122 帰ろう
「……行っちゃったね。それにしても……山南さん、戦ってくれたんだ。最後にお礼が言いたかったな。
お別れも言えなかった。まさかこんな形で別れることになるなんて、思ってもみなかったから。
でも……涙が出ないのはなんでなんだろう? 井上さんの時はあんなに泣いたのに。
山崎さんの訃報を聞いた時も、涙が出たのに。今は悲しいっていうより……寂しい、かな」
「ああ、俺も残念だ。礼は……心ん中で言っとこう。きっと伝わるはずだ。
泣かないのは、悲しくないからじゃなくて、納得してるからじゃねぇか?
殺されたんじゃなく、灰になったって事は、命を充分使い果たしたってことだ。寿命だから、納得できるんだろ。
あの人は、最期まで武士でいられたんだ、本望だろうよ」
眼鏡をギュッと握り締める。大馬鹿者だと笑いあった山南さん。幸せだと微笑んだ山南さん。
最後まで守ってくれて、ありがとう。
綱道さんが私に近寄ってきた。今日の昼は私を攫い狂った笑い声をあげていたその人が。
もう大丈夫だと分かっていても、少しだけ身構えてしまうのは仕方ないだろう。
お腹に小刀を添えられた時は、正直、恐怖と共に憎しみすら湧いた。
でもあれが、子を失う気持ちのほんの一部分だとしたら。この人を襲った苦しみは私達には計り知れない。
だから、やっぱり憎めないんだよね。だって、千鶴ちゃんの話をずっと聞いてたんだもん。いい人なんだろうし。
「千穂さん、貴女には辛い思いをさせてしまいました。申し訳ありません。謝って済む事ではありませんが。
本当に、私は狂気に飲み込まれていた。今はそれが分かります。目を覚ますきっかけは、あの言葉でした。
母の愛まで否定するなと言った貴女の言葉に、何も言い返せなかった。本当に……愛されてたんですよ。
鬼の里に住むのは勇気が要ったでしょうが、いつも朗らかで、優しかった。
ひょっとしたら、そんな母の血が、私の理性を呼び戻したのかもしれませんね。人の血が。
原田さんも。大切な人を奪われる気持ちは、私が誰よりも知っているのに……申し訳なかった。
お詫びと言ってはなんですが、長州から得た研究資金を譲ります。千鶴達と分けて下さい。
雪村の里ではお金が要りませんし、医者としての貯えもありますから、遠慮なくどうぞ。
ここだけの話ですが、あとひと月かふた月で江戸城が明け渡される予定です。
江戸や京からは離れた方がいい。勿論、北上する戦線からも。貴方は思っているより顔が売れていますから。
では、藤堂君、千鶴、私は先に行くよ。昼の移動は辛いから、今夜のうちに立つことにする。
二人には、戦線とぶつからない安全な抜け道を書いて後で届けよう。
私は長州から追われる身になるだろうから、道中は見かけても接触しないようにね。では、里で。
原田ご夫妻も、末永くお幸せに。元気な子を産んで、大切に育てて下さい。子は、宝だ」
最後に綱道さんは、愛おしそうに千鶴ちゃんを見つめると、音もなく闇夜に消えて行った。
「平助、千鶴、俺らも戻るとするか。土方さん達は出立したから、お勝手には何にも残ってねぇな。
皆で蕎麦でも食いに行こう。千穂、ほら、おぶってやるから背中に乗れ」
背を向けてしゃがんだ左之助さんに一瞬焦る。今日戦から戻ったばかりで疲れてるのに……。
ああ、でも……。誘惑に負けちゃった。歩けないわけじゃないんだけど、温もりが恋しかった。
私を軽々と背負う左之助さんの背中は、広くて温かくて……左之助さんの匂いがした。
「あったかい、フフフ、幸せ〜〜〜。ねぇ、左之助さん?」
「ん? なんだ?」
「おかえり。あと、迎えに来てくれてありがとう」
「ああ、ただいま。信じて待ってくれてありがとうな」
「今、左之助さん、文字通り子供と私の二人を背負ってるんだよ? 重くない?」
「いや、軽いもんだ。俺には両手で守れるくらいの幸せが丁度いい。でっかいもんは土方さんに任せたからな。
……いいな、お前の言葉。女房と子供を背負ってる、か。温かくて離したくなくなる」
「うん、離れないよ。どこに行こうがこれからはくっついてく。もう待つのは飽きちゃった!」
「ハハハ、ようやく本音吐いたな。結構我慢してただろ? これからはもっと言いたい事言ってくれよ?」
「じゃあもう一つだけ。…………愛してる」
「っ!?」
耳元で囁いて、耳たぶをペロリと舐める。あら、左之助さん、なんだか耳が赤くなったよ?
両手が塞がってるのにズルイぞ、とボヤく左之助さんの背中で、クスクスと笑い続けた。
熱いお蕎麦と日本酒を頼み、左之助さんと私の無事を四人で祝った。
私は行きも帰りも荷物みたいに運ばれただけなんだけど。
「そういや、甲府から退却する時不知火に会ったぜ? 俺を気に入ったとか何とかで加勢してくれたんだ。
癪だったが助かったな、あん時はかなりやばかったから。どっかで会ったら礼言わなきゃなんねぇ」
「よかったです! 千穂さんが、風間さんとお千ちゃんに会って、羅刹の事を調べるついでに、
左之助さんの様子を不知火さんが見に行く事になったらしいですよ? ね、千穂さん?」
「うん、お千ちゃんがね、心配だろうって。なんでそこまでしてくれるのか、今日の鋼道さんの話でやっと分かった。
えっと……あのね、平助と左之助さんも……もう鬼の一族なんだって」
「「ええっ?? 俺達、人間じゃねぇか! なんでだよ!?」」
「ハハハ、私も考えてなかったんだけどさ。結婚した時点で加入? するらしいよ。
ほら、綱道さんのお母さんは人間でしょ? 結構いるみたいなんだよね、鬼の里にも人間が。
だから血が薄くなってるんだろうね。私達が鬼だから、左之助さんにも平助にも居住権があるらしいよ?」
「千鶴、そうなのか?」
「ん〜住んでたのは子供の時だからよく分からなかったんだけど……。あ、うん、いたいた!
怪我しても治らない人、可哀想だなってあの頃は思ってた。
そんな事すっかり忘れて、父様と暮らし始めてからは、自分が変わってるって思い込んでたけど」
「そういえば、私も千鶴ちゃんも血が濃いから、里では歓迎されるって言ってたね。
行ってみたいか話したことあったでしょ? あの時は風間が嫌な奴だと思ってたから、行く気はなかったけど」
「千穂、行ってみるか? 子供が乳離れするぐらいまでは、どっかに落ち着かなきゃお前も大変だろう?」
「いいの? それじゃあ決定!」
左之助さんは、私を選んでくれた。新選組を離れる事も、鬼の里に行く事も、抵抗なく受け入れてくれた。
落ち着いたら左之助さんの行きたい所、やりたい事に付き合おう。そう決めて、店を後にした。
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