事が起こったのは数時間前。
俺がバイト先からの帰り道を歩いている時だった。
寒さに震え、缶コーヒーで暖をとろうと自販機に足を向けた時、ケータイが鳴った。
ポケットからケータイを出してみると三郎の名前が表示されていて不思議に思う。
今日は確か、雷蔵と出かけるとか言ってた筈なのにどうしたんだろう。
首を傾げつつ、通話ボタンを押すと機嫌の悪そうな三郎の声が聞こえてきた。

「八左ヱ門、今から暇か?」
「あ?まあ暇だけど…どうした?」
「七松先輩の飲み会に呼び出された。お前も来い」
「えー…」

嫌だ、と言おうとしたけど、三郎の後ろから七松先輩の竹谷確保したかー?という声が聞こえてきてあきらめる。
ここで断ってプロレス技をかけられるのは勘弁願いたい。
電話、出なきゃよかった…。
後悔してももう遅い。
俺には泣く泣く飲み会の会場はどこか確かめ、どやされない為に急ぎ足で向かう事しかできないのだ。

「おっ、竹谷!遅いぞ!」

まあどんなに急いだところでこうやって文句言われるんだけどな!
愛想笑いですんません!と謝って、とっとと七松先輩からなるべく遠い席に目を付ける。
バイト帰りの今、七松先輩の相手をする元気は俺にはない。

「ここ、いいっすか?」

とりあえず笑顔を浮かべながら後ろ姿に声をかけて、返事を待たずに勝手に座り込む。
こういう時に嫌だと言う奴なんてまずいないから大丈夫だろ。
…と、思ったら思いっきり嫌そうな表情で見られてしまった。
えー、俺何かしたか?
なんて思うけど、今来て座ったばっかりの俺が何かをする間なんかないし、単純に一人でいたかったのかもしれない。
そんな風に当たりをつけたけど、せっかく七松先輩から遠い席に座れたんだ。
ここを逃せば地獄の暴君タイムが待っている。
それだけは避けたい。
という訳で一人になりたいらしいこの子には悪いけど、隣に座らせて貰おう。

「あ、すんませーん!生ひとつ!」

とりあえず店員にそう声をかければ元気のいいよろこんでー!という声が返ってきた。
七松先輩こういう体育会系な雰囲気の店好きだよなあ。
俺も嫌いじゃないけどさ。
そんなことを考えながら目の前にあったあたりめをひょいとひとくち。
うん、うまい。
いい具合に腹が減ってるし、なんかもう少しツマミ頼むか。

「うーん、どれにすっかな」
「………」
「卵焼きと…あと焼おにぎりと、ポテトと…」
「………」
「唐揚げと…」
「…なんか、」
「ん?」
「お弁当みたいなラインナップで頼むね、竹谷くん」
「えっ、何で俺の名前…」

いきなり自分の名前を呼ばれて顔を上げたらちょっと呆れたような怒ったような、それでいて寂しいような複雑な表情で見られてしまった。
あれ、俺、どっかでこんな表情見た事ある。
どこだっけ、あれは確か…

「…え、もしかして名字さん?」
「そう、名字名前です」
「………」
「何?」
「や、ええと、変わった、なあ、なんて」
「でしょうね」

素っ気ない声で言う名字さんにははは、と乾いた笑いを返しながら俺は逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
なんでかっていうと名字さんは俺の中学の同級生で…俺たちがたちの悪い悪戯を仕掛けた相手だったから。
当時、クラスでちょっと浮いていた名字さんに俺と三郎、それから勘右衛門の三人はゲームに負けた罰として名字さんに告白する、なんていう今思い返しても本当に最低な事をした。
すぐに謝れば許して貰えるだなんて、そんな甘い考えで、それがどんなに名字さんを傷付けるかなんて考えていなかった。

「名字さん、俺と付き合ってくれない?」
「え…?」
「ダメかな?」
「…わ、私、」

顔を真っ赤にして困っている名字さんを見て、俺はしまった、とようやく気付く。
これはやっちゃいけない、最低の悪戯だって。

「っ、ごめん!」
「え?な、何?」
「ごめん、ほんとごめん!これ罰ゲームなんだ!」
「…罰ゲーム?」

そう呟いた名字さんはあの呆れたような怒ったような、それでいて寂しいような複雑な表情を浮かべていた。
…その次の日から名字さんは学校に来なくなった。
一週間後、担任がホームルームで名字さんの転校の話をして、俺がそれから名字さんと会う事は一度もなかったのだった。

「…あの、もしかして同じ大学?」
「そうだけど」
「そ、そうなんだ…今日は何でここに?」
「七松先輩に捕まったの。あの人、同じサークルに入ってるから」

七松先輩と同じサークルって事はプロレス同好会?
マジかよ…本気でキャラ変わりすぎだろ名字さん…。
ていうかあれだよな、まずあの時の事を謝るべきだよな。
でも何て言えばいいのか…

「…竹谷くん」
「は、はい!?」
「注文しなくていいの?」
「ちゅ、注文な、うん、今する!」

やばい、これどうしたらいいんだよ…。
あ、つーか三郎は?
あいつどこにいるんだよ姿見当たらねーけど。
あいつがいればここから逃げ出せるのに…。

「竹谷くん、ケータイ鳴ってるけど」
「えっ!?あ、ほ、ほんとだ。…って、三郎…?」

画面の表示は鉢屋三郎。
え、何で電話…まさかあいつ…!

