129 不知火と左之助

今日から五月。まだここに来てひと月経たないが、左之助さんは道場主として再就職し、里にも馴染んできている。

生まれつき身体能力の高い男鬼達は、その力に頼り、あまり武芸に通じていない者が多かった。しかも里は平和だ。

だが、戦乱と政権交代に不安を抱く者は多く、里に危機が訪れた時や、万が一四散するような事態になった時の為、

一度きちんと習っておきたい、という要望は意外に多かった。まだ始めて十日ほどだが、借りた道場は盛況なようだ。


私の方も、妊娠中の転居とあって気遣ってくれる人が多く、中でも数人、年頃の女の子がよく顔を出してくれる。

なぜかここでもお姉さん役。そりゃそうだ、中身はもう三十だもん。話を聞くのも上手くなる。

朝市で知り合った奥さん連には、ぜひ和裁を教わろう。ここでは絹の布も帯も、びっくりするほど安い。産地の特権だ。



「で? 不知火さんはなんでここにいるんですか?」

客間で寛ぐ鬼に、一応お茶を出す。元は敵だったが、左之助さんを助けてくれたので、さん付けに格上げだ。

でも銃口を向けられた恨みがあるから、礼は言わない。あれでチャラって事にしよう、うん。

「随分な言い草だなぁ、折角来てやったのに。つっても、本当は風間に呼びつけられたんだがな。

 人間に焼かれねぇうちに、里を畳んじまうらしい、もったいねぇが賢明だな」

つまり、恩を返す約束が終わり薩摩と縁を切ったが、内情を知りすぎている為、あっちにいると狙われる。

雪村家の二の舞にならぬよう、里の人を各地の隠れ里に移住させ、自分もここに隠れ住む、という事らしい。

お千ちゃんの京の家も、いわば藩邸のような物だったので、政権交代を機に引き払う事にしたそうだ。

だから引越しして以降、全然音沙汰なかったのか。お千ちゃんの事だ、人任せにせず飛び回ってるんだろうなぁ。

頑張るキャリアウーマンの友人に、心で声援をおくっていると、不知火さんが爆弾を落とした。

「ってことで、祝言まで千姫の家に逗留するんだがよ。家老だの侍従だのがウロウロしてて、固っ苦しいんだ。

 だから、原田に言って、ここに泊まる事にした。いい酒持ってきてやったから、上手い飯作れよ?」

え? は? 何て? 飲み込めていない所に、稽古が終わった左之助さんが、帰宅した。

「千穂、ただいま。不知火から聞いたか? 不知火、布団借りてきた、ここに置いとくから使え。

 夜は何が聞こえても気にすんな。あと、俺の留守に千穂に手ぇ出すなよ? 俺のだ、諦めろ」

「おう、よろしくな。薩摩焼酎持って来たから、さっさと風呂入って一杯やろうぜ。

 ガキが入ってるうちは手を出さねぇよ。俺のが仕込めねぇじゃねぇか。産んだら夜這うから首洗って待ってろ」

「クックック、上等だ、返り討ちにしてやるよ」

…………。

意気投合したのはよく分かった。道場で会って泊める約束をしたんだろう、それもいい。

でも、不知火さんは、もっぺん不知火に降格ね。あと、客用の湯飲みは片付けよう。もっと安いのでいい。


「千穂、いきなりで悪いな。俺も出来る事は手伝うから、面倒見てやってくれ。甲府での恩もあるしな。

 水汲んで風呂沸かしてくっから、飯頼む。お前の料理は上手いから、早く自慢してやりてぇんだ」

……そう。そうなのよね。された嫌な事は水に流し、してもらった事には義を尽くす。

男気があって面倒見がよくて、大らかで……エロくて。しかも無類の愛妻家。

睨んで文句の一つも言いたいところだけれど、裏表ない夫に気遣われ、褒められて……許しちゃうんだよね。

「はぁ、了解。あと……お帰りなさい、お疲れ様」

「ああ、早く顔が見たかった。おい不知火、力余ってんだろ? 水汲み手伝えよ、こっちだ」

意外に素直に付いて行く不知火。きっと、こういう扱いの方が楽なんだろう。風間で慣れてそうだし。

明日は薪割りを頼もう。早くも客人から居候に降格した不知火に、割り振る仕事を考えつつ、お勝手に向かった。



里で出来た生糸や絹地は、ここの仲買人が買い上げ、他所で売る。その利益で里の整備や運営を引き受ける。

水路の整備から民家の屋根の修繕代、門番の給金など全てここから出され、左之助さんも道場に雇われた。

つまり、給金は仲買人から支払われるので、里の人なら誰でも無料で左之助さんの指導が受けられる。

そして、仲買人や雇われ者は、貰った給金で生活用品や食材を村から買い、里に利益が還元される。

小さいながらもお金が上手く循環していて、本当によく出来た里だと感心する。

ここまでの仕組みを作り上げるのに、どれ程の苦労があっただろう。

だからだろう、お千ちゃんは皆からとっても慕われている。気さくで美人なやり手女社長だもんね。

あの風間には勿体無いけど、祝言が本当に楽しみだ。朝市で買った魚を煮付け、完成したお膳を運びながらそう思った。



夕餉を肴に芋焼酎を飲み、いい感じに酔いが回った不知火が、左之助さんをじっと見つめた。

幸せか? と聞き、当然だ、と左之助さんが返すと、杯の酒を飲み干し、真面目な顔になった。


「ここに来る前に、情報を土産にしようと江戸で少し動いたんだ。……ハァ、隠してもどうせ伝わるか。

