四、

水汲みや雑事を終えた二刻後。

髪を剃っている間に風呂が沸き、左之助はつるつる坊主になった治を抱えて入った。

胡坐の腿に座った治は湯面を叩いて撥ね散らかし、キャッキャと楽しげだ。

こいつに言ったところで覚えちゃいねぇかも知れねぇな、と思いつつ、

それでも繰り返し言い聞かせればいざって時に体が動くかもしれないと、期待して頼む事にした。

「治、もしも俺のいない時に母様のお腹が痛んだら、隣りのばあ様を呼んで来られるか?」

「母様、おなか痛くなるの?」

「ああ、腹から赤ん坊が出たがると痛くなる」

「隣りのおばあちゃんを呼んだら痛いの治る?」

「治るっつーか……まぁそうだな。産んだら治るけど、手伝いが要るんだ」

「僕が手伝う!」

はいはいはーい!と元気良く手を挙げた息子に苦笑を抑えきれない。なんでもやりたがる年頃、やる気満々だ。

「はは、ありがとな。でも大人の手伝いも要るんだ。治はまだ湯を沸かせないだろ?」

うん、火に近づいたら母様怖い顔するもん。と少し不服そうな口調で頷く息子の体を、手拭いで擦ってやる。

半年ぐらい前までは風呂釜から逃げ出そうとする尻を捕まえての大騒動だったが、最近は大人しく座っていられるようになった。

肩幅もわずかだがしっかりしてきていて、成長を感じる。

「じゃあ頼んだぞ、男同士の約束だ。出来るか?」

「出来る!」

元気良く頷き白い歯を見せて笑った治の、剃りたての頭を軽く撫でてやり、約束な、と念を押した。

髪を剃り始めたのは鬼の里を出た時からだ。泣くと赤茶色の髪が紅葉のように真っ赤になる為、必然そうする事になった。

あのまま鬼の里で暮らした方が、こいつものびのびと育つことが出来たに違いない。

……広さや自由を求めちまう俺は、まだ大人になりきれてねぇのかも知れねぇな。

独り身の気軽な時代ならともかく、妻子を背負って放浪は我が侭が過ぎるだろ、と自分を諌めた事もあった。

だがその度に千穂がからりと笑い飛ばして「行っちゃおうよ」と背中を押すのに甘えて、ここまで来てしまった。

実際しがらみのない土地で海を眺めながらの暮らしは、言葉や生活の不便を押しのけて余るほど気分がいい。

海岸線沿いに愛馬を駆って風を切る時の爽快感は、これまで味わったことのないものだった。

「千穂ー、そろそろ出るから治を受け取ってくれ」

「はーい」

衝立の向こうから応じて顔を出した千穂にほかほかの治を渡し、ついでに顔を寄せて口付けた。

驚きつつ求めに応じてくれる唇を甘く食み、惜しむようにゆっくりと身を起こす。

裸の胸板辺りで照れ臭そうに彷徨っていた千穂の視線が下の方で一度止まり、

「左之さん、それ……」

と呟いてクルリと背を向けた。懐かしい結婚前の呼び名にん? と思い目線を下げれば、左之助の左之助が口付けで湧いた欲に兆している。

「あーっと、すまねえ。手拭いを取ってくれ」

恋女房のうなじ辺りに目をやりながら濡れ髪の雫を絞り、熱を冷まそうと釜から出た。

悪戯心が湧いて彼女の尻の辺りをモノでトンと突くと、バチンと派手な音に一瞬息が詰まり、左之助の胸には手の平の赤い跡が残った。


浴衣に着替えて部屋に戻ると、漁師から分けてもらった魚が刺身になって、酒も添えてある。

お櫃から飯をよそう千穂とそれを膳に運ぶ治を見やって目を細め

「ありがとな」

と呟いた。何が? と返され、言いたかっただけだと答えると、千穂からも

「ふふ、ありがとね」

と笑顔を貰った。風呂場の会話を聞いてたんだろう、嬉しそうだ。

十遍謝るより百遍感謝して、千回でも万回でも抱きしめたい。そう思った。



ふた月後。治はあどけない眉をキリリと引き締めて隣家へと駆け出し、見事男の約束を果たした。



fin.
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