Introductory chapter(序章)



-―-リィ―--ン―-

―リィ-―ン-―-



音が響く。静かに、けれどハッキリと…清廉に澄んだ鈴の音が、


空間を、
世界を、


全てを支配する。



その脳裏に直接響く"声"の問いに答えたのが全ての始まりだった。






蒼はふらふらと宛もなく歩道を歩いていた。

否、まったく宛がないわけではない。ただ家に帰るのが億劫だった。

今は夜中、自宅に続く暗い道を逆に進み、踵が鳴る音が響く。
今は草木も眠る丑三つ時なんてとっくに過ぎた時間だ。
なのにも関わらず音が消える事の無いこの世界、無音というものはこの世界の夜には無いのか…



『……退屈』



退屈すぎて死にそうなんて言うが、死ねる訳が無い。
こんなに退屈で何も無いのだから、死にそうというよりこのまま消えてしまいたくなるような気分だ。
こういうとき大抵人は暇潰しの何かを欲しがり、求める。蒼もそうだ毎日楽しさを求めて本を読む。
本の世界は正に別世界。毎日が退屈すぎて、映画だとか遊園地とかには興味が失せた。
けれど本はまだ飽きない。けれど、最近は何時飽きてしまうのか、酷く不安定な心地だ。

そんな世界は、本当に───



『退屈だ…』



……だめだ。

"退屈"という言葉が口癖になりそうだ。
最近はどの本もめぼしいものが無くつまらない。
唯一の退屈凌ぎも使えなくなった。

ゆらりと夜空を仰ぐ、星が見えない…

鬱陶しい街灯が月光代わりと言わんばかりに輝く。優しい月光や美しい星々が瞬く夜空でも見えれば少しは良いこの退屈な時も充分充実感を感じられる時となっただろうに…

…こんな汚れた世界ではそんな事は無理そうだ。



『……自分世界』



以前、何かの本で見た言葉を思い出した。

心理学の本だったか?ちらりと見ただけだから詳しいことは覚えていないが、たしか、自分が考えた世界に浸ることなのだと記してあったのを記憶している。



『想像、空想、妄想……』



思わず笑みが浮かぶ、自分の考えた世界と言えば非現実的な事に他ならないから。

他人から見れば余りにも有り得ないと笑われるだろうもの。しかし、そんな世界で生きる人達は、少なくともこの世界の仮初の表面上だけで出来た平和に染まってしまった者達よりも美しい。

ふいに囁かれるような"声"がした。

その次の瞬間には全ての音が消えた。

気が付けば確かに自分が居た道だったが全ての音が"消えた"道に"声"が響いた。



─ 人の子よ、そなたは何を求める? ─



その"声"に疑問を抱かなかった訳では無い。

けれど、



『何を…?そんなの決まっている。私はこの退屈な世界で"楽しさ"を常に求めている』



この"声"の問いに答えることで"何が起こるのか"それに興味が沸いた。

問いに答えるとまた"声"が問う。



─ 我が"何"なのか聞かないのか? ─

『聞いて、何か面白いのか?』



そう問い返せば、"声"は笑った。

嘲る風でも無く、
嗤う風でも無く、
謳う風でも無く、

楽しげに、愉しげに、樂しげに…
無邪気に、ひたすらに笑うように笑った。
わらうようにわらった。



─ 久しい、こんなに笑うのは何時ぶりか…人の子よ、そなたは面白い。大概人は最初我が問えば"何"であるかと聞く ─

『あなたが"何"であろうと、あなたにとって"あなたはあなた"だろう。私にとっては"私は私"でしか無いように。そんな面白く無い、楽しくも無い問いに意味は無い』

─ ふっ…そうか、そうだなそなたは中々賢く聡いようだな。その通り、その通りだとも"我は我"でありそれ以外の何者でも無く、それ以外の何者でも成り得ない。
我にとってはそうでしか無い。我にその問いをする事は意味が無い、無意味で愚かな問いだ。
…ふむ、良し時環 蒼よ。我がそなたの願い叶えてやろう ─


『私の願いを叶える?』

─ ほぅ…"叶えられるのか"とは聞かないのだな。その問いも意味は無いと分かっているな。益々気に入った。
我が殺す、我が生かす。
我が傷つけ、我が癒やす。
我が目の届かぬ者は誰一人としておらぬ。
我が手から逃げうる者は誰一人としておらぬ。
我が奪う、我が与える。
我に出来ぬ事等無く、我に叶えられぬ事は無い。
絶無にして絶対。神、悪魔、魑魅魍魎から多種多様、しかし根底は何も変わらぬ様々な名称で我は呼ばれるモノ。そなたの願いを叶える存在だ ─


『私の願い…』

─ そなたはただ願えば良い、我には分かる。強く強く想え、強く強く祈れ、ひたすらに、ひたむきに、己が願いを望め ─



その"声"の言葉に、



(楽しくなりそうだ)



自然と蒼の口が弧を描く。

先程、非現実的な事を考えていたが…どうやら、退屈でなくなるのなら自分は何でもいいらしい。



(自覚があるだけ厄介な…)



自分で自分の考えに呆れつつもそれが自分かと笑った。

"声"に言われるまま私は、



願った。





─ 蒼、そなたは何を願う? ─





("別の世界に")






"声"がまた笑う気配がした。



─ 承知した ─



その瞬間鈴の音が鳴り響き、意識は途切れた。











(それは、合図)

(平和で退屈な"日常"の終焉)
(危険と隣り合わせで刺激的な"非日常"の始まり)


(面白い事になるな)









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