う読書仲間になった。といっても、山南さんは博学なので

私が一方的にご教授して頂いているのだが。人形浄瑠璃が好きだと言ったら、

良い演目がかかっている時に連れて行ってあげましょうと行ってくれた。心中物がいいな〜。

「そろそろ四国屋と池田屋に、隊士達が着く頃ですね。お二人ともお手数ですが、

沢山お湯を沸かしておいてもらえますか? 怪我人も出るでしょうし、すぐに汚れを落としたいでしょうから」

「「はい!!」」

千鶴ちゃんはすぐに、井戸に向かおうと立ち上がり、私は……ある事に気付いて……動きを止めた。

「……いけ……だ……や? っっ! 山南さん、池田屋って言いましたか!?」

「ええ、四国屋が本命で、念のため池田屋にも隊を分けていますが。……っ! 聞き覚えがあるのですか?」

「はい! 池田屋、池田屋です!! どうしようっ、討ち入りって……池田屋事変のことなのかも!!」

「……参りましたね、新選組は賭けに弱いようだ。すぐに伝令を走らせましょう」

「あの……信じてくれるんですか?」

「何を今更。仲間の命が掛かっている時にあなたが嘘を言うとは思えませんが。違いますか?」


その時、広間に山崎さんが飛び込んできた。

「総長! 本命は池田屋です! ご指示を!」

ああ、どうしてもっと早く、どうして出立前に気付かなかったんだろう。知っていたのに。

変えられたかもしれないのに……。


「残った隊士は怪我人と病人です。私は屯所を空けるわけにいかない。時間がありません!

 山崎君、君は副長に伝令を!途中足止めに遭うかもしれません。都築君を連れて行きなさい」

「私、ですか?」

「ええ、行ってくれますね?」

「はい! 行かせて下さい」


お願い、間に合って! どうか皆無事で!!


祈るような気持ちで、京の夜道を走りぬけた。






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