「…おっと、俺はそろそろ行かなくては。うるさい秘書が待っているだろうからな」
腕時計に目を落とした蓮さんが、慌てて席を立つ。
「忙しいのに、済まなかったな」
「蓮さん、ありがとうございました」
店を出ると、いつもの蓮さん専用車が、威圧感を放ちながら道に停まっている。
すぐに運転手さんが降りてきて、恭しくドアを開いた。
「薫に泣かされたらいつでも連絡してこいよ、奏」
「…そんなことはさせないから、安心しろ」
「ふふ、ありがとうございます」
軽く手を上げて、蓮さんが車に乗り込んでいく。
低いエンジン音を唸らせて、車は街へと吸い込まれていった。
「……蓮は…」
蓮さんを乗せた車を見送りながら、柊さんがぽつりと呟く。
「騒がしい奴だけど、蓮はちゃんと人の心が分かる。
東条院家も、蓮の代になればきっと……」
近々、正式に東条院家の当主となる蓮さん。
長く続いた西園寺家との確執も、きっと蓮さんなら、溶かす事ができるだろう。
どこか遠くを見つめるような柊さんの表情は、とても柔らかかった。
「ね、柊さん」
「…なんだ?」
蓮さんを見送ってしばらく後。
私はずっと言いたかった事を伝えようと、口を開く。
「柊さんて…敬語じゃない話し方もできるんですね」
「……っ」
「ふふっ」
私や兄弟たちはもちろん、使用人同士でも、絶対に丁寧な口調を崩さない柊さんだから。
蓮さんに対する砕けた口調がとても新鮮で。
またひとつ、柊さんの素の顔を見た気がして、私は嬉しかった。
「…失礼いたしました」
「……もう、また執事に戻っちゃった」
「そう言われましても、私は執事ですから」
困ったように、視線を逸らす柊さん。
「蓮さんと話してた時みたいに、私にも普通に話してほしいな」
「しかし…」
「今は執事とお嬢様じゃなくて、コイビト同士…でしょう?」
いい返事をくれない柊さんに、じっと、上目遣いで訴える。
「柊さん」
「……。二人きりの時だけだぞ」
「うん!」
やれやれと言った様子で、柊さんの大きな手が、私の頭にポンと乗せられる。
「それじゃ……行くか、奏」
「…はいっ」
差し出された手を取ると、大きな手がぎゅっと、力強く握り返してくれる。
「あ、クレープ屋さんだ! 食べに行きません?」
「……生クリームは…少ないのにしてくれ」
「ふふっ、それ、前にも聞いたかも♪」
これから二人で、たくさん笑って、たくさんの思い出を作りたい。
色を失っていた、柊さんの時間の分まで。
そして、その隣には、
いつも私がいられますように……。
→おまけ
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