「センセ」
あの日、呼んだようにその言葉を放てば、少しくぐもったあの声が返ってくる。
「…うん?」
「また、昼寝ですか?怒られますよ」
「…まだ、あとちょっと…」
「東条院センセー」
「うぅ…お前、なかなかいじわるだな」
わざと近くへ行って大きな声を出せば、少し眉間に皺を寄せて目をこするその人。
教育実習生がこんな姿をさらしていていいものなんだろうか。
ゆっくりと起き上がったその姿は、あの日のようにボサボサしていた。
「この間、怒られたんでしょ?西園寺先生に」
「…」
「シューイチ先生は怒ると怖いですよね」
「…すごく怖かった」
それを思い出したのか一瞬身震いをする彼の隣になんとなく座ってみる。
風が木々を揺らして通り抜けると、サワサワと葉が音を立てて揺れた。
「『先生』って、楽しいですか?」
「あぁ?」
「東条院センセの授業は…というか、センセはいつも楽しそうなので」
「うむ、そうだな」
「なんで?」
「さぁな」
「何それ」
少し適当過ぎるとも思えたその返事に、私は思わずくすくすと笑う。
折角ののんびりとした時間なのに、傍らに置いた如雨露が早く仕事をさせろと急かしている。
「ただ」
「ただ?」
「楽しいほうが良いだろう」
「っていうと?」
「つまらないと思っているよりは、楽しいと思っている方が何にしても良いだろう」
「なるほど」
なんとなく納得。
私はその返事を聞いてからゆっくりと立ち上がって、如雨露を手にした。
「花の世話、楽しいか?」
そんな私を見ながら、さっき自分が聞いたような質問をしてきたのは綺麗な笑みを浮かべている人。
「楽しいです」
「なら、それと同じだな」
あ。そっか。
「何事も、楽しい方が良いぞ」
ごもっともですね。
「大変貴重なお話、どうもありがとうございました」
ふざけているようなかしこまっているような。そんな言葉を残して私は花壇へと向かう。
後ろの方では、ボサボサ髪と皺になりそうなスーツを直している人がいた。
サーッと如雨露から出てくる水が、陽を浴びてキラキラと光っている。
「なぁ」
「なんですか?」
先生らしい格好をした彼はやっぱり綺麗な笑みを浮かべていた。
花のような太陽のような。とりあえず、明るい感じの笑顔だ。
「お前、俺のこと好きだろう」
その突拍子もない言葉に、私は花の水遣りをやめて振り返る。
笑顔はそのまま。しかし、一体どこからその自信は出てくるんだろう。
少し前の私だったら、なんて答えていただろうな。
「そうですね」
「うん?」
「好き、です」
とりあえず、間違いの無いこと。
こんな言葉は言わなかったはずだ。
「センセ」
「な、なんだ?」
「人に聞いておいて、なんでそんな赤い顔してるんですか」
「い、いや、それは…」
暑い季節がやってくる。
間違いなく、きっと。
―Fin―
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