「珈琲は苦いから苦手なんです」

 そう、あなたが言ったのはいつの話だったか。
 未だ、甘いミルクティを飲んでは笑むあなたを見ていると、時々…心のどこかで御堂さんを憎く思う。

 そんなの、ただの嫉妬だ。

 しかも、それはどうしようもない。

 だから…だから?

 今、少し困っていたりする。
 急にあなたがあんなことを言うものだから。


「柊さんの淹れた珈琲を飲んでみたいです」


「急に、どうなさったのですか?お嬢様」
「え、いや…その…なんと、なく?」

 突然の要望に思わず聞き返すと、彼女は困ったような顔を浮かべる。
 それ以上は、聞かなくても、いいか。

「かしこまりました。では、淹れさせていただきます」
「あ、ありがとうございます!」

 その言葉に咲くのは花の笑み。
 最初は眩しく、そして遠く感じたその笑みも、気づけば心奪われるものになっていて。

 少しだけ、触れたいとも思うようになった。


「お待たせ致しました」

 心地良い風の吹くテラスで、彼女はそれに似合わない格好をしている。
 どこか緊張しているような、背筋をピンとさせた姿勢。

「あの…柊さん?」
「はい?」
「お、お砂糖とミルク…は?」

 彼女の前に置いたのは、漆黒の闇を湛えた珈琲だけ。

「この珈琲は是非…そのまま、ブラックでお召し上がり下さい」
「に、苦くないんですか?ブラックって」

 困惑する彼女に一言だけ告げる。

「その珈琲なら、大丈夫かと」

 それは、きっと自分ならあまり飲まない珈琲だ。

 そっと…恐る恐るといった言葉が似合いそうな手つきでカップに口をつける彼女を、なぜか見つめてしまう。
 なぜだろう、表情も柔らかくなる気がして。

「…あ」
「いかがですか?」
「苦く…ないです!」
「お気に召していただけましたでしょうか?」
「すごい!苦くない珈琲ってあるんですね」

 嬉しそうに笑うその人を見て、思わず緩みそうになる口元を隠しながら一礼をする。

 本当に正直な人だ、そう思いながら。

「でも、やっぱり珈琲は苦いですね」

 何度か口にした後、小さく笑いながら彼女は言う。

「ずっと飲んでると感じます」
「ブラック、でございますから」
「ふふっ、そうですよね」

 その笑みにつられるかの様に、小さく風が抜けていく。

「でも、なんか…少しだけ、柊さんのこと、知れた気がします」

 唐突にそう告げたその人の顔は嬉しそうだった。

「私の、こと?」
「うん。あんまり…こうやってゆっくり話したこともなかったから」

 それが珈琲の理由。
 そう、恥ずかしそうに彼女は笑って言った。

「お嬢様?」
「はい?」
「まだ、珈琲は苦いですか?」

 空は澄みきった群青。
 雲は白色で、真っ黒な珈琲がどこか違和感を持っている。

「少しだけ、ですけど」

 カップを手に彼女は小さく困ったように笑った。


「…では、甘くしましょうか?」


 なぜ、自分がそう言ったのか。
 なぜ、そうしようと思ったのか。

 まだ、その時の自分にはわからなかったけれど。

「お砂糖とミルク?あ、蜂蜜とか?」
「いえ…」

 甘い香りが鼻先を掠める。
 ふわり髪を揺らしたのは、風だったか何だったか…。

 とりあえず、感じたもの…

 ほんの少しの苦さと甘さ。
 そして、
 珈琲の薫り。

「…ひ、柊さん!?」

 目の前には真っ赤な頬。
 彼女が赤(ルージュ)なら、自分は珈琲のような黒(ノワール)だろうか。

「甘くなりましたか?」

 そっと人差し指で触れる口元。
 それは秘密の合図。


 彼女はこくんと小さく頷いた。

 きっと、甘くはなかっただろう唇に触れながら。


―Fin―


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