前田まさおは、かく語りき | ナノ


  一番恐れていたこと〜合同任務にて〜


甘露寺蜜璃に教えを乞うようになってから、なまえの戦闘能力の上昇には目を見張るものがあった。全集中・常中で更に研ぎ澄まされた第六感としなやかさが増した素早い動きで鬼を翻弄し、次々に任務を成功させていく。
下弦相当の強さを持つ鬼ですら、大きな怪我なく単独撃破できるようになっていた。尤も、鬼舞辻は鬼殺隊の預かり知らないところで下弦自体を解体してしまっていたので、一般的な記録としてはただの鬼を倒しただけということになってしまうのだが。

なまえ自身も自分がめきめきと実力を伸ばしている実感はあったし、短期間で階級・壬から辛に上がったことが彼女の調子の良さを客観的にも示していた。けれど新しい任務地へ向かう彼女はむすーっと不機嫌な顔を隠そうともしていない。上弦ノ陸との闘いで、善逸が、炭治郎が、伊之助が、また大怪我を負ったからだ。
幸い三人とも生還し、昨日見舞いに行った時には、一番軽傷だった善逸が機能回復訓練に励みながらそろそろ任務復帰かな…と嫌そうな顔をしていた。それでもなまえは、自分が一生懸命修行してるのは善逸とその友人たちを守りたいからなのに、となかなか一緒になる任務を割り振ってこない上層部に腹を立てていた。

今日の任務は珍しく、鬼の存在を知る者からの救援要請を受けてのものらしい。やっと辿り着いたこの街の、一番の富豪からの依頼だそうだ。鎹ウグイスがここだよというように鳴いた時点では、高い塀がずっと向こうまで続いているだけで、その屋敷の正門は遠くにかろうじて小さく見える程度だった。周辺にもたくさんの屋敷が建ち並んでいて四方を塀に囲まれてはいたが、富豪のそれは他とは比べ物にならない大きさだった。
どんだけお金持ちなのよ…と半ば放心しながらとりあえず正門を目指して歩みを続けていると、「ねえ、君…」と途中交わっていた路地からやってきた気弱そうな青年に声をかけられた。聞かなくても服装を見ればわかる。彼も鬼殺隊士だ。

「君もここの任務を?」
「はい。今回は合同任務なんですね。階級・辛、みょうじなまえです!よろしくお願いします!」

機嫌が悪かろうと、どんな時も元気な挨拶は欠かさない。笑いかけてから頭を下げれば、その青年も控えめにだが階級と名前を教えてくれた。
二人で連れ立って改めて正門へ向かっていると、その少年は何故か少しずつそわそわとし始めた。何かを言いたげにちらちらとなまえの横顔を盗み見ている。やがて青年は決意を固めたのか、ようやっともうしばらく行けば正門にたどり着くという辺りで、両手を握り拳にして歩みを止めた。

「ねえ…噂になってるのって君だよね?あの噂って本当なの?」
「噂、ですか?」

突然立ち止まった青年に合わせて、なまえも足を止め振り返る。噂、と言われて、あの日獪岳に言われたことが蘇った。『阿婆擦れ隊士』。両手が無意識にスカートを握りしめていた。嫌な予感がする。

「頼んだら下着見せてくれたり、足とか…胸とか…どこでも、触らせてくれる女性隊士がいる…って君のことだよね?」
「、えっ!?」
「短いスカート履いてるからすぐわかるって、小耳に挟んだんだ…」

なまえは耳を疑った。噂とは、格好が破廉恥だと言われていただけではなかったのか。
人の口に戸は立てられない。一部男性隊士の間でまことしやかに囁かれ続けたそれは、知らない間に尾鰭がついて広まってしまっていたらしい。
下を向いたまま話しながらもじりじりと距離を詰めてくる青年から一歩、二歩、と後ずさる。しかしすぐに、背中がトンと何かに触れた。塀だ。これ以上、下がることはできない。なまえは苦し紛れに両手を隊士に向けて胸の前で構え、盾がわりにする。

「いやあの、なんの話なのか、」
「お願いだよ、俺このままじゃ一生女の子に触れられないまま鬼に殺されて死んじゃうかもしれないだろ…。ちょっとだけでいいんだ、俺にも触らせてくれよお願い、」

青年の震える右手がなまえの頬に触れかけた、その時。

「…何やってんの?」

なまえにとって一番聞き慣れた声が、しかし初めて聞く低い響きを持って、二人の間に割り込んだ。二人揃って声がした方にパッと顔を向けると、地を這うようなそれに相応しい面持ちで青年を睨みつける善逸がいた。

「ぜ、善逸…!?」
「先輩、そんな根も葉もない噂信じないでもらえますか。この子、そういうのはやってないんで」

近づいて来た善逸は狼狽え見上げるなまえを無視して、青年に向かって静かに語りかける。もともと気の弱いその男は善逸の予期せぬ登場で気が動転してしまったのか、いやとかあのとか訳の分からないことを取り繕うようにぶつぶつ呟きながら、バタバタと走り去ってしまった。
その姿が路地を曲がって見えなくなるまで睨みつけたままだった善逸が、やっと視線を外して、ふう、とため息をつく。

