「海、行きたいな」

 ぼんやりとしながら呟いたその一言は、特に意味を持っていなかった。

「海?まだ寒いでしょ」

 いつもの調子で答える雅季くんは、一つ溜め息をつく。
 私はふわふわとしたような気分のまま、彼の顔を覗き込んだ。

「勿論、入るわけじゃないよ?」
「当たり前でしょ?」
「…ですよね」

 ベッドに腰掛ける彼の視線の先には、私が読みそうに無い本。
 私は少し甘えるようにその彼の膝に頬を寄せて、溜め息をつきながら話を続ける。

「この前テレビでね、海が見えるペンションの紹介してたの」
「ふぅん」
「そこから見える夕焼けが綺麗だったなぁって」
「そう」

 雅季くんはまるで興味なさそう。
 付き合う前からだけれど…付き合ってからもこういうところは変わらないなぁ。

「なぁんて、それだけ。ごめんごめん」

 なんとなく話が続きそうになくて、私は話を打ち切った。

「奏が謝ることは…ないと思うけど?」

 そんな私の様子に気づいたのか、雅季くんは視線をこちらに向けながら優しく微笑んだ。
 その顔…きっと少し前までは見せてくれなかったよね。

「…それだけで満足だぁ」
「一体なんの話?奏。話がつかめないんだけれど」

 そして、片眉をくっと上げていぶかしそうな顔。

「雅季くんが色々な表情を見せてくれるようになったって話」
「…海の話してたんじゃなかったの?」
「うーん。そうかも」

 適当に返事を打つと雅季くんは頭をぽんぽんと撫でてくれた。
 私にとって、それが何よりも幸せだって言うことはよくわかっていた。
 前だったら「用が無いなら部屋から出て行って」って言われるところだもんね。


 でも、この話が…
 まさかあんなことになるなんて、思いもしなかったんだ。


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