「もしもし」
「すまん、名字がいたから逃げた」
「なっ、お前なあ!」
「いや、あの冷めた目で見られたら流石に罪悪感がひしひしと…」
「ふざけんな!」
「悪い悪い。あと私も今雷蔵に怒られてるところだから」
「はあ?」

雷蔵に?何で?
意味が分からなくて一瞬黙り込んだら電話の向こうから雷蔵の優しげな声が流れてくる。

「八左ヱ門?三郎から聞いたよ、君たちがやった罰ゲームの話」
「えっ」
「次に会った時、八左ヱ門にも言いたい事があるから覚悟しておいて」
「…はい」

冷や汗をかきながらの俺の返事を聞いたか聞かないかのタイミングで電話はブツリと切れた。
やっべえ、雷蔵めちゃくちゃ怒ってる…。
次会った時に殴られる覚悟しておこう。

笑顔で説教する雷蔵を思い浮かべながらはあとため息をついて顔を上げると、ばちりと視線がかち合った。
名字さんがじっと俺を見ている。
真剣なその目を逸らしちゃいけない気がして、俺はそのまま目を逸らす事が出来ずに見つめ返した。

「…竹谷くん」
「は、はい」
「私と付き合ってくれない?」
「…え?」
「ダメかな?」

え、つ、付き合う?
名字さんと、俺が?
いやいや、えっ、そ、そんな展開、あるか普通?

「…お、俺、」
「…ぷっ、」
「えっ」
「あは、あはははは!ご、ごめん、竹谷くん、うそうそ、冗談!」
「えっ?えっ?」
「くっ、あはは、ほんとごめん、実は鉢屋くんの提案でね、仕返ししないかって」

…は?三郎の提案?仕返し?
訳が分からなくて言葉の出ない俺に、名字さんはけらけら笑いながら説明をしてくれる。
数時間前、ここで三郎に会った名字さんは三郎からの謝罪を受けて別に気にしてないと三郎を許したんだそうだ。
当時、急にいなくなったのも俺たちの悪戯が原因じゃなく、家庭の事情で引っ越し予定が元々あったかららしい。
だけど三郎の謝罪を聞いていた雷蔵が三郎を許さなかった。
そこで雷蔵は三郎を連れて説教をしに、名字さんは三郎の提案で俺への仕返しを決行したというわけだった。

「…か、変わったな、名字さん…」
「あはは、そうだね。あの頃よりは明るくなったかも」
「ははは…」

乾いた笑いと共にがっくりうなだれて肩を落とす俺に名字さんが元気だして!なんて声をかけてくれる。
ちくしょう、優しいな名字さん。
ちょっと惚れそうなんて考えてると、名字さんがいつの間にか注文してくれてたらしいツマミたちが運ばれてきた。

「ほら、食べたら?空きっ腹で飲むとすぐに酔っちゃうよ」
「おう、ありがと」
「いえいえ。…あ、帰ってきた」

名字さんのそんな声につられて入り口の方を見れば顔に殴られたような痕がある三郎と妙に笑顔の雷蔵がいる。
ああ…あの雷蔵の笑顔はヤバいやつだ…。
ぞっとしながら目を逸らしたら名字さんがまたけらけら笑った。

「名字さん、三郎にはよく言い聞かせておいたから」
「あはは、鉢屋くんすっごい男前になってるよー」
「それはどうも」

ふてくされたような三郎の態度を気にした様子もなく、名字さんはまた笑う。
…なんか、名字さん、かわいいよなあ。
あんな悪戯をしておいてぽけっとそんな事を考えていると、そんな俺に三郎が気付いた。

「…八左ヱ門、まさかお前」
「な、何だよ」
「気を付けろ名字さん、また八左ヱ門に告白されるぞ」
「なっ!?」
「えー?ないない」
「いいや、あるな。見てくれこの八左ヱ門のだらしない顔を」
「てっ、てめえ三郎、俺にあやまれ!」
「あはははっ!」

三郎に喰ってかかる俺と、けらけら笑う名字さん、それから仕方ないなあと言いたそうな雷蔵に、にやにや俺をからかう三郎。
そんな風に和やかな空気が流れる中、俺は思う。
あの時の告白がもし本気の告白で、今も名字さんと付き合ったりしてたら、なんて。
そんな都合のいい事が起きたらどんなにいいだろうと考えながら俺は笑った。

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