ナルト2



────始まりは終わりを連れて───




私は、ただのそこら辺にいる女子高生だった。

敢えて言うならば、考え方がかなり変わっていて他の人とのズレが必ず有るという事だけが変わっていた。

そんな私は、ただ何となく生きていた。生きることに意味を持たず、何となく生きていた。

夢も目標も無ければ、野望も欲望も無い。

人間が嫌いだった。だから自分だけは嫌わないようにしていた。

何故嫌いなのかと問われたとしたら『人間であるから』としか答えられない。

人間とは愚かだ。醜く、醜悪な生き物だ。
どうして、そんなにも貪欲なのだ?何故、そんな事に執着する?何故そんなにも醜い所業が平然と出来るのだ?
愚かで低俗な行いを平然と出来る人間が私は信じられない。

人として、通すべき道理すら通せずして何が、常識か。
ある小説の一説を思い出す。「危険思想とは、"常識"を実行に移そうとする思想である」世間一般の常識よりも、恐ろしいのは人間関係間にある暗黙の了解というものだ。

喩えに上げるならば、“学校”あれは一種の社会だ。上級生と下級生の間には規律(ルール)があり、それに反する者、それを乱す者は“正される”。

そんな風に何かを縛り、縛られる人間が私は嫌いだ。

古き考えに縛られ、固執し過ぎた人間も、新しい考えを主張するが故に新しい考えに縛られる人間も、皆一概に愚かだ。
全ての考えを自分なりに理解し、噛み砕き、応用出来る人間が少な過ぎる。

子供も嫌いだ。純真無垢で、無邪気な子供は、その無知さ故に残酷に相手を傷付ける言葉を笑顔で紡ぐ。
そこに在るのはただの無知故の無邪気な興味や、好奇心。悪意無き悪意。

実に質が悪く、実に不快で、不愉快で、虫酸が走る。

いつだって人間は理不尽で、いつだって世界は不合理だ。

そのくせ他の存在には、幾らでも真っ当な理屈と綺麗事と真実を求めてくる。
綺麗なものが見たい、汚いものは見たくない。
他人の手を幾ら汚しても、自分だけは汚れたくない。
清々しいまでのエゴの塊。

人間とはそういうものであり。また、誰しもがそういった面を持ち合わせている事は理解している。

だからこそ、嘆かずには居られない。

慈善活動だって、所詮は“良い行いをする自分”が好きな奴等のやる事だ。所詮は偽善。“偽りの善意”と書いて“偽善”。本当の意味で慈善をする人間がどれ程居るというのか…

偽善が嫌いなのではない。

偽善を善と思い込んで、烏滸がましく押しつける奴が嫌いなのだ。


私だって、所詮は自分の為にしか動けない面を確かに人間であるが故に持っている。

人間の中にも、素晴らしい人は居るのだろう。ちゃんとそういう存在は確かに居ると思う。けれど、そんな人間が誰かなんて私には分からない。

他人の心が解るならばまだしも、私は読心術なんて高いスキルは持ち合わせていない。

だから、私は人間が嫌いで信じられない。それは私が弱いからであり、それ故に強いという矛盾を抱えるからに他ならない。

だからこそ、他者を拒否する私が誰かに好かれるとは思わなかったからこそ、皆に嫌われたとしても自分だけは自分を好きで居なきゃいけなかった。


そんな風に生きてきた私だって好きなものくらいはあった。


漫画、アニメ、小説…夢小説にも手を出す程の活字中毒末期患者であり、オタクだ。


グッズもそれなりに集めていたし、BLにも理解があり、上辺だけだが友人関係にある人間に腐女子の類もいた。

キャラ達はビジュアル重視だったが、全キャラ愛してると断言出来るくらいのハマりっぷりであった。
趣味が読書で個人で二次創作活動までしていた。



そんな私は死んだ。



人間なんて何時かは死ぬ。それが長いか、短いかは個人の感じ方で異なるだろうが、私は客観的に見れば短い人生だったと思う。




齢18歳の時だ。
実に呆気ない人生の終焉(死)であった。











私は自分で言うのもなんだが、かなりのお人好しだ。目の前で困っている人間を放置出来ないタイプである。

自分でも、自分の事が一番訳の分からない奴という認識をしていたが、それだけはハッキリと言える。


私は人間嫌いな、お人好しだ。







目の前で、小さな子供が道路に飛び出した。
その子供に迫る一台の車、明らかにスピード違反をしている。


甲高いブレーキの音が響く瞬間には、私は子供を抱き上げていた。
迫ってくる車を認識し、こちらを見ていた比較的近くに居た男性に思いっきり子供を投げた。

運が良ければ、子供をキャッチしてくれるだろうし、運が悪くてもいっぱい人が居たから誰かがぶつかって倒れクッションくらいにはなってくれるだろう。




そして、私は少しでも衝撃を軽く出来れば…と、車が当たった瞬間後ろに自ら飛んだ。





私は宙に投げ出されながら子供が男性にキャッチされた所を見て、自然と笑みを浮かべていた。


痛いのは嫌だったけれど、今私が痛い思いをした事により、子供の未来が繋がったのならそれも悪くないかもしれない…


子供なんて嫌いだ。鬱陶しいし、五月蠅いし、我が儘だし。そんな人間嫌いな私でも、こうして助けてしまうのだから不思議なものだ。


段々と無くなる痛み。それと比例するように無くなっていく全ての感覚。

耳も、聞こえなくなっていく。
目も、光を映さなくなっていく。
身体中から力が抜けるというより何も感じなくなる。


全ての感覚が完全に無くなる前に目に映ったのは、泣きながら私を見る助けた子供。


必死に口を動かして何かを伝えようとしている。

でも、既に耳は聞こえない。唇の動きで分かった短い言葉に、まだ動く手を苛立つ程ゆっくりと上げて、子供の頭を撫でる。



そして、最期に笑った。





"いえいえ、こちらこそ生きていてくれてありがとう。"





自分でも、初めて浮かべる。何の含みも無い綺麗なだけの子供を安心させるだけの笑顔。

私は、弱々しく笑いながらも、それを最期に意識を完全に失った。


見えたのは笑おうとして笑い損ねた子供の顔。







こうして、私の死ぬ時の目標「笑いながら逝く」というものは謀らずして叶ったのだった。








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