人は分かり合える生き物だというのに




 「ワシらは正義じゃ」

 言葉だけで簡単だけど、それを体現するのは難しい言葉。だからこそ赤犬の言葉には重みがあり、そこらの人ならば聞いただけで力が抜けそうになるような響きを持っていた。
 この世界はゴールド・ロジャーの言葉により、海賊が蔓延るようになった。海を見れば、一体何隻の海賊船を見るか、考えるだけでもうんざりする。
 それでも偉大なる航路までならまだ良い方なのだ。新世界では四皇という大悪党が支配し、そいつらが住民の自由を奪っている。
 本来ならあり得ないし、あってはならない事だ。海賊なんて碌でもない連中が、世界の一部を支配しているなんて腐り切っている。
 しかし、世の中がそいつらを認め、彼らを英雄のように崇め立てている輩までいる。なぜこんな間違った世の中になってしまったのか?それは自分達海軍が弱くて当てにならない事と海賊を崇め立てる屑が存在するからだ。
 海軍こそが正しい存在であり、正義なのに何という事だ。このままでは世界全てが腐り切ってしまう。
 それを阻止し、世界の悪を排除する事が海軍の役目。赤犬はその為に徹底した正義を掲げ、少しでも悪の可能性を見れば潰しているのだ。だからこそ、ここまで強くなった。

 「正義は悪の可能性を持たぬ人間の為にある」

 何も罪も無い、守るべき対象の為に存在する海軍。それが存在価値である海軍が守るべき対象をおざなりにして、一体何になる?
 赤犬は守るべき対象にはどこまでも大切にし、彼らの笑顔を作る事も海軍の義務だと思っている。だからその対象を守り、気を使うのは当たり前で礼を言われるようなことではないと言い切れる。


 「……」


 何もかもが正論であり、赤犬の強い信念の塊であるその言葉。海軍側の立場しか知らなかったのなら、海賊を憎み、赤犬を英雄と思っていたに違いない。

 しかし、違うと知っているのだ。自分は海賊の優しさも知っている。彼らだって人を守り、人に優しく出来る人間なのだ。
 そしてそれは赤犬にも当て嵌まる。彼は、己の正義に於いて悪では無い存在に対し、優しさを持っているし、人を守っている。

 海賊は、人として当たり前の欲を持ち合わせている。
 名声、富、この世の全てを手に入れたなどと言われる存在の、“宝”。
 それを置いてきたと言う、欲しければくれると言う。そして、欲しいのならば──探せと言う。そんな甘美な言葉に、惑わされずにいられない理由が何処にあるというのか。

 勿論、そんな宝は要らないという海賊もいるのだろう。己の力を試したいだけのような、自由を求めているだけのような、海賊王に成りたいだけの者も、殺戮を求めてなる者も、悪と呼ばれるような者も、いるのだろう。

 でも、良い海賊もいれば、悪い海賊とているのだ。
 海軍にも、良い海軍と悪い海軍がいる。
どちらも、正義であり悪。悪であり正義という二面性を持つもの。
 光在れば闇が在る。闇無くして光は光になることは出来ない。


 自分の視点と価値観、考え方から言わせて貰えばかどちらも間違っていないし、悪でも正義でも無いだろう。
 それは、偏に考え方と価値観の違いが産んだ溝とも言える悲しいものだ。


 だが、人の価値観は違う。違うのが当たり前のものだ。

 彼には、海軍を正義と、海賊を悪とするだけの理由とそうなる迄の過程と環境があった。故に、そうした価値観と考え方を持つ。
 そうなる迄の過程を理解所か知りもしない自分は彼を否定することはおろか、肯定することも出来ない。いや、してはいけない。

 けれど、私個人の考え方と価値観で言えば馬鹿馬鹿しいとすら思う。

 何の罪も無い存在に略奪を暴力を、行う海賊ならば彼の正義の元散れば良いと思うが、そんな行為はせず、逆にそんな略奪や暴力から無力な民を守ってくれるような海賊にまで彼はその牙を剥く。

 自分達を救ってくれた存在ならば、感謝し、慕うのは人として当たり前過ぎる程に当たり前なことであり、その対象が海賊かそうでないかだけでその無力な民すら斬り捨てるのは間違っていると思うのは仕方がないことだろう。


 それを、私は“悲しい”と思う。
 悲しくて胸の奥が苦しくて、やるせない気持ちになる。
 だって、人には言葉がある。人を癒し、包み込んで、時に怒らせ、悲しませ、傷つける事の出来る。使い方次第では薬にも凶器にもなる言葉というものがある。
 言葉を話せるという事は、話が通じるという事、言葉を理解出来るという事。


 ──ならば、分かり合える。言葉で自分の想いをぶつけ合って、飾らない、包まない剥き出しの言葉は発する度に相手も自分も傷つけて、削り合って。
 ──どちらも傷だらけになりながら、それで漸くお互いを理解する。

 それを、何故出来ないのか。分からない。








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