 ……近藤が、斬首された。板橋に首があった」

「なんだって!? 一体いつ! なんでだよ!? どうなってんだ! 土方さんは、新選組は何やってんだ!!」

「うそ……。なん……で……」

「流山で投降したみたいだ。経緯は知らねぇよ。だが、他の連中が逃げおおせた所をみると、

 おおかた囮にでもなったんだろ。……そういう奴だったんだろ? お前らの大将は。

 土方の野郎はどこにいるか分からねぇ。助命嘆願には走り回っただろうが、無理だったから首があったんだろ。

 あと……沖田が隠れ家から消えてた。別の場所に隠れたか……それとも首を追いかけたか、死んだか。

 新選組の野郎なら、首を追っかけてるってのが一番しっくりくるな。……悪い、酒をまずくしちまって。

 だが、知るなら早い方がいいだろ? ……おいっ! 原田、早まんなよ!? もう終わってんだよっ、遅いんだ!!」

槍を握り締めて立ち上がった左之助さんの胸倉を掴み、不知火が揺さぶって声を張り上げる。

睨み合い、二人の気迫が拮抗する。怒気が渦を巻き、互いの瞳の奥にあった何かが……何かがやがて場を制した。

沈黙が続く中、不知火の溜息と左之助さんの溜息がほぼ同時に、張り詰めていた緊張を解いた。


「……俺のダチが言ってた。魂ってのがあって、後のもんが引き継ぐんだとさ。

 近藤って奴の魂は……新選組の奴らが引き継いだんじゃねぇのか?

 お前の中にも千穂の中にも、あるんだろ? その魂の欠片が。だったら……いいじゃねぇか。

 志とか想いってぇ厄介な荷物、ちゃんと背負って生きてやれよ。自棄になって捨てんじゃねぇよっ!

 ……お前ら人間は、すぐ死んじまう癖に残すもんがでかすぎんだよ、ったく。

 置いてかれる方の身になってみろっつーんだ、馬鹿。こいつの顔と、こいつの腹をよく見ろ!」


「はぁ……分かってるさ。こいつも俺も、選んだんだ。後悔もしてねぇさ。俺の幸せは千穂のそばだ。

 んな事とっくに分かってんだが……遣り切れねぇだけだ。……悪かった。

 不知火、弔いのつもりでぶつけるから、付き合ってくれ。庭でいい。銃でも刀でも好きなの選べ。

 千穂、大丈夫か? すまない……今だけ、俺のやり方で近藤さん見送るからよ。

 後で必ず埋め合わせるから……やらせてくれ。こいつなら殺しても死なねぇからな、好きなだけぶつけられんだ」

困ったような、泣きそうな、そんな顔をお互いしてたと思う。私は何も言わずに、ただ頷いた。

不知火は黙って庭に下りると、立てかけてあった槍を手に取った。

「銃は響く。槍で相手してやるよ、好きなだけな」




二人の槍のぶつかる音は、明け方まで続いた。

流れ落ちる汗と、荒い息遣いが、左之助さんの激しい想いを、やり場のない思いを、浄化していく。


それを受け止める不知火の動きがやがて少しずつ鈍くなり……崩れるように地面に寝転がった。

「っはぁ、はぁっはぁっ、ったくなんだよその力。ハハハ、まさか鬼の俺を負かすなんてよっ、はぁっ。

 ……なんでそんな力があんのに、簡単に死んじまうんだろうな、人間は」

「脆くて簡単に死ぬから、生きてる間は精一杯何か残そうとすんだよ。だから生きてるのが楽しいんだ」

左之助さんはそう言って不知火の傍らに立つと、手を差し出し立ち上がらせた。

「お前のダチも、何か残したかったんだろ。お前もそれを受け取ったんだ、ちゃんと背負え。

 ……わりいな、不知火も千穂も、一晩中付き合わせちまった。

 本当は、薄々分かってたんだけどな。こないだ近藤さんが夢に出てきてよ、黙って頭下げて……どっか行っちまった。

 ああいうのを、虫の知らせって言うのか? なんとなく、挨拶に来たのかなって……そんな気がした。
 
 ハァ、っと千穂、体大丈夫か? 朝餉はやるから横になってろよ。出来たら起こすから。……ありがとな。

 不知火、お前も腹減ったろ。酒も抜けたし、なんか作ろうぜ」

左之助さんは、私の頭をくしゃりと撫でると、お勝手に向かった。近藤さん、左之助さんの所にも来たんだ……。

こないだ見た夢を、思い起こした。あれは……きっと彼岸に立つ前に、様子を見に来てくれたんだ。

自分を養女にとまで言ってくれた近藤さん。皆には内緒だ、と嬉しそうに時々甘味や小遣いをくれた。

左之助さんと私の結婚を、心から喜んでくれた。きっと、妊娠も知ったら手放しで喜んでくれただろう。

大きな志と広い心で皆を惹きつけて止まなかった人。……最後は……最後まで、近藤さんらしい。

今頃きっと、天国で言ってるだろう。「皆すまなかったなぁ。俺は幸せ者だ」と。大らかで優しい人だから。

斬首なのに、殺されたのに、後悔せず近藤さんは天国で笑っている気がした。

だって夢で見た近藤さんは、いい顔をしてたから。お腹を見て嬉しそうだったから。



朝餉を持った不知火が現れるまで、私は明るくなった空を見上げていた。

総司は……近藤さんを追いかけてるのかな。

一日でも長く、と強く願ったけれど。病床で悔いを残すよりは、総司らしいのかもしれない。そう思った。






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