一、

ザブン ザザーッ 

冷たい波の砕ける音が響く海岸に、足を砂まみれにして駆ける幼子とその母親らしき女性の姿があった。

他には網を繕う老人が遠くの方に一人見えるきり、人影はない。

男児はまだ三つぐらいだろう、寄せては返す波と追いかけっこをして遊んでいる。

それを見守る女性は強い潮風に乱れる髪を押さえながら、我が子の様子を見守っていた。


「治、そろそろ父様が市場から戻ってくるから家へ帰りましょ」

「やだ、まだ遊ぶっ」

「お腹空いたでしょ」

「空いてないっ」

……誰に似たんだろう、この権太っぷりは。

千穂は風で冷えてきた体を少し縮め、やれやれと肩をすくめた。

気の済むまで遊ばせてやりたいのは山々だが、風邪を引かれても困る。しょうがない、こうなったら最後の切り札だ。

「そんな我が侭を言ってたら、もう父様のお馬に乗せてもらえないよ」

お馬、という言葉に反応して波追いをやめた息子は、くるりと振り向くと、焦った顔つきでこちらへ走り寄ってきた。

「帰る! 早く帰ろ、父様とご飯食べよ」

「よーし、帰ろっか」

なんて変わり身の早さだろ。でもこれも使いすぎるとその内効果がなくなっちゃうのかなぁ。そろそろ他のエサも考えなきゃ。

下ろした片手に滑り込んできた小さな手を握り、海岸から背を向けて歩き出す。

「母様、昼餉はなぁに」

「治が拾ってくれた海藻の佃煮とー、ご飯とー、後はお味噌汁かな」

「佃煮好き! またモジャモジャ拾うっ」

「ありがと、頼りにしてるね」

ぴょんぴょんと跳ねるように歩く治と二人手を繋ぎ、我が家へと足を急がせる。

砂混じりな上り坂はどうしても草履が滑り、歩きにくい。しばらくすると少し息が上がってきた。

遊ぶ治を見守っている間に体が冷え切ってしまっていたから、温まってちょうどいい。

日差しはまだ秋の柔らかさを残しているけれど、顔に吹き付ける潮含みな風は冬の到来を予感させていた。




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