「ぜ、善逸なんでここに…。同じ任務…?」
「…らしいね」

何もかもが突然すぎて動転する頭で、取り入れた情報を少しずつ整理していく。善逸が歩いてきたのは、正門の方からだった。違う経路を通って屋敷に到着した彼が、こちらの異様な雰囲気に気付いて助けに来てくれたのだとわかった。
善逸は、眉間にしわを寄せて静かに諭す。

「だからあんなに言ったんだよ。ズボン履けって。無闇矢鱈と脚を出すなって。呑気で落ち着きなくておっちょこちょいで、そんなんでもさ、お前は女の子なんだよ。男共はどうやったってそう見るんだよ。みんながみんな、炭治郎みたいな優しいやつばかりじゃないってこと。ていうかさっきのやつはまだ優しい方だよ。ひと気ないとこに連れ込まれてさ、無理矢理押さえ込まれてたらどうしてたんだよ」

普段の元気な彼と全く違う様子に戸惑って、なまえは視線を彷徨わせた。

「わ、私はただ善逸に、性的に見られたくて…」

善逸の眉がぴくりと反応する。もう限界だった。ただでさえ、善逸が一番危惧していたことが今まさにその目の前で起こって、焦りと怒りでどうにかなってしまいそうだったのに。

「お前それがどういう意味か、本当に分かって言ってんのか?」

暗い光を灯した黄金色の瞳が片方だけ、俯き気味のその前髪の隙間から辛うじて覗く。これまで一度だって目にしたことないその色になまえが思わず一歩後ずさると、善逸の方もまた一歩近づいてくる。
何度か繰り返すうちに、先ほど青年に迫られたときと同じようになまえの背中が塀に触れた。善逸はその顔の両側に肘を着き、片膝を、惜しげもなく晒されている彼女の脚の間にねじ込んだ。お互いの息遣いさえ直に感じる距離。善逸の膝が、すり、と脚を撫でる感触に、なまえはびくりと体を揺らす。
そのまま音もなく顔を近づけて、唇と唇が触れる寸前。善逸の薄く開いた瞳が捉えたなまえのそれは、──ぼたぼたと止まらない大粒の雫をこぼしていた。

やってしまった。善逸は慌てて体を離す。けれどいつものように喚く気には到底なれなかった。なまえの涙がすんでのところで彼を思いとどまらせたが、苛立ちも、止められなかった情欲も、まだ完全に鎮められてはいなかった。苦虫を噛み潰したような顔を、上げることすらできない。
目だけでちらりと伺ったなまえは、まだ涙をこぼし続けたまま、真っ青な顔をしていた。こんなことになったのは自制が効かなかったせいではあるが、結果的に彼女にきついお灸をすえられてよかったのかもしれない。自分だって男性なのだと。男性はなまえが思っているよりずっと欲に正直で、警戒すべき生き物なのだと。
まだ動けないままでいるなまえからきっと酷いことになっている自分の顔が見えてしまわないように背を向ける。片手を上げると、チュン太郎がその指先に静かに降り立った。善逸たちを気遣うような音を、これでもかとさせながら。

「…なあ、体調不良で任務を休むことってできんの?」

問われたチュン太郎が、チュン、と頷く。善逸は背後のなまえからする胸が引き裂かれそうになるような恐怖の音を聞きながら、正門に向かって歩き始めた。

「お前、今日はもう帰りな。そんなんじゃまともに戦えないだろ。さっきのあいつも戻ってくるかもしれないし…なまえの分も、俺が二人分働いとくから」

そう言いながら離れていく善逸の背中を、なまえはうまく動けないままただ見つめていることしかできない。
なまえは善逸になら何をされてもよかった。抱擁も接吻も、その先も。善逸は勘違いしているが、なまえが涙を流したのは彼の欲を垣間見たことへの恐怖からではない。

どんなに喚いて説教しようが、善逸はなまえに対してはいつだって優しかった。厳しいことを言うような時も、根底には隠しきれない優しさがあった。
その善逸が、本気で怒っていた。何度言っても行動を改めず、ついには彼に直接迷惑をかけてしまった自分のことを、嫌いになってしまったのかもしれない。獪岳が忠告してくれていたのに。『迷惑を被るのは周りの人間だ』と。その中には獪岳や師範だけじゃなく、善逸だって含まれていたのに。

大きく重い門を押し開けて中へ入っていく善逸の姿が視界から消えた頃、なまえはとうとう立っていられなくなって、ずるずると地面に座り込んだ。善逸に嫌われてしまったら、もう、何をどうすればいいのか、わからなかった。

そして翌日。なまえは遂に、頑なに貫き通していたスカートの着用をやめた。

 

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