潜ませた言葉に 最上級の愛を添えて


「雅季くん、あのっ…」

「何?」

「い、いぃえ!なんでもない、です…」



4月19日の夜。昼休みに僕のところへ数学のノートを借りにきた彼女が、僕の部屋を訪れた。机の上には各部活動や委員会への予算立案書が山積みになっている。新年度が始まったばかりの今は、生徒会に入ったことを後悔したくなるような仕事の多さだ。頭が痛い。


あぁ、あとは野球部の雨天練習場の整備費用と体育館倉庫の備品代。それから美術部の展覧会を行う費用を考慮しつつ、吹奏楽部への補助を足せればいいのだけれど。あと少しのところでどうも噛み合わない。皆好き勝手に無理難題を押し付けるものだから、本当にイライラする。だけど却下を出すのは簡単でもそれは僕の性に合わないし、何とかして叶えてやりたいのも本心だから、何度も何度も立案書に目を通しながらルーズリーフに新しい立案を書き足していく。

部屋に満ちるのは一定のリズムで刻む時計の秒針と、僕の走らせるペンの音、だけ。




「……雅季く、」

「だから何?」

「え、えっと…その……」



名前を呼んで返事をすれば言葉をにごらせる。彼女が僕の部屋にきて そろそろ30分以上が経とうとしているというのに、彼女はさっきからずっとこの調子だ。

普段の僕なら彼女の言葉を静かに待つことも簡単なのだけれど、今日は生憎時間がない。水曜日までにこの立案書を完成させなければ沢山の学院機関が滞ってしまうし、本当に今は心に余裕がない。僕らしくないけど。


カリカリカリカリとペンの音だけが響く僕の部屋で、彼女はソファに浅く腰掛けたまま何度か僕の名前を呼び、そのたびに言葉を飲み込んで曖昧に微笑んだ。



「………あのさ、」

「…え?なぁに」

「用事、ないわけ?昼に貸した数学のノートならその辺に置いといてくれたらいいし、写すのが間に合っていないなら明日まで貸しててもいいから。……悪いけど今日は、忙しいんだ」

「……っ」



酷い言い草だ。そんなの、自覚している。
恋人が近くにいるのに話せない歯痒さ、申し訳なさ。何もできない今彼女が傍にいると、彼女にばかり気がいってしまって僕の仕事はますます捗らない。集中力はある方だと自負していたけれど、どうやら僕の思っていた以上に僕の中で彼女の存在は相当なものらしい。彼女を待たせる羽目になっている自分自身にも自己嫌悪を募らせているだなんて。

自分がさっき吐き出した言葉にすら、眩暈がする。




「……ごめん、邪魔するもりじゃなかったの」




分かってる。君が僕に何かを言おうとしていることも、僕の仕事に気を遣ってタイミングを見計らってくれていることも。本当は全部分かっているというのに、酷い態度でしか返せない自分に腹がたつ。



「…もう、部屋に戻るね」



何も言えない僕の後ろで、彼女がソファから立ち上がる音が聴こえた。





「雅季くん、これ数学のノート。助かっちゃった。ありがとう」


ここに置いておくね、そう言って彼女は部屋を出て行った。自分が追い出したも同然なのに、彼女がいないだけで急に部屋がむなしくなった気がした。





ひとりになったところで結局は進まない立案。彼女が置いていったノートを何気なく手に取りぱらぱらとページを捲った。





あれ、











今日彼女が見せてと言っていた単元のページに、何か、書いて…‥











お誕生日おめでとう雅季くん!あなたに会えて本当にしあわせです。










「……っ!」











潜ませた言葉に
最上級のを添えて


次の瞬間、僕は彼女から受け取った大学ノートを握り締めて自分の部屋を飛び出していた。






2010/04/19


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