126 新生活
私達が暮らす家は、屋敷通りの中でも一番田畑に近い場所にあった。
「先の時代での雪村の姫なんだから、本当はうちのお屋敷の横がよかったんだけど、それは内緒だから」
家老達の手前、分家の末席に置くしかなかった、と申し訳なさそうに言うもんだから、こちらが恐縮した。
変に高い身分になっても、私も左之助さんもどうしていいのか分からない。里の人達からも敬遠されたくないし。
家には客用の八畳間、居間兼寝室の六畳間に、囲炉裏の板間までついていて。しかも内風呂まであった。
たまたま里を出た一家があり、水路に近く便がいいからどうぞ、と空き家を譲ってくれたのだ。
水源地に近いこの地は、水の苦労がないらしい。京より江戸より遥かに綺麗な水が、とても嬉しかった。
左之助さんの実家の辺りは旱魃に苦しんだらしく、水路を流れる豊かで澄んだ水の量に感心していた。
川から引いた水が家の裏の水路を通り、田畑へと向かう為、野菜を洗うにも水を汲むにも楽でいい。
そのままで大丈夫、という水を恐る恐る飲んだら、あまりの美味しさに驚いた。
慣れるまで手伝いに来てくれることになった伊作というお爺さんは、私の表情に誇らしげだった。
「先代様が養蚕を奨励なすったおかげで、生糸が売れて皆の暮らしが豊かになったんだ。
ここじゃ男が多いんで、男が糸をよって機織するんだがね。丈夫で長持ちすると、町での評判もいい。
しかも、貯まったお金で立派な水路が出来て、田畑の収穫も増えた。千姫様は若いが本当に良い頭領だ」
友達を褒められるのって本当に嬉しい。穏やかで静かで、豊かな暮らし。鬼の里といわれてもピンとこないくらい平和だ。
いかにお千ちゃん達が一生懸命里を守ってきたか、よく分かった。そして、雪村の里の悲劇が、どれほど残酷だったかも。
平和を尊び、自分達の暮らしを大切にする。人間と変わらぬ、いや、人間以上に堅実な生活が、鬼の里にはあるのだ。
戌の日に、慣わしに従って腹帯を巻いてみた。お腹用のサポーターみたいで、着け心地はまあまあだ。
無事に五ヶ月を越え、流産の恐れも減り安堵する。お腹を擦ると、幸せな気持ちで満たされた。
「ちょっといいか。今、広場で話を聞いてきたんだが……」
居間に入ってきた左之助さんの表情は、心なしか固かった。こういう顔をする時は、大抵戦局が絡んでいる。
「江戸城が明け渡されたそうだ。……新選組は、江戸を離れてたんで助かったが……」
総司は大丈夫だろうか。隠れ家は見付かっていないだろうか。皆はこの知らせをどこで聞いてるんだろう。
互いの胸にある、新選組への思い。仲間への思い。皆無事で。大丈夫、皆強いんだから。でも、新政府軍は強大だ。
不安を消せないまま、祈るように、言い聞かせるように、左之助さんの体を抱き締めた。
夕餉を食べ終え、片付けが済んでも、なんとなくぎこちない空気のまま静かに日が暮れた。
次第に込み上げる罪悪感に押し潰されそうになって、気付くと涙が零れていた。
きっと今すぐにでも追いかけて、助太刀したいに違いない。なのに私は、あなたを離せない。
一緒に幸せになろうと言う左之助さんの言葉に酔って。その裏の思いや覚悟を知っていても手放せず。
優しさに甘えてここまで連れて来てしまった。戦いから、彼らから引き離して。選ばれて嬉しかったけど……。
「ごめんなさい……。本当に大事な場所からっ、大事な人達から……引き・・・…離した……っ。
傲慢だって分かってるけどっ……手放したくなくて、死なせたく、なくて……」
「っ! ……馬鹿だな、自分を責めることじゃねぇだろ。俺がお前から離れたくなかったんだよ。
……そんな泣くな。前に言ったろ? なんの為に戦ってんのか分からなくなったって。
お前が俺を選んだのが罪だってんなら、俺がお前を選んだのも罪ってことになる。
ごめんな、泣かせちまって。俺の態度が妙だったからだろ? 違うんだ。これは後悔とか、未練とかじゃなくて
同じ釜の飯を食った連中が心配だった、ただそれだけだ。おまえだって心配なのは一緒だろう?
また会おう、また飲もうって約束したしな。大丈夫だ。壬生狼を舐めんなよ? 俺達は強いんだ」
謝るつもりが逆に謝られ。抱き寄せて背中を擦る大きな手は、槍を振るうとは思えないほど優しかった。
やがて昂ぶった気持ちが落ち着いてくると、私を宥めていた左之助さんの手が、頬に添えられた。
「俺のそばで笑っててくれ。愛してくれ。不安なら二回でも三回でも祝言挙げて誓ってやる。な?」
「左之助さん……」
柔らかい唇がそっと重ねられ、舌が割り入る。官能的なのに、動きは労わるように優しくて、甘かった。
「愛してる。もう変に自分を責めたり後悔したりは無しだ。……皆応援して見送ってくれたんだ。
こんな顔して泣いてたって知ったら、叱られるぞ? 一杯幸せになって、自慢してやろうぜ」
潤む私の瞳を覗き込んだ左之助さんを見上げ、この人を選んで本当によかったと思った。
さあ、もう寝よう、と言って立ち上がった左之助さんの裾を掴む。
…………どうしよう、言うの恥ずかしい。でも……
「あのね、今夜……しよ?」
「っ、いいのか? 体、大丈夫か?」
恥ずかしくて、目を伏せコクンと頷く。
女に詳しい左之助さんでも、さすがに妊婦の体の事が分からないので、ずっと我慢してるのは分かっていた。
本当は安定期に入ったし全然大丈夫だったんだけど、中々言い出しにくい事だったのできっかけがなかった。
「んじゃ、遠慮なく。っと、深いのはまずいか……。加減しなきゃな?」
最後のは独り言ってことにして、返事しなかった。そこは、口に出さず心の中で呟いて欲しかったよ。
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