福ノ子
 テラハウス


「ただいま〜」

 テラハウスの玄関を開けると、シャトと鉢合わせた。丁度今から出掛けるらしく「おかえり」と言いながらも、鏡の前で最終チェックに余念がない。
 衿ぐりが広く開いたオフホワイトのゆるいニットに、細身のストレートパンツ。一見シンプルなコーディネートは、袖の長さやサイズ感など、計算されつくしたスタイルだ。おまけに、めちゃくちゃいい匂いがする。
 兄弟のシャトとコットは、髪も瞳の色も同じだけれど雰囲気が全く違う。ゆるいウェーブのブロンドと印象的な猫目の彼は、一言でいえば「色っぽい」青年だった。

「丁度よかった。俺、夕飯いらないから」
「どこか行くの?」

 よくぞ聞いてくれたとばかりに、シャトは柔かなしなを作って振り向いた。

「デ・エ・ト」

 なるほど、それでいつもより気合いが入っているわけだ。

「おいしいワインと牡蠣を食べに行くんだ。海沿いのイタリアンだよ」
「わあ、いいなぁ」
「サワも一緒にいく?」
「えっ!?」
「くす、嘘だよ。だーめ」

 まだお酒飲んじゃだめだろ! と頬をつつかれる。同じ男なのに変な気分になってもごもご俯くと、タイミングよく下の道路で車のエンジン音が止まった。

「あ、もう来たみたい。じゃ、俺今夜は帰らないからよろしくね」
「え!?」
「コットには内緒だよ」

 ウインクしたシャトが、扉の向こうにひらりと消える。車で迎えに来てくれるなんて、年上の彼女だろうか。いや、それとも――

「……いやいやいや!」

 中性的なシャトの容姿から、何かとんでもない想像をしてしまった僕は、慌てて二階のベランダに飛び出した。
 家の前に止まっている車を確認して、絶句する。

「ベ……ベンツ!?」

 タッチの差で運転席のドアが閉まり、滑らかに黒の車体は発進する。
 シャトの恋人が確認できないままに、夕闇の中へ遠ざかっていくライトを放心状態で見つめた。

「……いったい何者だ」
「爽樹」

 不意打ちで掛けられた声に慌てて見下ろせば、スーパーの袋を両手にぶら下げたダンケルが立っていた。

「ダンケル!」
「ただいま」
「……っ、お帰り」

 鼓動が少しだけ速くなる。
 最近、ジルにからかわれすぎて、なんだか照れ笑いになってしまう。けれど僕を優しく見つめたダンケルは、スーパーの袋を掲げてみせた。

「今夜は爽樹の好きなアクアパッツァだ」
「えっ、やった!」

 ベランダを閉めると、急いで玄関まで走る。
 ジルがどんなに変なことを言っても、僕の前ではダンケルはちゃんと紳士で優しい。料理も上手で格好良くて、男としてパーフェクトすぎるダンケルは、なんだかんだやっぱり憧れだ。

「ダンケ……っ、あ」

 ガっ、ずべしゃ

 顔から転んだ。
 鼻が擦りきれて、ひりひりする。
 両手で顔面を押さえながら起き上がると、玄関のドアが開いた。

「爽樹?」

 ダンケルは大きなスニーカーを脱ぐと、不思議そうに眉を寄せている。

「すごい音したけど、まさか転んだのか」
「うぅ……顔からいった」
「鼻が赤いぞ」

 レオンから「鼻ぺちゃ」と呼ばれるほど、僕の鼻は低い。不本意ながらも的を得ていると思うし、立派なコンプレックスだ。
 慌てて背中を向けたけれど、構わないとでも言うように抱き締められてしまった。近づいたダンケルのシャツから煙草の匂いがして、ドキッとする。

「こっち向け、絆創膏貼ってやる」
「へ、平気。大げさだから……んっ」

 ちゅっと鼻の頭に降りてきた、優しいキス。
 漂う甘い雰囲気に、胸元まで熱くなってしまった僕は、慌てて「着替えてくる!」と立ち上がった。逃げるように部屋のドアを閉めて、へなへな座り込む。

 鼻にキスって、鼻にキスって……!
 ダンケルがすると何でも絵になるし、スマートだから別に違和感もない。けど、普通に考えたら男同士だから、やっぱり変だ。
 ダンケルってやっぱり、そういう意味で僕のことを好きなのだろうか……
 一度意識してしまったら、取り返しがつかないほどドキドキしてくる。

「うわ、わー……」

 ぐしゃぐしゃに顔を擦って平静を取り戻そうとしたけれど、到底無理な話であった。


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