130 総司の決断

沖田は近藤の投降と斬首刑を知らなかった。が、伏せておくはずだったろうその情報は、うっかり通いの女中が

知人と立ち話をする事で、沖田の耳に届いてしまった。沖田は僅かな迷いもなく出立の準備をし、板橋に向かった。

標語の貼り紙と洋装の隊服が、空っぽの家に残った。もう、沖田の目には近藤しか映らなかった。

だが……沖田の決断も空しく、板橋に着くともう既にそこに首はなかった。

「土方さん……あんたならっ、近藤さんを守れるって……あんただからっっ!!」


新選組はあんたにあげる。近藤さんのいない新選組なんて、もう用はない。

だから……近藤さんは僕がもらう。絶対にみつける!!



京に運ばれるらしいよ。河原に晒すんだってさ。そんな情報を頼りに、追跡が始まった。

これまで貯めていた給金と見舞金を懐に入れ、早駕籠を雇って上京を急ぐ。食事も睡眠も最低限で。

痩せてギラギラした目が光り、何か言えば斬り捨てそうな形相のこの男に迫られ、早駕籠の担ぎ手も

早く終えたいとばかりに駆け抜けた。宿場から宿場へ。江戸から京へ。



京都三条川原……そこに、近藤の首は晒された。皮肉にも、左之助が褒賞金を貰ったあの制札事件のすぐそばだった。

長州は朝敵。そんな立て札を守った新選組局長の首を、三条河原に晒す。まるで意趣返しのようだ。

病身に鞭打ち、ここまで近藤を追ってきた沖田は、自分の容態の明らかな変化にも気付いていた。

ほとんど取らなかった食事と睡眠が、残り時間を縮めたのは間違いない。支えを失った事も大きかった。

剣の師と仰ぎ、時に父のように、時に兄のように、あるいは上司としても、常に自分の前を歩いていた近藤。

生きがいを見つけてくれた。誇りを与えてくれた。その人が今、弔われることなく首を晒されている。

そう思えば、体調などどうでもよかった。いや、本当はどうでもよくない。

 近藤さんを取り返して、きちんと埋葬するまでは、もたせないと……。

次第に増える喀血の量と回数、力を失くす体。長くは待てない。そう判断し、三日目の夜に動いた。


月のない闇夜が夜目の利く沖田に味方した。悲鳴を抑えるため、みね打ちで守り番を気絶させる。

 本当は斬り殺したかったが。今大切なのは、近藤さん。……おかえりなさい、会いたかった。

 その首を抱え、丁寧に布でくるみ、そっと木箱に入れた。夜が明ける前に離れないと……。


急ぐ足に残る力を注ぎ込む。人気のない所へ、山へと足を動かす。

沖田の顔は、京では知られ過ぎている。今の風貌で沖田と分かる者がいるかは、分からないが。

とにかく、日が昇る前に済ませようと、東山のある寺へと入っていった。

僧侶の朝は早い。もう起きている者もいるだろう。御仏に仕える身で、こうなった者を無碍にはしないだろう。

 沢山の人を斬ってきた僕が、最後に坊主の信心に頼るなんてね。

自嘲めいた笑いが込み上げる。境内に身を潜め、人の気配を探る。本堂に、誰かが来た。

気配を消し、背後に立つと口を塞ぐ。薄暗く、きっと誰か判別出来ないだろう。

相手の恐怖心を取り去るべく、出来るだけ優しい声音を探す。苛立つ気持ちを押さえ、切り出した。

「早朝に申し訳ありません。お願いします、声は出さずに聞いてもらえますか?

 ここにあるのは、国に尽くし、忠義を貫いた、僕の大切な人の……遺骨です。

 民草を愛し、信じる道を歩んだ、誠の……武士でした。

 僕自身の、最後のお願いです。僕は……もうじき、この人に会いに行ける。

 迎えに来てくれるといいな……ハハハ。きっと心配してくれてるんだ。ッゴホッ! ゴホッ!

 はぁ……供養を、埋葬を宜しく……お願いし、ます」


 僧侶の口を塞いでいた手が離れる。だが、大声は上げなかった。人も呼ばなかった。

 怖かったのは最初だけで……男の言葉には、真実と愛があった。よほど大切な人だったのだろうと分かるほど。

 木箱を受け取ると、男は柱に寄りかかり座り込んだ。大丈夫かと近寄ると、制された。

「僕から……離れて……ゴホッ。労咳なんだ……移ったら困るでしょ?

 それより、埋葬を……ちゃんとお願い、します。これで……」

男は懐から金子と思われる包みを取り出すと、僧侶に押し付け、身を離した。

己の命が尽きようという時に、愛する者の弔いを頼み、供養を頼む僧にまで気を遣うとは……。

男の優しさと、遺骨となった者に対する想いに心打たれた僧侶は、必ず、必ず丁寧に供養すると約束した。

遺骨にしてはやや重いその箱を抱え、仏前へと向かった。後ろに男も座したようだ。

灯篭も灯らぬ本堂で、真摯に経を読み上げ始めた。最後まで愛された男の成仏を祈り。


読経を終え振り返ると、男の姿はもうなかった。

僧侶は明ける空に向かい、手を合わせた。

彼はきっと……一人で迎えを待つのだろう。愛する者の。



夜露に濡れた草が、葉が、体を撫でる。白々と明らみ始めた空は、広かった。

布団の中から、開けた障子越しに見た四角い空と違って。どこまでも広々としていた。

近藤さん、叱るかな? いや、きっとこういうだろう。

「まったく、しょうのないやつだ」

そうして、笑ってくれるんだ。大事な子供を見るような目で。

ああ、今頃になって、本当に叱る人の顔が浮かんじゃった。……千穂ちゃん。彼女は心配して怒る。

怒って叱って……きっと泣くんだ。泣かせたくはないなぁ。約束も守れないな。子供、抱っこ出来ないや。



近藤さん……近藤先生……会いに、来て。



昇りはじめた太陽の、眩しい日差しを避けるように、ゆっくりと目を閉じた。

楽しいことが待っているかのように、口元に笑みを浮かべながら。





ザッ

沖田の傍らに立ったのは、天霧だった。

風間の密命で、近藤の首を奪取しようと来てみたが……やれやれ。

短く溜息をつくと、夜露に濡れた沖田を抱え、東山の山林を跳躍した。





その後、江戸で目覚めた沖田は、「近藤さんは元気ですか?」と、からかうように女中に尋ね続けたという。

いなくなっていた間どこで何をしていたか、誰にも話さないまま……慶応四年五月三十日、安らかに息を引き取った。



近藤勇の首は行方不明のままとなった。





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